(切甘)騎士は囚われ姫に愛を乞う
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正式に壱號艇長に就任してすぐ、俺は時辰からの許可を得て零組の艇に向かった。
初めて乗った零號艇は俺らの艇と見た目はまんま同じだったが、纏う空気がどこか違っていて、隠密ってのは伊達じゃあなさそうだと思いながらも妙な寂しさすら感じた。
ここにもし本当にリイナがいるとしたら、毎日どんなふうに過ごしているのか心配になるくらいだ。
零組のマスコットに艇内を案内されながら、時々闘員とすれ違うたび、さりげなく視線を送って顔を盗み見る。
……さっきの女の子も、背格好はよく似ていたから一瞬ドキッとしたが、リイナじゃなかった。
次に見かけた女の子も違った。
まだ着慣れない艇長服の俺にしっかり頭を下げていく仕草は、きっちり指導されているのがよくわかる。
もともと数が少ないのかあまり人の気配も感じないのに、たまに行き合った人間は探している恋人の姿ではないことに、覚悟はしていたが落胆する。
やっぱりリイナはここにはいないのか。
あの翠の髪を靡かせていたリイナは、ただの幻かよく似た他人だったのか、自信がなくなる。
この場で名前を叫んで呼びたい気持ちに駆られる…それであいつが気づいて飛び出してきてくれたなら。
今また目の前に現れてくれたらその時は俺は今度こそ……と衝動に突き動かされそうになりながら、ようやく着いた艇長の執務室の前に立った。
…艇長に挨拶をして、零組の話も聞いてそれからさりげなく他の闘員の話を振ってみよう。
まずはどんなヤツなのかをしっかり見極めてから。
お互いの艇のトップだし、平門は同期でまだ気安いからいいが、こちらも仕事がやりやすい人間性だったらいいな。
隠密を束ねるなんてそうそう簡単なことじゃないだろうから、そのトップならかなりできるヤツなんだろうな。
……一息ついて、ゆっくりドアをノックした。その時。
「はい、どうぞ。」
(………え?)
向こうから返ってきた声に、一瞬固まった。
遠慮がちながら芯の通った落ち着いた女性の声、それは……よく聞き覚えのある音がした。
何年も何年も、ずっと聴きたかった声だ。そしてその声は、つい最近確かに聴いた。
「……失礼する。」
手が震えるのも構わず逸りながらドアを開けると、最初に目に飛び込んだのは窓の外を眺めている後ろ姿だった。
スッと背筋を伸ばした立ち姿、差し込む光に透けた綺麗な黒髪。
それは記憶によく刻まれたほど、かつて毎日あの学園で密かに眺めていた光の源と同じ眩しさ。
最後に壱組の艇のハッチで見つめた背中、ガゼの村で見送った背中と、同じ背中だった。
「…っ…リイナ………?」
思わず口を突いて出た名前に反応し、ゆっくり振り向いて見えた顔は。
「…お久しぶりですね、朔くん。何年ぶりでしょうか。」
「…っ!!!」
俺と同じく艇長の服を着た、すっかり大人びた顔つき。
ガゼの村の時みたいな睨みつけるようなきつさはなく、ただ穏やかに笑っている。
もしももう一度会えたら、今度こそ俺は。
「…っ…!」
(…っ…)
考えるより先に体が動いて、用意していた挨拶の言葉も吹き飛んだ俺は衝動的に早足で近づくと思い切りリイナを抱き締めた。
引き寄せた弾みで互いの頭からハットが落ちたが、構わず腕に力を入れて1ミリの隙間も無くすほど身を寄せる。
「生きてた……っ…生きていたか……っ⋯リイナ⋯っ」
首筋に顔を埋めると、リイナが昔から好んでよくつけていた懐かしい香水の香りがした。
街で同じ香りがするとリイナじゃないかと思って振り向き、違うとわかるたびに胸が凍りついていた。
この世界のどこにも、もうリイナはいないのだと思い知らされては崩れ落ちそうになりながら歩いていた。
けど今は違う、今この腕の中にあるこの匂いもぬくもりも感触も、間違いなんかじゃない。
目頭が熱くなるのがこぼれ落ちないように必死に気を張りながら、小さな体をただ縋るようにきつく抱き締めた。
もしもこれが夢なら、もう一生目覚めなくて良い。頼むから、醒めないでくれ。
起きてまたリイナがいない世界に戻されたら、もう俺は耐えられない。
「苦しいですよ、朔くん⋯。」
「幻じゃないよな?これは夢か?なんでお前がこんなところにいるんだよ…っ…死んだって、聞かされてずっと…っ俺は⋯っ」
「……ずっと無事を知らせられず、すみませんでした。零組の立場では禁じられていたので……。」
「…顔を、よく見せてくれ…。本当にリイナだよな⋯?」
名残り惜しいが少しだけ体を離して、だが抱きしめたままじっと見上げてきた顔を俺もよく見つめる。
………間違いなく、リイナだ。
薄く化粧をして、学園時代のあどけない少女の雰囲気から、すっかり綺麗な大人の女性になった俺の恋人だ。
真っ直ぐな瞳の深い色だけは変わらずにある。
心臓が痛いくらいに締め付けられる…無事に生きていてくれて心底嬉しいのと同時に、親しい仲間にも死んだことにされてこんな場所で1人、誰にも存在を知らせることができず過ごしていたリイナの今までを思うと。
穴でも空きそうなほど見つめる俺に、リイナは苦笑いを浮かべた。
「久々にお会いできたのに、なんて情けない顔をしているのですか。⋯⋯まずは、壱號艇長就任、おめでとうございます。まさかあなたが艇長になるとは、聞いた時は驚きました。」
「俺もだよ。まさかお前が零組の艇長だったとはな。」
「私も少し前に就任したばかりなんです。これからは連絡を取り合うことも可能になりますね。」
「…そうだな…。」
艇長同士なら連絡し合うことができる。
リイナの夢を引き継ぐつもりで任務を頑張ってきたから、リイナとの再会が叶う立場になれた。
本当に頑張ってきて良かった。
あのまま悲しみに潰されていたら、何も知らず二度と会えないままだった。
同じく艇長になれるほど1人で頑張ってきただろうリイナを、また抱きしめることができた…そして、これからは1人にしなくて済む。
貳組にいた以前よりずっと離れて制限もかかるが、会えるし話すこともできる。
それだけがどんなに幸せなことだったのかを、実感する。
ちょっとばかり離れているくらいなんだ、生きているだけで充分じゃないか。
ずっと会えないわけじゃないんだからさ。
もう永遠に会うことは叶わないと思っていた、だからこそガゼの村で姿を見た時は本当に驚いた。
…そこで、ふとあのリイナのことを思い出した。
「ガゼの村で会ったのは、やっぱりお前だったんだな。」
「…あれは…私ですが、私ではないんです…。」
「どういう意味だ?」
「…與儀くんと同じだと言えば、わかりますか…?」
「…まさか………。」
與儀と同じ……つまり、あれはもう1人のリイナ…リイナの中にいるもうひとつの人格。
あの翠色の髪の女の子は、リイナのようでリイナではなかった。
確かに顔は同じだが目つきや喋り方、性格もまるで違っていて
、俺のことも知らなかった。
あの時何らかの理由で彼女が目覚めていたなら、同じ輪の能力も持っているなら1人で能力軀を殲滅できたのも納得がいく。
だが、以前はリイナの中にそんな奴はいなかったはずだ。
いつから、どうやって…と考えて、ある想定が頭に浮かんだ時、俺の顔色の変化に気づいたのかリイナが頷いた。
「貳組として最後となったあの日、私はヴァルガとの激しい戦闘で誤って体内にインキュナ細胞の侵入を許しました。」
「だが、お前は細胞に負けずヴァルガにはならなかった…それで体内で形成されたのが、あの人格か。」
「……はい。」
「なら、どのみち無事だってことだろ。なんで死んだことにしなきゃならなかったんだ?」
「それが…零組の秘密です。記憶を封印した與儀くんはともかく、体内にインキュナがあることを自覚し、その飛躍的な能力を秘めた闘員は本来ならば政府の禁忌に触れます。」
「…っ!!」
本来なら存在することを許されない存在……存在自体が罪の扱い。
かつて政府が禁忌とし封印した研究、図らずもその研究結果で生まれた存在と同じ身になった闘員は、世間で明らかになれば政府にとって脅威だ。
リイナも本当なら秘密裏に消されるか、記憶処理をされてもおかしくなかった。
それがここにいるということは。
零組が秘匿なのは、そこにいる人間自体が秘匿の存在だから。
「零組に所属し秘匿扱いになることで、お前の存在も守られたってことか。」
「…はい。本当ならば処理されるはずの闘員を、零組を作り秘匿扱いにすることで守ったのは時辰統括官です。零組の闘員はみな、同じ境遇でここにいます。」
「……そうか…。」
時辰が言っていた意味がようやくわかった。
零組を秘匿にすることで、所属する人間の存在は守られる。
同じひとつの艇にまとめて制限はかけるが、記憶処理を施すよりずっと人権的だ。
與儀の記憶は封印したのは、それがあいつの精神安定に必要だったからだ。
ならさっき通路ですれ違った闘員たち…あの女の子たちも、体内にインキュナ細胞を宿して秘匿の存在になり、かつての仲間たちにも死んだことにされているのか。
艇内の寂しげな雰囲気はそこから来ていたんだな。
だがそんなことになるのは稀だ、だからここの人数はあまりいないのか。
「だからって…仲間たちにまで死亡扱いにすることはないだろ…っ…俺らがどんな思いでいたと思っているんだ時辰は…っ!」
「この艇に隔離して管理することが、存在する条件だからです。ですからあの日、私は回復次第秘密裏にこの艇に移されました。」
「お前だって、いきなり仲間から離されて死んだことにされて辛かっただろ…。」
「…選んだのは私です。零組闘員となり秘匿の身で闘い続けるか、記憶処理を施してすべてを忘れ、完全に政府の管理下でギリギリまで生き長らえるか。用意された選択肢はこの2つでした。」
「⋯それしかなかったのか。」
「はい。ですが、リシアナさんにだけは連絡をすることを許されました。彼女はクロノメイに残ったので、零組と関わることもありますから。」
「……そうか、リシアナは知っていたのか…。」
「リシアナさんを、どうか責めないでください…彼女も、朔くんと平門くんにすら伝えられないことに苦しんでいました。」
「ああ、わかっているよ。」
俺の返事にリイナはホッとした表情をした。
親友を亡くしたと思ったときに一番苦しんだのはあいつだろうから、後で無事を知らされてどれだけ喜んだだろう。
けど、同時に俺らや他の奴らに秘密ができたことでまたどれだけ悩んだか……沈んでいた俺に、どんな気持ちでいたんだろうな。
本当はリイナは生きていると、知らせたくてたまらなかっただろう。
それでも、リシアナだけでもリイナの存在を知っていて良かったよ。
リイナにとっても、自分のことを知っている親友の存在は大きかっただろうからな。
死んだとされてから数年、ずっと…俺がリイナを支えてやれなかったのだけが悔やまれるが。
「これから平門とも会うんだろ?あいつも絶対に喜ぶぜ。」
「本当に、皆さんにはひどくつらい思いをさせてしまいましたね…。」
「無事にまた元気な顔が見られたから、もういいさ。」
「…インキュナが侵入して無事助かる例もあれば、助からずヴァルガ化することもあります。私たちのような存在を仲間が知れば、気の緩みから油断が生まれることもあるでしょう。そうなれば闘員内での被害者も増えてしまいますから。仲間内でも秘匿扱いになるのはそのためです。」
「そうだな……お前は、自分の存在を犠牲にして仲間を守っているんだな。」
「そんな大層なものでもありませんけどね。私は、自分が死んだ存在になってもこの世界で闘い続ける選択をしただけです。」
「充分、立派じゃないか。」
サラサラと髪を梳くようにして頭を撫でると、リイナは目を伏せた。
途端にその瞳に映りたくてたまらなくなった。
離れていた分、それを取り戻すように、リイナに俺だけを見つめてほしくなる。
俺もいま抱きしめているよりもっとずっと、リイナを感じたい。
……頭を撫でていた手をそっとリイナの頬に添えると、手のひらで体温を確かめる。
温かい……リイナは確かに今も生きていて、ここにいる。
まだ夢の中なんじゃないかと疑う。もう触れることもできないと思っていたから……また、泣きそうになる。
あの日の最後に一度だけ触れた唇の感触が恋しくて、親指で撫でた。
リイナはゆっくり視線を上げて俺を見ると、静かに両の口角を上げた。
………もう一度だけでいいから会いたいと、ずっと願っていた俺の最愛の恋人の唇。
触れ合わせてしまおうと顔を近づけたところで、俺の胸にリイナが両手を添えて少し押した。
「…これからは同じ艇長同士、協力して火不火殲滅のために頑張りましょう。」
「あ?……ああ。」
……なんとなく、キスを拒まれたような雰囲気がして戸惑い頷くと、そのまま胸をグッと押されて体を離された。
「……リイナ?」
妙な雰囲気がして呼び掛けたが、リイナはそのまま数歩、後ろに下がって背中を向けた。
「零組の説明も終わりましたし…これで顔合わせは終了です。もう退出していただいて結構ですよ、壱號艇長。」
「…待てよ、まだ話すことがいっぱいあるだろう。」
「説明は滞り無く終わりましたので、もう私からの話は何もありません。」
「………っ」
有無を言わせない冷たい背中に、明らかに俺への拒絶が混ざっている。
思えば抱きしめた時から、リイナから抱き返されることはなく…せっかくの再会だっていうのに、態度は終始淡々としていた。
妙に気持ちが焦る。
リイナ……俺たちは、まだ恋人同士だよな?
お前は今も、俺を想ってくれているよな…?
それとも心変わりしたとでも言う気か。
「…んじゃ、艇長同士の仕事の話はここまでってことで。ここからは久々の再会を喜んで語り合いでもしようぜ?数年分の積もる話もあるしさ。燭ちゃんと平門のおもしろ話もあるぜ。学園時代から全く変わってないんだ、あいつらさぁ。」
「…………………」
わざとおどけて見せても反応がない。
リイナに空けられた、たった数歩の距離がすごく遠く感じて、俺の方から踏み出して埋める。
背後に立って肩に手をかけたら、リイナがふいにこちらを向いた。
俺の方は見ようとせずにまぶたを伏せたままだ。
感情を感じさせない横顔は、綺麗だが寂しい。
「⋯なあ⋯俺がどれだけリイナに会いたかったか、リイナならわかるだろ?」
「…ええ、私の殉死を聞いたあなたがしばらくどのような状態だったかは、リシアナさんから聞きました。立ち直るまでどのくらいかかったのかも。」
「⋯っ⋯まだ全然立ち直ってなんかいねえよ。お前を喪って一生立ち直れるわけがないだろう。今もまだ苦しみの中で藻掻いて無理やりに動いてんだよ。お前の夢を継ぐって決めてからずっと⋯っ」
「⋯そうですか。それは認識不足でした、すみません。」
「だから⋯っ、もうしばらくここにいてもいいだろう?リイナと一緒にいたいんだよ。頼む。」
「朔くん。私はこうして無事に生きていますし、私たちは同じ輪の仲間ですが、私とあなたはもう同じ世界には存在していないと理解していますか。」
「……それ、どういう意味だよ?お前も俺もここにいるだろう。世界はひとつしかないだろうが。」
思わず肩に置いていた手に力がこもるが、痛くするほどではなかったからかリイナの表情は変わらなかった。
それでも俺の悲痛な気持ちは伝わったはずなのに。
……離れても俺は想いが募るばかりだった。
リイナがこの世界からいなくなり、例えもう一生会えないとわかっていても、それで割り切って忘れることは出来なかった。
リイナは違うのか…?
俺に死んだと思われていても、二度と会えなくても、お前は胸を痛めて俺を想い続けることはなかったのか?
俺はあの日からずっと、お前と気持ちを通わせたあの一瞬の時間から心を動かせずにいる、今も変わらずリイナだけを想っているのに。
リイナは一度目を閉じて静かに息を吐くと、もう一度俺に向き直って俺を見上げた。
「私は世間では存在せず、輪の中でも既にこの世からいなくなった扱いの人間です。あなたと同じ立場なはずがありません。」
「同じ立場だろ?目標を同じくして闘う仲間だろうが。他の奴らには知らせられなくても、もう俺はお前がここで生きているって知っている。リシアナも、これから平門もな。それじゃあダメなのか?なんで自分から俺たちと線を引こうとするんだよ。」
「……それは…………。」
「………リイナ。」
「っ?」
言い淀むリイナの腕を掴むと、また俺に引き寄せた。
線なんか引かせない。距離を取ろうとするなら何度でも俺から近づいて縮めてやる。
その意思で目を合わせた俺にリイナが戸惑いの表情を浮かべた。
「自分が秘匿の身になった事を気にしているなら、お前が苦に思う必要はない。俺たちはみんな、お前が生きていてくれたことを本当に嬉しく思ってる。知らせられない奴らもみんな、知ったら喜ぶだろうな。関係は何も変わらねえよ。」
「…朔くん……。」
「お前自身も何も変わらないし、俺の気持ちもずっと変わらない。お前が組織の中でどんな扱いになろうが、俺は変わらずずっとお前が好きだ。昔からずっとずっと、お前だけが好きなんだよ。死んだと聞かされても忘れるなんて絶対にできなかった。むしろ今は艇長になれるくらいにずっと一人で頑張ってきたお前をもっと好きになっているよ。」
「…っ…」
好きな女の子に想いを伝えることができるのは、こんなに素晴らしくて嬉しいことなんだと実感する。
これからもずっとこうして伝え続けていきたい。
気持ちは伝えられるときに伝えないと、いつか伝えられなくなったときに激しく後悔すると思い知った。
だから、また巡ってきたこの機会に、俺がどれだけリイナのことが好きかをこれからはいくらでも伝えたい。
………なのに。なんでお前はそんなにつらそうな顔をするんだ。
「お前があの日、一度だけ俺に言ってくれた気持ち、本当にめちゃくちゃ嬉しかったんだぜ。俺はリイナに好きになってもらえた、これで俺はリイナの恋人になれるんだ、ってな。」
「……………昔の話です………」
「今は違うって言う気か?リイナ、今でも俺たちは恋人同士だろ?これからまたいくらでも一緒に同じ時間を共有できるんだろう。むしろ俺たちはこれからが本番だろうが。お前は今も俺が好きだろう?」
「……………っ」
リイナはつらそうに顔を歪めて、俯いた。
俺に気持ちを告げられて困っているような、悲しんでいるような感じに俺の胸がまたざわつく。
俺の気持ちはお前にそんな顔をさせるような負担なことなのか。
もう、俺に恋をしていたあの瞳を向けてはくれないのか。
ややあってリイナはポツリと呟いた。
「また…あなたと同じ時間を、共有することができるのでしょうか…だって、私は…………。」
「…何かつらいことがあるなら、言ってくれ。1人で抱え込むな。」
リイナが抱えているものを俺も抱えたい。
それでリイナが少しでも楽になれるなら、いくらでも支えになりたい。
俺はお前が可愛く笑う笑顔が好きなんだからさ。
またあの笑顔を見せてくれよ。
「…私が死んだと聞いた時、とても悲しかったでしょう?酷く憔悴して見ていられなかったと聞きました。」
「ああ、この世の終わりだとすら思ったな。」
「でしたら、なおさら私とあなたは同じ場所にいないほうが良いと思います。」
「なんでそう思う?」
「私はもう普通の人間の体ではありません。いつ私の中のインキュナ細胞が変異するかわからないのに、何でもない顔をしてあなたの傍にいるなんてできません…。」
「今はちゃんと共存できているんだろ?」
「ですが…いつかはヴァルガになってしまうかもしれない。零組で隔離するのは、それを監視する意味もあるんですよ。この艇には万が一の際にいつでも対処できる仕掛けもあります。もし私がヴァルガになったら、朔くんは私を葬送できますか?リシアナさんも、平門くんもです…。」
「リイナ…………。」
「輪になると決めた時から、自分がいつ死ぬかわからない状況になるのは覚悟していました。ですがそれは殉死の覚悟であって、自分がヴァルガになった挙句に大切な人たちに自分を殺させる覚悟ではありません。そんな責任を皆さんに負わせたくないんです。」
リイナは少しの間、肩を震わせたあと、俯いていた顔を上げてつらそうなままで笑みを作った。
「もし本当にヴァルガになってしまったら、誰かを傷つける前に輪にいつでも倒していただいてかまいません。でも、できればそれをするのは朔くんたち以外の方がいいです。私が一度死んだ事で散々悲しませた方々に、これ以上の負担を背負っていただきたくないのです。」
「そんなことにはならねえよ。與儀だって今は燭ちゃんの薬できちんと管理されている。お前もそうなんだろ?」
「…そうですけど…もし暴走したら、あなたは私の死の悲しみを二度味わうんですよ…下手をすれば私を殺す役目も背負うんです…艇長に就任したばかりに、私を殺すのはあなたか平門くんかもしれません。なのにどうしてお二人揃って就任してしまったのですか⋯…艇長にならなければ私が密かに葬られても知られずに済んだのに。大事な友人たちの出世を素直に喜べない自分の立場が、これほど悲しいなんて…。」
そう言って左の二の腕の辺りを手で抑えた…そこにパッチを貼っているんだろう。
リイナは、いざ自分がそうなった時に、俺たちに自分を殺させないために距離を取るつもりでいるのか。
俺たちにまた悲しみと苦しみを味わわせないように、1人でいることを選ぶのか。
…そんなことは、させるかよ。
その身に抱えたものはひどく大きいものかもしれない。けど、それを1人で背負わせるつもりなんか毛頭ないんだ。
俺は手のひらに力を込めてリイナの両肩に手を置いた。
「大丈夫だ、もう一度言うぞ。絶対にそんな事にはならないから、そんな心配はするな。」
「でも…っ…」
「そもそもヴァルガってのは、体内の細胞がインキュナ細胞に負けて精神と肉体のバランスを崩して変異した存在だろ。それなら大丈夫だ、お前は絶対に負けねえからな。」
「なぜそう言い切れるのですか…。」
「お前は強いからな。仮にもし不安になったりして負けそうになっても、それこそその時は俺の出番だろ。不安が無くなるまでずっと傍にいて支えてやるから心配するな。」
「そんなに簡単な問題ではないでしょう。あなたはいつもいつも軽すぎます、少しは真面目に考えてください。」
「逆にリイナは真面目に考えすぎだ。敢えて簡単な問題として考えるんだよ。そうすれば少しは気が楽にならないか?乗り越えられそうな気がしてくるだろ。」
「………………………」
真意を確かめるように、俺を見つめる2つの瞳が揺れる。
どれだけ見つめられたって、この言葉以外の考えなんかない。
けど、リイナの瞳に映るのはやっぱり最高に幸せだ。
リイナを好きになってから、ずっとこの瞳で俺だけを見ていてほしいと願っていた。
リイナの瞳に映る自分はどんなふうに見えているのかが知りたくてたまらなかった。
だからあの日、初めて溶けるように見つめられた時は、どうにかなりそうなくらい嬉しかったんだ。
もう一度あんなふうに見つめてもらうには、どうしたらいい?
どうしたら、またお前は俺だけを見てくれるんだよ。
それから、またリイナの頬に手を添えた。
さっきより少しひんやりとしてしまった肌を温めるように包み込む。
「俺はもう、お前と交わらない世界で生きるのは嫌なんだよ。お前の騎士になるって約束したのに、結局はそれを守る事が出来なかった。1人で命を失わせた事にどれだけ俺が悔やんだかわかるか?挙句にこんな重荷を背負わせて何年も知らずにいたんだぞ。」
「朔くんのせいではありません。これは私の油断が招いた事です。」
「でも約束を守れなかったことは事実だ。だから、これから先は守らせてくれないか。俺をもう一度、お前の騎士にしてくれ。」
「私の事が本当に好きなのであれば、なおさら今の私とは距離を置くべきです。これからは交流や連絡はできるではありませんか。全く離れるわけではないでしょう。」
「⋯2度とそんなことは言うな。それで俺が納得できると本気で思うか?お前はそれで本当にいいのか。お互いに好きなのに恋人じゃなくなるんだぞ?俺は絶対にそんなのは耐えられない。俺は何が何でもリイナの恋人の立場は降りないからな。リイナが俺を嫌いにならない限りな。」
「⋯私は⋯朔くんなんて⋯⋯」
「もういい、俺のために無理をして嘘までつこうとするな。」
「⋯っ」
それからゆっくりリイナを抱きしめた俺を、リイナは拒まなかった。
「何度でも言う。好きだ、リイナ。学園時代からずっとずっとお前だけが好きなんだ。あくまでお前はもう好きじゃないって言い張るなら、これからまたもう一度俺を好きになってくれないか。俺がお前を守るから、お前も俺を守ってくれ。」
「…………………」
「…ていうか、今も俺はお前の特別だろう?」
「……それ、自分から言います⋯?」
「自分のことで俺を悲しませたくないと距離をとろうとするくらいには俺を好きなのは事実だろう?」
わざといつもの調子でふざけてみせたら、胸の中でリイナが小さく息を吐いて笑った。
それからやっと、ゆっくり俺の背中に両腕が回って、ようやく俺たちは抱き合う形になった。
「あなたは相変わらずですね。軽いのか本気なのかわからない…そういうところに、私はいつも振り回されます。あなたは昔からずっと変わらない…私を振り回してばかり。」
「俺の気持ちもずっと変わらないからさ、ずっと振り回されていてくれよ、絶対に飽きさせないから。」
「私は恋人には安定を求めたいんですけどね…。」
「んじゃ、安定も与えてやる。絶対に浮気の心配もないと安心させてやるし、お姫様の願いはいくらでも叶えるぜ。」
「誰がお姫様ですか?」
「俺だけのお姫様はたった1人しかいないだろ。時には俺が守るお姫様、時には俺を守る騎士。そんな女の子はお前だけだ。」
「……なら、いいでしょう。私の騎士としては合格です。」
…………騎士としては?
と、少しだけ体を離してその瞳を覗き込んだ。
悪戯な2つの宝石がキラキラと輝いている、さっきまでのつらそうな憂いの色はもう見えない。
「…恋人としては合格か?」
「さあ、どうでしょうね…?」
「おい……いい加減に俺に落ちろよなぁ…。」
俺の片思いはいつまで続くんだ…と拗ねて見せたら、リイナはふんわりと笑った。
それは、俺をイチコロにするには充分な最高の笑顔で……ずっと見たかった、俺の大好きな可愛い笑顔だった。
…ていうか、あの頃の可愛らしいあどけない笑顔とは変わって、大人の女性の綺麗な笑顔だ。
会えなかったこの数年で、女の子ってのは随分と変わるもんだな。
いま改めてリイナに恋をし直した気がする。
過程を傍で見られなかったのが残念だ。
「私がいつ、あなたに落ちていないと言いました?」
「…素直に好きだって言えよな。」
ハッチでのあの時ですら、リイナからはっきり好きだと言われた覚えがない。
態度や表情から、ああ俺を好きなんだなと感じることはあったが…やっぱり、言葉で言ってほしい。
言葉ってのは最大級に最強の呪文なんだぜ。お前からのたった二文字で、俺をいくらでも浮かれさせることができるんだからさ。
俺はお前に対しては五文字の言葉を持っているんだが、それはいつ伝えれば効果的に作用するだろうな。
それを言いたくてたまらないのと、さっきから寄せている体同士の触れ合いに妙に意識して…あまりに柔らかい感触にもっとリイナを感じたくてウズウズしてくる。
気が早いが、とにかく早くリイナと深く恋人になりたくて。
俺だけのリイナになって欲しくてさ。
口で言わないならやっぱり態度で表してもらうか、と見つめたまま唇を近づけたら、鼻の先でまたリイナが唇を開いた。
「そういえば朔くん。前にクロノメイで話したことを覚えていますか?」
……またキスの拒否かよ……とガックリしながら、渋々答える。
「どの話だ?話ならたくさんしただろ。」
「私の光と闇の部分のことです。」
「…ああ、校舎のベンチで話したやつか。光の部分だけでなく闇の部分も愛してくれる奴なら恋をする、だったな。」
どうやら正解だったのか、リイナが満足げに頷いた。
俺がキチンと覚えていたことが嬉しかったらしい。
お前との会話を忘れるわけがないだろう。
「輪として闘う私は光なら、隠密になったことと私の体が抱えるものは私の闇の部分です。あなたはその私の闇も、受け入れて愛してくださいますか?」
「そんなの、今さら当たり前だろうが。俺はリイナの光だけが好きなわけじゃない。お前のどんな闇も受け入れて、一緒に抱えて生きていきたい。恋人っていうのはそんな存在だ。」
「…そうですか。」
「なあ…もう、キスしてもいいか?我慢の限界だ。」
「……大人なら少しは我慢したらどうです?いきなりがっつきすぎですよ。」
そう言いながらイタズラな笑みで見つめてきたから、俺をからかって楽しんでいるのがミエミエだ。
人の気も知らねえで……男の純情を弄んだらどうなるか、男の純粋な欲求をあまり焦らしたらどうなるかをいっそ身体で思い知らせてやろうか。
「もう我慢なんかしてやるかよ。」
「…っつき⋯んっ」
俺はそのまま、リイナの反論を塞ぐように唇を重ねた。
小さくふっくらとした柔らかい感触が伝わってくる。