嫌いだとでも思ったか
たしかにケツァルコアトルのことは愛している。それはもう痛いほど。たまに殴られて本当に痛いが、それすら許してやれるほどには愛している。
物を投げ合う喧嘩だってするし、怒鳴り合うし、お互いを投げたことだってあるが、それだって好きだから遠慮なく振る舞えるというものだ。
聖人君子 じゃないんだから全てを優しく受け入れて包み込み、歯の浮く愛の言葉を囁くなんて出来やしないのだ。
そう、テスカトリポカは聖人君子ではない。戦争を司る、エルドラドの世界代行者だ。本当に聖人君子を訪ねたいならルールメイカーズにでも行けばいい。たぶんいる。きっといる。いたらいいな、君たち。
そんな優しくも慎ましやかでもないテスカトリポカは、同じく慎ましやかではないケツァルコアトルの部屋を訪れていた。
ベッドに横たわり、だるそうにしている半身の顔を見にやって来たのだった。
「ざまぁないな、ケツァルコアトル。気圧にやられておねんねかね?」
「うるさい。今だるいんだ。喋るな」
テスカトリポカに背を向けるように寝返りをうつケツァルコアトルに、背を向けられたジャガーの獣人は小さく息を吐く。
部屋の中に足を踏み入れ、ベッドのそばまで歩み寄ったテスカトリポカは、ケツァルコアトルの目の前にパウチ状の何かを置いた。
スポーツドリンクをゼリー状にした飲み物だ。それが分かって、ケツァルコアトルは視線だけをテスカトリポカに向ける。
「起き上がらなくていい。寝たまま飲み給え」
「……うん」
「まったく。なぜ言わんのだね、体調のことを。私は優しくないのだよ? 見捨てるところだったじゃないか」
「結局見捨てずにこういう物を買ってくるあたり、優しいんじゃないのか」
気だるそうに指摘を入れるケツァルコアトルに、うるさいなぁ、飲み給えよ、と返すテスカトリポカは、ゼリー飲料を口にする彼にポツリと訊ねた。
「熱はないのだね?」
ケツァルコアトルは小さく頷く。
「……食欲は?」
ケツァルコアトルは小さく首を横に振る。
そうか……と呟くテスカトリポカは、ケツァルの髪をサラリと撫でて、立ち上がった。
「今日はうどんでも茹でようか?」
「うん」
気圧に負けている竜蛇は、ゆっくり頷いて、世界代行者である彼を見送った。
キッチンの換気扇をつける。ウワン、と音を立てて風が生まれる。その中でテスカトリポカはため息を一つついた。
今日はケツァルコアトルが食事を作る番だった。それが、体調不良により急きょタッチ交代。三日連続でテスカトリポカのターンとなったわけである。
大変なんだからな、食事の用意をするのも。などと愚痴をこぼしつつ、テスカトリポカは乾麺のうどんを茹で始める。調子が悪い竜蛇のために、やや柔らかくすることにした。
別に優しさからこうしているわけではない。
交代した分の食事当番など、後でケツァルに押し付ける気でいる。
片割れのことが心配でないといえば嘘になるが、じゃあ心を砕くべき事態かというとそうでもない。
昔からの癖で、世話を焼いてしまう部分があるだけだ。
いつものノリ。慈しみだとかそういうのではない。これがもしケツァルコアトルでなく別の誰かだったなら、やはり見捨てているだろう。
心清いわけではないのだ。
ふらりとリビングにやって来たケツァルコアトルに気づき、テスカトリポカは彼を椅子に座らせた。テーブルにうどんの丼を置いて、未だに気圧にやられている片割れに問う。
「……しんどいかね」
「ちょっと楽になった。けど、喧嘩できる気分じゃない」
「それは重症だ」
からかうように返したテスカトリポカに、ケツァルコアトルも苦笑を返した。
ケツァルコアトルだって、きっとテスカトリポカに対してでなければ、不調など見せることもなかったろう。
ケツァルは別に善神というわけではないのだ。テスカも悪神ではないのと同じで。善なる者ではない彼が、どうして無理をして周りと合わせることができよう。
「もうすぐ大雨が降ると予報で言っていたよ、ケツァルコアトル。そのせいではないかね、君の不調は」
「そのようだ。……あー……腹が立つな、いつもの調子が出ないというのは」
「致し方のないことだとも、きょうだい」
弱った片割れの潤んだ瞳が、少し悔しそうに自分を見つめるのが、なんとも美しくて、愛らしかった。
そんな動機でちょっかいをかけたくなるテスカトリポカは、ケツァルコアトルの髪を指で梳いて、額に自分の額を当てる。
熱はない。ケツァルコアトルの宣言通りだ。
「無理をするものではないよ、きょうだい」
「分かってる……すまない、きょうだい」
テスカトリポカは、ケツァルコアトルのことだけを気にかける。他の者とは一線を画した扱いである。
誰彼構わず手を差し伸べることなど、やはりできないのだ。テスカトリポカは、そういった男ではない。
もしケツァルコアトルでない者が倒れたならば。
その時は、ああ、どうか。
聖人君子 よ、君に一切を任せよう。
一人 を見つめて一人 が思った。
物を投げ合う喧嘩だってするし、怒鳴り合うし、お互いを投げたことだってあるが、それだって好きだから遠慮なく振る舞えるというものだ。
そう、テスカトリポカは聖人君子ではない。戦争を司る、エルドラドの世界代行者だ。本当に聖人君子を訪ねたいならルールメイカーズにでも行けばいい。たぶんいる。きっといる。いたらいいな、君たち。
そんな優しくも慎ましやかでもないテスカトリポカは、同じく慎ましやかではないケツァルコアトルの部屋を訪れていた。
ベッドに横たわり、だるそうにしている半身の顔を見にやって来たのだった。
「ざまぁないな、ケツァルコアトル。気圧にやられておねんねかね?」
「うるさい。今だるいんだ。喋るな」
テスカトリポカに背を向けるように寝返りをうつケツァルコアトルに、背を向けられたジャガーの獣人は小さく息を吐く。
部屋の中に足を踏み入れ、ベッドのそばまで歩み寄ったテスカトリポカは、ケツァルコアトルの目の前にパウチ状の何かを置いた。
スポーツドリンクをゼリー状にした飲み物だ。それが分かって、ケツァルコアトルは視線だけをテスカトリポカに向ける。
「起き上がらなくていい。寝たまま飲み給え」
「……うん」
「まったく。なぜ言わんのだね、体調のことを。私は優しくないのだよ? 見捨てるところだったじゃないか」
「結局見捨てずにこういう物を買ってくるあたり、優しいんじゃないのか」
気だるそうに指摘を入れるケツァルコアトルに、うるさいなぁ、飲み給えよ、と返すテスカトリポカは、ゼリー飲料を口にする彼にポツリと訊ねた。
「熱はないのだね?」
ケツァルコアトルは小さく頷く。
「……食欲は?」
ケツァルコアトルは小さく首を横に振る。
そうか……と呟くテスカトリポカは、ケツァルの髪をサラリと撫でて、立ち上がった。
「今日はうどんでも茹でようか?」
「うん」
気圧に負けている竜蛇は、ゆっくり頷いて、世界代行者である彼を見送った。
キッチンの換気扇をつける。ウワン、と音を立てて風が生まれる。その中でテスカトリポカはため息を一つついた。
今日はケツァルコアトルが食事を作る番だった。それが、体調不良により急きょタッチ交代。三日連続でテスカトリポカのターンとなったわけである。
大変なんだからな、食事の用意をするのも。などと愚痴をこぼしつつ、テスカトリポカは乾麺のうどんを茹で始める。調子が悪い竜蛇のために、やや柔らかくすることにした。
別に優しさからこうしているわけではない。
交代した分の食事当番など、後でケツァルに押し付ける気でいる。
片割れのことが心配でないといえば嘘になるが、じゃあ心を砕くべき事態かというとそうでもない。
昔からの癖で、世話を焼いてしまう部分があるだけだ。
いつものノリ。慈しみだとかそういうのではない。これがもしケツァルコアトルでなく別の誰かだったなら、やはり見捨てているだろう。
心清いわけではないのだ。
ふらりとリビングにやって来たケツァルコアトルに気づき、テスカトリポカは彼を椅子に座らせた。テーブルにうどんの丼を置いて、未だに気圧にやられている片割れに問う。
「……しんどいかね」
「ちょっと楽になった。けど、喧嘩できる気分じゃない」
「それは重症だ」
からかうように返したテスカトリポカに、ケツァルコアトルも苦笑を返した。
ケツァルコアトルだって、きっとテスカトリポカに対してでなければ、不調など見せることもなかったろう。
ケツァルは別に善神というわけではないのだ。テスカも悪神ではないのと同じで。善なる者ではない彼が、どうして無理をして周りと合わせることができよう。
「もうすぐ大雨が降ると予報で言っていたよ、ケツァルコアトル。そのせいではないかね、君の不調は」
「そのようだ。……あー……腹が立つな、いつもの調子が出ないというのは」
「致し方のないことだとも、きょうだい」
弱った片割れの潤んだ瞳が、少し悔しそうに自分を見つめるのが、なんとも美しくて、愛らしかった。
そんな動機でちょっかいをかけたくなるテスカトリポカは、ケツァルコアトルの髪を指で梳いて、額に自分の額を当てる。
熱はない。ケツァルコアトルの宣言通りだ。
「無理をするものではないよ、きょうだい」
「分かってる……すまない、きょうだい」
テスカトリポカは、ケツァルコアトルのことだけを気にかける。他の者とは一線を画した扱いである。
誰彼構わず手を差し伸べることなど、やはりできないのだ。テスカトリポカは、そういった男ではない。
もしケツァルコアトルでない者が倒れたならば。
その時は、ああ、どうか。
4/4ページ