年下の彼
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「っよおし!準備もできたし、乾杯しよっ!!」
ほとんど準備したのは私と一ノ瀬くんなんだけど、一番張り切っている嶺ちゃんがグラスを掲げた。
でも、こうして誰かと集まってワイワイするのひさしぶりだし、ちょっと楽しいかも?
「ではではぁ、トッキーデビューおめでとー!!」
「おめでとー!」
「ありがとうございます。」
カチンとグラスをぶつけ合って、これまたひさしぶりに口をつけたチューハイは、甘い果実にふわりとアルコールの香りがして、二十歳になって呑み始めたばかりの私には、まだ慣れない味。
だけど一ノ瀬くんはソフトドリンクで酔うことはできない、もっと楽しくないだろうなあ。
と、ちらりと一ノ瀬くんを盗み見たりして。
うう、相変わらずイケメンだなあ……飲む姿も様になる……。
「はーい、今日は無礼講だからぁ、かなちゃんもじゃんじゃん飲んで!じゃんじゃん飲んで!」
「はぁ…あの、でも、私まだあまり量は飲めないからね?」
もしや酔わせて潰す気かとも思うくらい、とくとくと注がれていくグラス。
飲み慣れていないから身体がまだアルコールに強くないんだけどな。
それに明日も仕事だし顔が浮腫むし…と思っていたら、一ノ瀬くんが助け舟を出してくれた。
「寿さん、明日もあるんですから、ほどほどにしてください。私は知りませんよ。」
「大丈夫!ちゃんと計算して飲むからっ。」
………と、言っていた本人が、一番最初に撃沈した。
「寿さん!起きてください!」
テーブルに突っ伏したまま爆睡し、動かなくなってしまった嶺ちゃんを、一ノ瀬くんが揺さぶるけど…まったく起きる気配はない。
赤い顔でむにゃむにゃしていて一ノ瀬くんが呆れたため息を零した。
私もやはり酔いが回って、くらくらしながら少しだけテーブルに伏せた。
「綾瀬さんまで…全く…。」
呆れ気味の声と静かな足音が聞こえてきて、ふわりと頭に何かが乗った。
たぶん一ノ瀬くんの指が、優しく私の髪をすいて撫でてる。
男の人らしい大きな手。ちょっと気持ちいいかも。
それにやっぱりちょっとドキドキして、抑えるためにも顔は見ないように伏せているしかない。
「綾瀬さん?寝てしまいましたか?」
「……………」
もう、私もどんな顔で一ノ瀬くんを見たらいいか、わからないの。
お酒でぼんやりした頭では深く考えることができない。
理性のタガが外れてしまいそうで怖かった。
「……貴女に好意を寄せている男に無防備な姿を見せて、なにがあっても文句は言えないんですよ?」
「…大丈夫、一ノ瀬くんは優しいから。」
優しいから。
私の意志に反することはしない。
そう念押ししてみたけど、伝わったかな。
「やはり起きていましたか。買いかぶりすぎです。私だって年頃の男なんですからね。なんでしたらこの身で証明しましょうか?」
「…あまりお姉さんをからかわないの。」
アルコールのせいでふわふわして、どうしても軽口になっちゃう。
それでなんとか雰囲気が変わりそうなのをかわそうとしたけど
それが一ノ瀬くんは面白くなかったのか、頭を撫でていた手の動きが止まった。
「からかってなどいませんよ?正直に、今だってかなり我慢しているんです。」
「……嶺ちゃんを、なんとかしなきゃね…。」
一ノ瀬くんの言葉を避けるようにして
ゆっくり立ち上がって、少しふらつきはしたけど、向かいの席で寝ている嶺ちゃんのところまで行った。
「これ、たぶん起きないと思うから。背中が痛くなっちゃうし、ソファーに運ぶのを手伝ってくれない?」
「…このまま泊めるのですか?」
「それしかないでしょ。」
刹那、一ノ瀬くんの眉間にシワが寄った。
「ほら、また眉間にシワ。くせになるよ?」
「寄りもするでしょう。安易に男を泊めるなど…褒められた事ではありません。」
「大丈夫だよ、この調子なら。それに、たぶん嶺ちゃんは私に手を出すことはしないから。」
「何故そう言えるんですか、彼も立派な男性ですよ。それも貴女より年上の。危機感がなさすぎます。」
「んー…長い付き合いだからわかるっていうか。私は妹みたいなものだよ、女として見られていないんじゃないかな?たぶん、今日だって一ノ瀬くんのためにセッティングしたんだと思うし?」
「私のため?」
嶺ちゃんはきっと、一ノ瀬くんの気持ちに気づいているから。
そして、私の気持ちも。
だからなんとかしようとしたんだと思う。
だから、嶺ちゃんは私にとっては先輩を越えてお兄ちゃんみたいな存在だ。
シャイニング事務所に来たとき、一番に私を気にかけて色々とお世話をしてくれたのは嶺ちゃんだったから。
気安いけど時々年上の先輩みたいに、お兄ちゃんみたいにしてくれる嶺ちゃんを私は尊敬している。
私も後輩にとって、嶺ちゃんみたいにお姉ちゃんみたいな先輩でいたい。
だから後輩の一ノ瀬くんを大事にしたいんだ。
例え一ノ瀬くんが私を女として見ているとしても。
私は一ノ瀬くんを男として見てはいけない。
「お願い。ね?」
「…では、私も泊まります。それでいいですか?」
「………ま、二人きりで誰かにバレるよりは、いいかな…。」
さすがに、なにもなくても誤解される。それはまずい。
一ノ瀬くんも万が一を純粋に心配してくれているんだろうから。
一ノ瀬くんに嶺ちゃんをお願いしている間、私は毛布をとりに寝室に向かった。
ソファーで、寒くなってきたから厚手のがいいかな…と、クローゼットの奥から客用枕と一緒に毛布を引っ張り出す。
トントントン…と、階段を登ってくる音がした。
「寿さんをソファーに寝かせましたよ。」
「ありがとう。いま行くね。」
毛布を持ち上げて出口に歩いたけど、そこを一ノ瀬くんに立ちふさがられてしまった。
一ノ瀬くんはとても真剣な顔をしていて、ちょっと、これはまずい?って本能的に思ったときには、遅かった。
寝室なんてプライベートゾーンに男の人を入れたことなんかなかった。
だから妙に意識してしまう。
でも一ノ瀬くんは、さすがにドアから中までは入って来なかった。そこに彼の気遣いというか、誠実な人間性を感じてしまう。
私をいま無理やりにどうにかする意志はない、って。
「では、私はどこに寝たら良いですか?貴女と一緒にこちらのベッドですか?」
「え!?な、そんなわけにいかないでしょ!」
「私を泊めるというのがどういうことか、考えていなかったのですか。そのくらい、貴女の中の私は男として存在していないのですか…。」
「それ、は…そんなことはないけど」
「それとも…寿さんがいるから何もないだろうと思っていましたか…?」
……ちょっと、思っていました。
でも、甘かったのかな。
どうにかするつもりはなくても、一ノ瀬くんの想いを私が受ける気はあるか問いてくる可能性はあったのに。
ずっと2人きりになるのは避けてきたのに、今日は嶺ちゃんがいるなら大丈夫だと勝手に思っていた。
それを一ノ瀬くんはずっと焦れていたのかもしれない。
…………なんとか、この場を乗り切らないと。
「私…下に布団を敷いて寝るから、一ノ瀬くんはこのベッドに…」
「下には寿さんがいます。そうはいきません。」
「じゃ、下で嶺ちゃんと一緒に寝てくれる?」
「……綾瀬さん。」
間に廊下と寝室の境目。
それがまるで私たちの立場の境界線のようだった。
そこを勝手に乗り越えようとはせず、ずっと私の意志を確認しようとしていた一ノ瀬くんが、ついに越えて私のプライベートゾーンに一歩踏み出してきた。
突然抱き寄せられて、バサリと足元に毛布が落ちた。
一ノ瀬くんの腕が力強くて、熱い。
私の心の中に入り込もうとする彼を、なんとか拒みたくて身体に力を入れる。
「あの、早く毛布を…嶺ちゃんが風邪引いちゃうから…」
それでも、一ノ瀬くんは聞いてくれない。
腕の力がだんだん強くなって、私は動けなくなった。
「寿さんが私のためにセッティングしたというのなら、素直に甘えることにします。」
少しだけ離れて、一ノ瀬くんの大きな手が私の頬を包んだ。
いまにもキスできそうな距離に、かち合った視線を外せない。
「このまま…お酒の勢いに流されませんか?」
「…なにを言っているの、飲んでいない人が。」
「そうですね。そのシラフの私を泊めるといったのは貴女です。そして貴女は酔っているでしょう?勢いに流されてください。」
「…もう、さめたよ…だから流されるのは無理。…離して?」
今までにない近い距離での見つめ合いに、熱い身体に…私の胸は素直にドキドキを早めてる。
「怖いんです。いつか誰かにつけこまれそうで…。この世界に生きるには、貴女は純粋すぎます。」
「それはちょっと買いかぶりすぎかな…お姉さん、あなたより2年分は多く人生経験があるんだよ…?」
「……綾瀬さん。いえ、かなでさん。」
「……っ……」
突然一ノ瀬くんの顔が近づいてきて、キスされるかと思ってビックリしたけど…一ノ瀬くんの唇は、私のこめかみに落ちた。
「貴女が好きです。」
「え…」
「前に言ったでしょう?デビューが決まったら、あらためて貴女に告白しますと。」
「…っ…」
「私にはもう、1ミリも、欠片ほども可能性はありませんか。貴女は私に、少しも男としての魅力を感じてはくださいませんか?」
「…一ノ瀬くんは、充分魅力的な男の子だよ?でもそれは、私じゃなくてこれからたくさんの人たちに知られていかなきゃ。」
「…わかっています。ですが、私はかなでさんにとっても魅力的でありたい。アイドルの私も、プライベートの私も、幸せでありたいのです。」
「…欲張りさんだなぁ………。」
触れられた箇所から、じんじんと熱が伝わって熱くなっていくような、そんな錯覚に包まれる。
一ノ瀬くんが思っているほど、本当は私は一ノ瀬くんを年下扱いなんてしてない。
実年齢よりもずっと、考え方も性格も大人だと思う。私よりずっとしっかりしている、立派な男性だと思っている。
でも、やっぱり18歳は18歳で…。
まだデビューしたての新人アイドルなのに。
これからどんどん頑張っていかないといけない。
充分に大きく育つ可能性を秘めているのに。
きっと、世に出た一ノ瀬くんはたくさんの人の目に触れて、たくさんの人たちに愛される。
彼もまた、そんな愛をくれる人たちに、愛を返していかないといけないのに。
だから私1人に構っている暇なんてないのに。
私は先輩だから、彼を導いていく立場なのに。
私だってまだまだもっとアイドルを頑張りたい。
頑張っている私を見せたい。
一ノ瀬くんにとって良い先輩になりたいのに。
なのに……。
この腕に甘えたくなっている自分が抑えられない。