(甘)恋物語の始まりは突然に
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それでも。
「じゃあ朔さん、次の潜入捜査はこの流れでいきますね。」
「おう、頼むぜ。」
「朔ちゃん、ついでにこちらの指示でちょっと質問なんですけどぉ……。」
「あ〜、それはだな………。」
執務室の打ち合わせ用の席で、キイチちゃんと喰くんと机を挟んで向かい合いながらテキパキと捌く朔さんを尻目に、私は隅の席で調べ物のために資料をパラパラと捲る。だけど、あまり内容が頭に入らない。
ちょっとした意見の食い違いから、堂々と言い合いをする朔さんとキイチちゃんの様子を見て……まさかキイチちゃんにまでは手を出さないよね…?と頭をかすめては、払拭を繰り返す。
いや、さすがに誰彼構わず手を出すほどの無責任さと節操なしではないでしょ、あれはあくまで酔って気が緩んだから、と思ったり。
じゃあ私への責任は?とか。
どんな女の子だったら責任を取りたくなるの?とか。
なかったことにするって決めたくせに、そんな考えがぐるぐる回り、時々ゆうべのことを思い出してしまったり。
これじゃあ仕事に支障が出ちゃう、ダメだ………と一息つくと、途端に眠気が襲ってきて小さくあくびをした。
「なに、リイナちゃん寝不足なの?」
「……え?」
顔を上げたらいつの間にかこちらを向いていた喰くんと目が合った。
今のあくびをばっちり見られたらしい……恥ずかしい、仕事に集中できていないのがバレバレ。
「う、ん……ちょっとね。」
「だいぶ眠そうだけど、打ち合わせ中にあくびとか、リイナちゃんにしては珍しいよね。」
「ごめんね、気をつけるよ。」
「まあ、滅多にないことだからいいけど。カフェインドリンクがあるけど飲む?」
「う〜ん…………。」
あまりお世話になったことがない類だけど、飲んだら集中できるかな…じゃないと仕事が進まないし、これも珍しい喰くんの気遣いだしな、と思っていると、向こうからもっと大きなあくびが響いて二人して振り向いた。
「ちょっと朔ちゃん、打ち合わせ中にだらしないあくびをしないでください!せめてもっと隠せですぅ!」
「ああ、悪い…ちょっと寝不足でな…。」
あくびのせいか目尻にかすかに涙をためている朔さんが、キイチちゃんに怒られて笑っている。
その朔さんがちらりとこちらを見たので、私は慌てて逸らして下を向いた。
「朔さんまで寝不足とか、嫌なお揃いだね、リイナちゃん。」
「……ぅえっ!?」
それは、ゆうべかなり遅くまで二人でイロイロと盛り上がってしまったから………とは言えるはずはなく。
弾かれたように上を向いた私を喰くんが不思議そうに見てくる。
……バレたら終わる。
変に観察力があって聡い喰くんなら私のおかしな様子ですぐ気づくかも、と思って内心焦りながらポーカーフェイスを気取ってみる。
そこに朔さんが口を開いた。
「昨日は二人で飲み過ぎちまったんだよな、リイナ。」
「はっ……!?」
「ああ、そういえばリビングルームでかなり騒いでいたよね。僕は絡まれたら嫌だから部屋に籠もっていたけど。」
「まったく迷惑な話ですぅ。お酒に寝不足なんてお肌の敵ですよぉ?」
「は…ははは…ごめん……………。」
一瞬焦ったけど、どうやら飲んでいたこと自体は二人とも知っていたらしい……これは、下手にごまかしたり嘘をつかなくてよかった。速攻でツッコまれて矛盾を詰められて終わりだ。
こればかりは助け舟を出してくれた朔さんに感謝しなきゃ。
そう思ってふと喰くんから朔さんに目を移すと、朔さんは私を見ていたのか、また視線がぶつかった。
「……っ……」
喰くんたちが二人で打ち合わせを続ける中、少しの間だけ見つめ合ってしまう。
そのあまりに真っ直ぐな目から、今度はそらすことができなかった。
それはほんのひとときのはずなのに、えらく長い時間にも感じて。
それがまたたまらなくなり、私は追加の資料を取りに行くふりをして席を立った。
執務室の、朔さんの仕事用の席と応接用スペースのテーブルセットが置いてある部分と、その隣にある今私たちがいる打ち合わせ用の机があるスペースを仕切るように、部屋の真ん中に設置された本棚。
その本棚の応接スペース側に回り込んで、並んでいる本の背表紙をじっと眺めた。
本棚の向こうで3人の声がする。
………あの真っ直ぐな目が、昨夜ベッドで睦み合っている間ずっと、私から逸らされずに注がれ続けていたことを、ぼんやり思い出す。
さっきの寝起きの時は混乱したけど、冷静になり段々と記憶が蘇ってきて。
お酒でひとしきり盛り上がって少し落ち着いてきた頃にふとあの目を向けられて、やっぱり一瞬見つめ合ったあと、朔さんは私を自分の部屋に誘った。
飲み直そうと言われたけど、わざわざリビングルームから改めて移動してまた飲むのは手間すぎるから、私と物理的に二人きりになろうとしているのがわかった。
さすがに、それの意図するところを読めないほど私は世間知らずじゃない。
朔さんがあの目をした瞬間に一気に空気が変わったのはすぐに気づいた。
でも私だってね、誘われて誰にでもホイホイついていくような軽さは持ち合わせていない。
だいぶお酒が回っていたから判断力は多少は落ちてはいたけど、自分の中の良し悪しの基準は鈍っていなかった。
……この人とならそうなっても良い、と思ったから、私はその誘いに頷いて、自分から朔さんの懐に飛び込んだの。
その後のことまでは考えていなかった、それはお酒に飲まれていたから考えなしだったのは否定しないけど。
勢いに任せてしまってもいいやと思うくらいには、一緒にいて楽しかったから。
前から朔さんのことが好きだったとか、恋とかそういう甘酸っぱいものは今まであったわけじゃない……けど。
だから結局軽い女だって言われたら、それまでなんだけど。
(………けど。けどね。)
あの時初めてあの目をした、それからずっと向けられていた目線は明らかに今までの上司の朔さんとは違う『男の朔さんの目』だったから。
その目で見つめられるのがあまりに心地よくて。
部屋に入ってから私を力強く抱きしめた腕も、その割に触れる時は優しかった指先や手のひらも。
宝物みたいに大事に扱われたあの一夜の中のひとときの時間は、まるで朔さんに心から愛されている恋人になったような気分でいさせてくれて、それが実は本当に嬉しかった、なんて。
「………………」
別に、今まで朔さんに恋をしていたわけじゃない。
だけど、まるでずっと前から一途に好きだったような気持ちになれたの。
朔さんの宝物みたいに扱われたあの時間が、私にとっても宝物になりかけていたことに気づいて。
だから曖昧にされそうになって、腹が立ったのよ。
さっきの誘いに乗ってまた部屋に行ったら、もしかしたらまたあの宝物の気持ちを味わえたかもしれない。
でもそういうのってずっとは続かないから、その時間が終わったらまた消えた泡を想うみたいに寂しくなる時間が始まるから。
それでまた次に誘われたら、私はまた応じてしまいそうで、その繰り返しになる。
だから、あの一度きりでなかったことにして終わりにしたほうがいい。
そんな関係を続けていたら、きっといつか私は、本気になってしまう。
朔さんを本当に好きになってしまう、そんな予感がある。
もしそうなっちゃったら、関係を持ちながら一向に恋人にはしてくれない朔さんを、恨んでしまうと思うから。
振り向かれないまま関係を続ける自分に苦しくなってしまう。
そしたら、もうあの時間は宝物の思い出じゃなくなっちゃうから。
本当に……良いかな、くらいの軽い気持ちで関係を持った。なのに。
後先を考えなかったばっかりに。
関係を持ってしまってから、好きになる可能性を、考えなかった。
無意識に俯いてしまっていたのか、気づけば私の視界は本棚じゃなく床になっていた。
自分のつま先を見つめて、ふうっ…と息を吐くと、気を取り直して顔を上げた。
それから気配を感じて横を向くと、本棚の向こうから身体を半分だけ覗かせた朔さんが立っていた。
「っ!!」
いつから立っていたのか、びっくりして固まる私に、朔さんは一瞬の真顔のあと、笑みを浮かべて近づいてきた。
「考え事をしていたみたいだが、どうした?打ち合わせで何かわからないところがあったか?」
「あ、い、いえ………」
「んじゃ、資料が見つからないのか?一緒に探してやるよ。」
「あ、大丈夫です!それならここに!」
慌てて背伸びをして本棚の上部に手を突っ込んで資料を引っ張り出すと、勢いで他の本まで飛び出して落ちてしまった。
バサバサッと降ってきた数冊が私の頭頂部やおでこにヒットすると、鈍い痛みが頭に響いた。
「い、っつぅ……っ」
「おい、大丈夫か?」
咄嗟に押さえた手で痛む場所を撫でていたら、朔さんが心配そうな顔で覗き込んできた。
そのまま私の手に朔さんの手が重ねられてその体温にピクッと反応してしまうと、朔さんは私の手をどけて代わりに自分の手を私のおでこに乗せた。
「コブや痣にならなきゃいいけどな。」
おでこから肌に伝わる手のひらのぬくもりと、すぐ傍にある朔さんの顔に、不覚にもドキドキしてしまう。
この手にゆうべ触れられたのだと思うと、つい朔さんの顔を見つめてしまう。
この唇とキスもしたな、何度も何度も………。
…どうして、また触れたい、って思ってしまうんだろう。
ふと、おでこに向かっていた朔さんの目が、こちらに移ったのでまた合った。
そのまぶたが軽く細められ、おでこにあった手が頬に移動しながらゆっくり顔が近づいてきたので、私は無意識にまぶたを伏せた。
また流されそうになる……でも、このまま触れ合わせたいと思ってしまった。
その温もりと感触が唇に触れる瞬間を思うとドキドキする。
だけど、朔さんは直前で止めてすぐ目の前で私の瞳を捉えた。
それから、私にしか聞こえないほど小さな声で囁いた。
「ゆうべのこと、本当は覚えているんじゃないか?」
「…っ!!」
びっくりして伏せていたまぶたを開くと、射るような目で見つめられた。
離れることを許さない強さを感じて、身体を拘束されているわけでもないのに身動きができなくなる。
本棚の向こうで喰くんとキイチちゃんの声が聞こえてくるのに、私と朔さんの間は痛いほどの沈黙。
朔さんは私の肩を掴むと、少し押して私の背中を本棚に押し付けた。
そこにまた朔さんの中の男性の部分を感じてしまい、目を合わせられなくて視線をうろうろと彷徨わせてしまう。
「なんで覚えていないふりをするんだ?」
「…そ、れは……」
思い切り動揺しているのが丸わかりで、どうにもごまかしようがなかった。
「…俺としたこと、後悔しているのか?」
「…っ…ち、が……」
(……違う。)
なんであんなことをしてしまったのか、お酒と雰囲気に流された考えなしなことはうかつだったとは思うし、いっそなかったことにしたいとも思ったけど……後悔は、自分でも驚くほどしていない。
それはなんでなのか。
なんで私は後悔していなくて、朔さんに軽く扱われるのは嫌なのか。
どうにも絡まり合ったごちゃごちゃした思考や感情を取っ払って、自分の気持ちにきちんと向き合えば、出る答えは至極シンプルで簡単なものだった。
向き合うのが怖い。私の気持ちを否定されたらどうしよう。だけど、もう逃げてはいられない。
私はゆっくりと息を吐いた。
「……………で」
「うん?」
俯いてボソッと呟いた私の声をうまく聞き取れなかったのか、朔さんはもっと顔を近づけた。
漏らさず私の言葉をきちんと受け取ろうという意思を感じる。
その朔さんの行動に、私への気持ちの甘い期待を寄せてしまう。
だからもうこの時点で、なんだ私、朔さんのこと……とっくに好きになっているんじゃないの、と、思い知ってしまった。
だから腹が立ったんだ。
私が一度受け入れたことを、軽く見られたみたいで。
「…身体だけの関係は、嫌なので…」
思い切って言ったけど、俯いていたから朔さんの表情は見えなかった。
その代わりに、朔さんは盛大なため息をついて私の肩におでこを置いた。
やっぱり面倒がられたかなあ、とびくびくする私の耳元に、焦ったような声が響いた。
「身体だけで終わらせるわけがないだろうが………。」
「え…?」
「いや、悪い…はっきりさせないまま迫った俺が悪いな。」
朔さんは顔を上げて、また私に向き直った。
「俺はもう、ゆうべの時点でお前とは付き合えたもんだと思っていたよ。お前はなんとも思っていない男と寝られるタイプだと思っていなかったからな。」
「っ!!??」
あまりにびっくりして朔さんを見ると、朔さんは少し気まずそうに苦笑いをした。その表情に嘘はないことは見てわかる。
じゃあ朔さんは、そのつもりで…私と、とっくに付き合っているつもりだった、ってこと?
今夜また部屋に誘ったのも…ワンナイトの継続じゃなくて、きちんと恋人として過ごすつもりで?
「…………………………」
「リイナも嫌がらずに受け入れたから、これでリイナと付き合えるんだなって1人で勝手に浮かれていたわけか…。一向に俺の気持ちが伝わってねぇとか…。」
「……朔さん、私のこと好きだったんですか?」
「当たり前だろ。好意もない女の子を無責任に抱いたりするかよ。そういうのは責任を負いたい相手にしかしない。」
「……っ」
完全に、朔さんのことを誤解してた………よくよく考えれば、朔さんは女の子をそういうふうに扱う人じゃないのに。
いつだって優しくて紳士なのに。
きちんと朔さんの気持ちを確認しないまま受け入れた、自分の軽率な行動が悪かったのに、勝手に不安になって疑心暗鬼になって勝手に疑ってかかるとか、もう……………。
ゆうべの朔さんがどれだけ私に優しかったか、私はちゃんと感じていたのに。
…そっか。私はちゃんと朔さんに愛されていたのかぁ…………。
あの優しい指も声も、全部嘘なんかじゃなかったんだ。
あからさまにホッとする私に、朔さんは少し気まずそうな表情で指先で頬を掻いた。
「いや、明確な言葉を言わないままで迫った俺が悪かったな。完全に酔っていたし、とにかくお前とそうなりたくてたまらなくなって口説くより勢いで……終わってすぐダウンしたし、朝起きたらちゃんと話そうと思っていたら、いなくなってるし。んで覚えてないとか言うし…。なかったことにされるのかと焦ったぜ…。」
「……す、すみません…なんか……。」
「お前が謝る事はなにもないんだが……ちゃんとした約束もないまま先に身体の関係を迫るとか、女の子にしてみれば不安になるよなぁ。」
「………………っ……」
「お前も酒の勢いだっただけで、冷静になったら俺とそうなったことを後悔したのかと。」
「……こ…後悔は、してない、です…。」
「…本当に?」
恐る恐る探るような視線に、私はこくこくと首を縦に振って頷いた。
いつも余裕しか見せない朔さんが、私の出方を窺うような目を向けている……そこにちゃんと、嘘偽りのない本音を感じて、私は素直に嬉しくなっている自分に気づいた。
朔さんが私を好きとか……それも、きちんと女の子としての私を見ていて、だからああいうこともしたくて迫ってきたとか。
(…くすぐったすぎる…)
まさかの上司に想いを向けられていた。
え、いつから?いつから私を好きだったの?なんで?
めちゃくちゃに聞いてみたい。
と同時に、自分に注がれているその気持ちの中身を詳しく知りたがっている私は、やっぱり……そう、なんだろう。
よほど朔さんを気にしているんだろう。
そんな自分の気持ちを自覚してしまったら、今度は妙に照れくさくて、恥ずかしくて、多少の気まずさもありまた視線を泳がせる。
それだけじゃ足りず、本棚に背中を押し付けられている今の体勢と眼前にある朔さんの顔からも逃げたくなって顔を横に逸らした。
すると、それは許さないとばかりに頬に添えられた手で強引に前を向かされた。
いやに真剣な顔つきの朔さんと目が合う。
「……なあ、リイナ?」
「は、い…?」
あれ、これは怒られる?勝手に軽い男だと思ったこと…と思ったけど、真剣な顔は口角を上げて、段々とニヤリとした表情に変わった。
……なんか逆に身の危険を感じるような。
「お前、俺のこと好きだろ?」
「はっ!?」
「いや、正しくは好きになってしまっている、か?身体だけの関係じゃ嫌で俺を避けるとか、もうそれ俺が好きなんじゃねえか。俺の恋人になりたくてたまらないとか。」
「解釈がポジティブすぎません!?普通ワンナイト狙いを疑われたら怒りません!?」
「ん〜、それは不安にさせた俺が悪いのは確かだから、怒るのはちょっと違うな。それに、お前の気持ちはもう事実だろ?…俺のことが好きだろう?」
「…う…………」
………認めてしまったらもう、引けなくなる。
この気持ちを言ってしまったら、これから違う未来が待っている……私と朔さんの、今までとはまったく違う関係が始まってしまう。
それはとても気恥ずかしくて、くすぐったい……だけど絶対に甘くなる関係。
正直、身体から始まるこんな展開でいいのか?と思わなくもないけど……好きになるのに、型通りの始まりばかりじゃないってことくらいは、さすがにわかる。
……私が覚悟をして言葉を発するのを、じっと待ってくれている朔さんの瞳が、かなり期待に輝いているのが見ていてわかる。
私が前向きな話をするのを待っている。
だからもう……素直になるしかない、と腹をくくった。
「…好き、だと思います…。」
ちょっと曖昧な感じになっちゃったけど、それでも朔さんは満足げに微笑んだ。
いつものイタズラな笑みじゃなくて、本当に心から幸せそうな笑顔だったから、私の胸を切なく温かくさせるには充分だった。
ちゃんと私を好きでいてくれているのを、疑いなく感じられる。
こんな愛情表現を受ける日がくるなんて思わなかった。
優しい指が頬をくすぐるように撫でてくる。そこにすら朔さんの慈しみを感じる。
「なら、…俺と付き合ってくれるよな?もうずっと前から、俺はお前とこうなることを願ってタイミングを見計らっていたんだからな?俺のほうがリイナの恋人になりたくてたまらないんだよ。」
これでもかと甘い口説き文句を繰り出してくる朔さんに、もう勘弁して…と恥ずかしさに音を上げそうになりながらも、一生懸命に頷いた。
「もうお前に触れてもいいんだよな?」
「……………はい。」
今度はちゃんと言葉にして言ったら、朔さんはゆっくり顔を近づけてきた。
そのまま目を閉じて受け入れた唇は、お酒でふわふわしていた時の記憶と違ってかなりリアルな感触で、あまりに温かくて柔らかくて、ずっとこうしていたい気持ちになる。
心まで暖かく、トクトクと心地よく胸が鳴る。
一度離れて、本当に恋人同士みたいに甘く見つめ合ってから、もう一度触れ合わせるためにどちらからともなく顔を近づけて目を閉じる。すると。
「…朔さんとリイナちゃん、戻ってこないね?」
「いつまでもグズグズと何をしているんですかねぇ。」
「おーい、二人ともちゃんとそこにいるー?打ち合わせ終わらないんですけどぉー?」
「朔ちゃーん、サボっていたら承知しませんからねぇ?」
喰くんとキイチちゃんの声に二人してハッとして離れると、本棚ひとつ向こうでラブシーンをしてしまったことが急に恥ずかしくなった。
「……おー、今行くぜ。」
朔さんはつとめて明るい声で返事をしながら、また私を見つめて頭をポンポンと撫でた。
それから唇の代わりにおでこにキスを落とされて、私は顔が熱くなった。
…い、いきなりさっきの今で恋人いちゃラブモードが過ぎる!!
内心焦って真っ赤になる私を、朔さんがニヤニヤと見てくる。
「その顔、あいつらには見せられねぇから、落ち着いてから来いよ。」
「……はい。」
「………………………。」
「…な、なんですか?急に黙って…。」
「いや…ゆうべのベッドでのお前、めちゃくちゃ可愛かったなって。酒が入っていたせいで1回で潰れていなかったら一晩中いけたな…。」
「!!!さ、さすがに死にます!!」
「ハハッ、結ばれた途端に腹上死か、たまらねえ死に方だな。」
「〜〜〜〜っっっ!!もうさっさと仕事しろ!!!」
それから、ひとしきりニヤついてからきっちりお仕事モードに切り替えて先に戻った朔さんを責める二人の声と、軽〜くあしらう朔さんとのやりとりが響く中、私も仕事スイッチを入れるために胸を押さえながら深呼吸を繰り返した。
(……朔さんと本当に恋人同士になってしまった…。)
正直あの人と付き合ったらどんな交際になるのか…イマイチ想像できないところはあるんだけど。
でもきっと、今まで以上に恋人にしか見せない顔で優しく慈しんでくれる……きっと良いお付き合いになる、それだけは信じられた。
気を取り直して行こうと気合いを入れたところで、ふとポケットの携帯が鳴った。
緊急の任務か貳組の誰かかな?と取り出して画面を開くと。
『お前、あんまり俺の前で喰といちゃつくなよな。俺の前以外でも許さねえけどな。』
「……っ!!?」
表示された文字に慌てて携帯を落としそうになった。
え、別にいちゃついてないけど…?
さっきの優しかった喰くんとのやり取りに、あの人は内心思うところがありながら見ていたのだろうか…。
……だよね。だってあの時には既に、私のことを恋人だと思っていたんだもんね…。
恋人が他の男に優しくされているのを見るのは複雑だよね…。
(…なんていうか…朔さん、めちゃくちゃ私のことが好きなんだな…。)
もしかしてめちゃくちゃ愛情表現をしてくるタイプなのか、だとしたらなんで今まで朔さんの気持ちに気づかなかったんだろう、と思っていると、また携帯が鳴った。
恐る恐る開いてみる。
『言い忘れたけど、俺けっこうお前のことが好きだからな。あとでゆっくり教えてやるから。今夜ちゃんと部屋に来いよ。』
「…ぶっ」
変わらず打ち合わせが続く声が響く中、私はあまりにも甘すぎるメッセージに腰が抜けそうになった。
…いまどんな顔をして打ち合わせをしながらこんな文字を打ってるの、あの人…。
仕事中はプライベートな感情は完全に隠せるタイプか…なら、今までその気持ちに私が気づけなかったのはもう仕方がないよね…。
巧妙に隠して気づかれないようにしていたのだろうから。
(…やっぱり今夜、部屋で会うつもりなんだ。)
お酒が入っていない状態で二人きり………もし、あんなこんなな展開になったら?
密室に二人なんて、絶対またいちゃいちゃしてくるじゃない……。
シラフで対応できるだろうか。
まさかまた泊まりになるかも。
酔った勢いもなにもなく、泊まりで…あんなことを……?
いや、無理、絶対に無理。
1回したのに今更だけどまだ心の準備が…!!
………逃げようかな……………と、性懲りもなく逃げを画策していたら、またまた携帯が鳴った。
今度はなに!?
もう驚かされないよ!?と画面をタップ。
『昨日お前が部屋に忘れていった髪留め、俺が外してやったやつな。あれキイチから誕生日にもらった大事なお気に入りだって言っていただろ。もし逃げたら俺が届けに行くからなー?』
「………………………………………」
髪留めを人質に、逃げたら追いかける、ということですか。
なんで私が逃げようか考えたかわかるの?……私のパターンがわかられすぎていていっそ怖い。
逃げさせてもらえない…これは、とんでもない人に捕まったかもしれない。
「…………はあ。」
でもけっこう、追いかけられる恋愛も悪くない、と思ってしまう。
真っ直ぐに伝えてくる朔さんの気持ちが、あまりに嬉しすぎて。
その気持ちに、真っ直ぐに応えたいと思ってしまっている自分も相当だ。
……………仕方ない。覚悟を決めるか。
あの髪留めは確かに誕生日にキイチちゃんがくれたもので、たまたま街で偶然目に入っただけなので、お祝いではないですけどぉ、と押し付けるように渡されたものではあるけど、きちんと私が好みそうなデザインかつ私が気を使わないように高価すぎず、かといって安いものではないだろうを絶妙に計算された逸品だった。
キイチちゃんがちゃんと気遣って選んでくれたのがわかるから、すごく嬉しくて朔さんに散々に自慢したんだった。
当の選んだ本人は、そんなものひとつで喜ぶなんてお手軽ですねぇ、と軽口を叩きながらもまんざらでもなさそうだった。
可愛い後輩がくれた大事なものだ、きっちり取り返しにいくか……と、まだ恋人同士のはじまりに恥じらいを感じる自分の心を奮い立たせながら
私はまたポーカーフェイスを気取って打ち合わせに戻ったのだった。
そういえばその髪留めの自慢をした朝、朔さんに、なら夜に祝いに飲もうぜと誘われて二人で飲むことになったのが昨夜なのだけど
部屋で二人きりになったときに、渡したいものがあると言われて渡された箱の中身は、その髪留めによく合うデザインのブローチだったことを、私はあとから思い出した。
朝にその髪留めを見せられて自慢された朔さんが、私があまりにそのデザインを気に入っていたのを気に留めて
昼の任務の合間に街で似たデザインのアクセサリーを探し回っていたこと
夜に飲みながら渡そうとしたら先に帰ってきていた喰くんからもらった花束にもかなり喜んでいた私に、これだけじゃダメだと思い
とりあえずさり気なく様子見でブローチを渡してみたら、思いのほか嬉しそうにした私に辛抱たまらなくなった朔さんは、酔った勢いもあって告白をする前に思わず抱きしめて押し倒してしまったこと
予想外に嫌がらず受け入れた私に、そのまま歯止めが聞かず一線を越えたこと
本来渡すはずでずっと前から用意していたプレゼントは、今日このあとに花でいっぱいに飾られた部屋で渡されることになること
そして本当は誕生日の夜であった昨夜に、告白とともにそれを渡すはずだったことを
私は今夜、知ることになる。
そのプレゼントと、それらの真実、改めての熱烈な愛の告白を、私が恥ずかしがり照れながらもしっかり受け取ったことで、私はまた朔さんに押し倒され翻弄されることになるのだった。
おわり
2025.03.05
わりと愛重めな朔さんでお送りしました
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