月巡りて、満ちる。
十五夜とは、秋のど真ん中に出る満月の夜のことらしい。
秋の空は高くて、鮮やかなのは何となく分かっている。でも夜空をちゃんと見上げたことなんて思えば無かったかもしれない。それならば、この十五夜という素敵なイベントにあやかって見てやろうじゃないかと思った。そんな訳で急遽思い立ってマンションの屋上に来ている。どうせならトコトン楽しんでやろうと、ワイングラスととっておきの大吟醸も持ってきた。
透き通った液体を通してようやく月を見上げる。何だか思ったより普通というのが正直な感想だけど、この月が昔からずっと愛されてきたのであればそれだけでもう愛おしく見える。
少しだけグラスを上げて、こっそりと乾杯をした。とっておきの大吟醸は口に含んだ瞬間、フルーティーな香りでいっぱいになる。サラサラなのに喉を通る時は粘性があるようにも感じ、飲んだ後に鼻から息が出ると、全身が温かい何かに包み込まれているような、そんな感覚になった。
夜の風は少し冷たくて、酒で熱った身体にはちょうど良いくらいだった。
こんなにも穏やかで贅沢な時間があるだろうか。そんな余韻に浸るのも束の間、背後から声がした。
「こんばんは。お隣りええですか?」
見るとそこには一人の男の人が立っていた。肌が白くて、髪の毛がサラサラと風に靡いている。少し釣り上がった細い目がニコニコと微笑みかけてきて、何だか吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚に陥った。
『…良いですよ。お兄さんいつもここ来てるんですか?』
「んー、満月の夜だけ、かなぁ」
『え、もしかしてお兄さん月から来た兎とか?あはは』
冗談で言ったつもりだった。でも彼はニコニコしているだけで、肯定も否定もしない。何処となく不思議な雰囲気があるし、もしかしたらそうなのかもしれない。満月の夜だけ人の姿になって、地球に降り立つんだ。
なんて素敵なのだろう。
月の綺麗な夜にイケメンと並んで座り、大吟醸を飲めるだなんて。
生きてて良かった。
なんて大袈裟かもしれないけれど、私は妙な幸福感で満たされていた。
何でこんな所にいるのかとか、普段はどんな仕事しているのかとか、そういう余計な事を一切聞かれない。ただ優しく微笑み、黙って空を見上げる。見知らぬ人との沈黙がこんなにも心地良いのは初めてかもしれない。
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