Trigger


きっかけ【切っ掛け】:物事を始める手がかり。糸口。また、原因や動機。


『木暮さんのネクタイ、よく見たらウサギの柄なんですね』


彼女のこの一言が、きっかけだった。




この会社に就職して、気付けばもう10年以上になる。正直、俺でなければできないという物ではなく、誰がやっても良いような仕事を何となく続けている。
 
3年前に結婚した妻とは人の紹介で知り合った。控えめで穏やかで料理が上手い〝理想の奥さん〟という感じだ。

飛び抜けた何かは無いけれど、平凡で幸せな日々を送っていた。




「木暮さん、お客様がお見えです」

商談相手が来たようだ。資料をまとめ、予約した会議室のドアを開くと、そこにはいつものヘコヘコと腰の低いおじさんではなく、1人の女性が座っていた。


『初めまして。本日、代理で参りました』


俺はその女性の美しさに圧倒された。白いブラウスの上からでも分かるふっくらとした胸、タイトスカートからすらりとのびる黒いストッキングを纏った脚、長く美しい黒髪、鮮やかな赤の口紅が妖艶さを助長している。

あまりの衝撃に暫く動けなかった。


『あの…?』

「ハッ…す、すみません。別の方がいらっしゃるとは思わなくて…」


慌ててカードケースから名刺を取り出そうとする仕草を見て、彼女はクスクスと笑っていた。



無事に商談を終え、スケジュールについて話していると彼女がスッと俺の胸元を指さした。


『木暮さんのネクタイ、よく見たらウサギの柄なんですね』


この時の彼女の表情、指の角度、声の発し方、その全てが美しく、俺は開けてはいけない扉を開けてしまった気がした。







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