嫌いだとでも思ったか
「あとは任せた!」
アプリバトルの最中、そう言って敵のど真ん中に突っ込んでいく竜蛇を見て、息が止まらなかったといえば嘘になる。
なんて無茶をするんだね、と苦言を呈したかったが、こちらは無茶のかわりに無茶苦茶をするので、どっちもどっちだった。
アプリバトルには勝利して、時間は巻き戻って、竜蛇ことケツァルコアトルが負った傷もなかったことになって……。自らを囮に勝ちを掴み取ったケツァルコアトルの蛮行に、テスカトリポカは苦い表情をしていた。
勝てたことは喜ばしいし、どちらが勝つか分からない塩梅だったのも楽しかったし、別に、ケツァルコアトルに怪我をしてほしくないだとかは考えていない。何なら喧嘩をする際、ケツァルコアトルを特に痛めつけているのはテスカトリポカだからである。
だが、今回のはいただけなかった。
自らの死を受け入れて、それで自陣に有利になるのならと、ケツァルコアトルは動いたのだ。まるで自分自身を粗末にする行い。自らを生贄にして実体を失ったテスカトリポカが言えた義理ではないのかもしれないが、それにしたって自棄が過ぎる。
勝てて良かったな、などと笑っているケツァルコアトルの前に立ったテスカトリポカは、スッと手を上に挙げて、そのまま振り下ろした。
ドムン!! と勢いよく、テスカトリポカのチョップがケツァルコアトルの脳天に突き刺さった。
「ぐあっ!!」
「任される方の身にもなってみ給えよ!!」
怒りに任せたツッコミが、あたりに虚しく響き渡る。周囲が目を丸くしてその光景を見ていた。
任される方はつらい。待たされる方はつらい。残される方はつらい。やらかされる方はつらい。いつもそうだ。この二人はいつもそうなのだ。
ケツァルコアトルだってやらかすし、テスカトリポカだってやらかす。ケツァルコアトルだって待たせるし、テスカトリポカだって待たせる。そうやって、お互いにやってやり返されて……。
「お前だってこの間、翼をメキョメキョにへし折られていたじゃないかね! それで笑っていたんだから、今の俺を責める権利はなかろうよ!」
「いいや! 私は自らの死を無抵抗で受け入れるなどしていないさ! 君は違う! 君は……受け入れてしまっていたじゃないか!」
お互いに文句の嵐をぶつけ合う。
ケツァルコアトルの拳がテスカトリポカの腹に突き刺さり、ゔん!! という濁った呻き声がテスカトリポカの口から漏れた。
テスカトリポカはテスカトリポカで、ケツァルコアトルの横っ面をグーでぶん殴り、竜蛇の口元を切って流血させていた。
「君は自分を粗末にする!!」
吠えるようにケツァルコアトルに掴みかかったテスカトリポカが、目の前の彼を睨みつけながらそう言えば、
「今、俺を粗末にしているのは、お前だろう!!」
お説ご尤もな怒声が、羽毛ある蛇から飛び出した。
「私がどれほど君を心配したか!」
そう言ってテスカトリポカはケツァルコアトルを殴る。ゴツッと硬い音がして、ケツァルコアトルの表情が苦悶に歪む。
「俺だって君を心配していたのに、人の話を聞かないで生贄と戦争に明け暮れていたのは誰だね!?」
そう返してケツァルコアトルがテスカトリポカの鼻先を殴る。ガンッと勢いのいい音がして、テスカトリポカの表情が更に怒りに染まる。
お互いを心配している、という割に、お互いを痛めつけ合っている光景だ。
周りは彼らの争いに、やめろよ、と口を挟む隙さえ与えられていない。
自分にできる事ならば何でもしてしまう創世神二人は、だからこそお互いの無茶苦茶を許せないときがあるのだ。そうして喧嘩が始まり、当然、アプリバトルではないから時間は巻き戻らず、鼻血が出たり痣ができたりしたまま、不機嫌にやり取りは終わる。
喧嘩は一日も保たない。何かの拍子にすぐ仲直りして、そしてすぐ喧嘩をする。それを分かっていても、周りは戦々恐々としてしまうというもの。この怒鳴り合いも、もうそろそろ辞めてほしかった。
「何が、あとは任せた、だ! 君がいなくなった後を! なぜ私が心を砕いて守らねばならんというのだね!?」
「俺がいなくなっても! 君は立派に立って、歩いて、生きていけるだろう!」
「そりゃあそうだよ! 私は世界代行者だ! そうでなければなるまいよ!! だが、生きていけるかどうかと! 生きていきたいかどうかとは! 別の話だよ!!」
テスカトリポカの叫びに、シン……とあたりが静まり返った。若干、目を見開いて黙っているのは、ケツァルコアトルだ。見ればテスカトリポカの瞳は潤んでいる。それでも流れ落ちる分の涙は用意されていないようで……それが、羽毛ある蛇である彼には、切なかった。
「エルドラドじゃあるまいし、この世界を守り育てる義理など、私にはないよ」
落ち着きを取り戻したのだろうか。それでも不機嫌なまま、テスカトリポカは言葉を吐いた。
君がいない世界など生きていく意味がない、と。ジャガーの獣人は、そう言ったのだ。それがどれほど弱気な発言であるかは、黒い太陽自身が一番分かっていただろう。
「……だから」
テスカトリポカの声に、ケツァルコアトルが反応する。むっつりと不機嫌な表情でこちらを見ている半身に、ケツァルコアトルは息を呑む。
「あとなど……任せないでくれまいかね」
「……ごめん……」
存外素直に謝る竜蛇である。
その昔、テスカトリポカが生贄で肉体を失っていくのを見て、笑えなくなった自分がいた。あまりにも人の話を聞かない友に、ならば自分は一気に消えていなくなろうと、これは意趣返しであると、そう意地になって世界から去ったことがある。その後、エルドラドがどうなったかなんて、ケツァルコアトルは知らないし、知れる権利もないだろう。
ケツァルコアトルとテスカトリポカの二人で作った世界だった。決して狭くはない、悪くはない世界だったと思う。
その世界の中心で、取り残されたテスカトリポカは一人、それこそ「あとを任されて」いたのだとしたら。竜蛇であるきょうだいが消え去った「あと」を、まざまざと目にしていたとしたら。
そんな相手に「あとは任せた!」と言い放ったのだとしたら……。
「……生きていきたくなかったのか?」
エルドラドで。一人で。対等な立場の存在がいない世界で。置いていかれたと、そう信じてしまった心を抱えて。
ケツァルコアトルの問いに、テスカトリポカは答えなかった。
「この話はやめにしよう」
短くそう言うばかりで、もうケツァルコアトルの方を見てもいなかった。いや……見られなかったのかもしれない。声は少し、握りしめられた拳も少し、小刻みに震えていた。
「とにかく。私は後を任されたくはないのだよ。事後処理が面倒だからね、きょうだい」
「……そういう事にしておいてやるか」
「何だね、そういう事とは?」
「テスカトリポカは書類整理が苦手なのか嫌いなのか、白紙のまま放置して逃げる有り様だものな」
「……第二回戦のお誘いかな?」
ムスッとした表情で喧嘩を買おうとしてくるジャガーに、竜蛇は笑って手をひらひらと振った。すまない、そういう事じゃない。と返したケツァルコアトルは、テスカトリポカの目を真っ直ぐに覗き込む。
視線をそらそうとするテスカトリポカの顔を両手で固定して、思いきり目を合わせた。そして、口を開いた。
「これからは、あとではなく、今を任せることにする」
「……今ぁ?」
はぁ? というテスカトリポカの声。それにニンマリと笑うと、ケツァルコアトルは更に続ける。
「俺の隣で、君が、俺と同じ時を過ごし、また、それを支えることを期待する」
「……なぁんで微妙に上から目線なんだね、君ィ」
「そんなつもりはない。君が下から目線だったんじゃないかね?」
「あ。腹が立つ」
「ふははは!」
あとは任せた。
禁句になったその言葉は、彼らが再び対等になるための礎となった。
背中も肩も預けきって、共に今を行くのだ。
アプリバトルの最中、そう言って敵のど真ん中に突っ込んでいく竜蛇を見て、息が止まらなかったといえば嘘になる。
なんて無茶をするんだね、と苦言を呈したかったが、こちらは無茶のかわりに無茶苦茶をするので、どっちもどっちだった。
アプリバトルには勝利して、時間は巻き戻って、竜蛇ことケツァルコアトルが負った傷もなかったことになって……。自らを囮に勝ちを掴み取ったケツァルコアトルの蛮行に、テスカトリポカは苦い表情をしていた。
勝てたことは喜ばしいし、どちらが勝つか分からない塩梅だったのも楽しかったし、別に、ケツァルコアトルに怪我をしてほしくないだとかは考えていない。何なら喧嘩をする際、ケツァルコアトルを特に痛めつけているのはテスカトリポカだからである。
だが、今回のはいただけなかった。
自らの死を受け入れて、それで自陣に有利になるのならと、ケツァルコアトルは動いたのだ。まるで自分自身を粗末にする行い。自らを生贄にして実体を失ったテスカトリポカが言えた義理ではないのかもしれないが、それにしたって自棄が過ぎる。
勝てて良かったな、などと笑っているケツァルコアトルの前に立ったテスカトリポカは、スッと手を上に挙げて、そのまま振り下ろした。
ドムン!! と勢いよく、テスカトリポカのチョップがケツァルコアトルの脳天に突き刺さった。
「ぐあっ!!」
「任される方の身にもなってみ給えよ!!」
怒りに任せたツッコミが、あたりに虚しく響き渡る。周囲が目を丸くしてその光景を見ていた。
任される方はつらい。待たされる方はつらい。残される方はつらい。やらかされる方はつらい。いつもそうだ。この二人はいつもそうなのだ。
ケツァルコアトルだってやらかすし、テスカトリポカだってやらかす。ケツァルコアトルだって待たせるし、テスカトリポカだって待たせる。そうやって、お互いにやってやり返されて……。
「お前だってこの間、翼をメキョメキョにへし折られていたじゃないかね! それで笑っていたんだから、今の俺を責める権利はなかろうよ!」
「いいや! 私は自らの死を無抵抗で受け入れるなどしていないさ! 君は違う! 君は……受け入れてしまっていたじゃないか!」
お互いに文句の嵐をぶつけ合う。
ケツァルコアトルの拳がテスカトリポカの腹に突き刺さり、ゔん!! という濁った呻き声がテスカトリポカの口から漏れた。
テスカトリポカはテスカトリポカで、ケツァルコアトルの横っ面をグーでぶん殴り、竜蛇の口元を切って流血させていた。
「君は自分を粗末にする!!」
吠えるようにケツァルコアトルに掴みかかったテスカトリポカが、目の前の彼を睨みつけながらそう言えば、
「今、俺を粗末にしているのは、お前だろう!!」
お説ご尤もな怒声が、羽毛ある蛇から飛び出した。
「私がどれほど君を心配したか!」
そう言ってテスカトリポカはケツァルコアトルを殴る。ゴツッと硬い音がして、ケツァルコアトルの表情が苦悶に歪む。
「俺だって君を心配していたのに、人の話を聞かないで生贄と戦争に明け暮れていたのは誰だね!?」
そう返してケツァルコアトルがテスカトリポカの鼻先を殴る。ガンッと勢いのいい音がして、テスカトリポカの表情が更に怒りに染まる。
お互いを心配している、という割に、お互いを痛めつけ合っている光景だ。
周りは彼らの争いに、やめろよ、と口を挟む隙さえ与えられていない。
自分にできる事ならば何でもしてしまう創世神二人は、だからこそお互いの無茶苦茶を許せないときがあるのだ。そうして喧嘩が始まり、当然、アプリバトルではないから時間は巻き戻らず、鼻血が出たり痣ができたりしたまま、不機嫌にやり取りは終わる。
喧嘩は一日も保たない。何かの拍子にすぐ仲直りして、そしてすぐ喧嘩をする。それを分かっていても、周りは戦々恐々としてしまうというもの。この怒鳴り合いも、もうそろそろ辞めてほしかった。
「何が、あとは任せた、だ! 君がいなくなった後を! なぜ私が心を砕いて守らねばならんというのだね!?」
「俺がいなくなっても! 君は立派に立って、歩いて、生きていけるだろう!」
「そりゃあそうだよ! 私は世界代行者だ! そうでなければなるまいよ!! だが、生きていけるかどうかと! 生きていきたいかどうかとは! 別の話だよ!!」
テスカトリポカの叫びに、シン……とあたりが静まり返った。若干、目を見開いて黙っているのは、ケツァルコアトルだ。見ればテスカトリポカの瞳は潤んでいる。それでも流れ落ちる分の涙は用意されていないようで……それが、羽毛ある蛇である彼には、切なかった。
「エルドラドじゃあるまいし、この世界を守り育てる義理など、私にはないよ」
落ち着きを取り戻したのだろうか。それでも不機嫌なまま、テスカトリポカは言葉を吐いた。
君がいない世界など生きていく意味がない、と。ジャガーの獣人は、そう言ったのだ。それがどれほど弱気な発言であるかは、黒い太陽自身が一番分かっていただろう。
「……だから」
テスカトリポカの声に、ケツァルコアトルが反応する。むっつりと不機嫌な表情でこちらを見ている半身に、ケツァルコアトルは息を呑む。
「あとなど……任せないでくれまいかね」
「……ごめん……」
存外素直に謝る竜蛇である。
その昔、テスカトリポカが生贄で肉体を失っていくのを見て、笑えなくなった自分がいた。あまりにも人の話を聞かない友に、ならば自分は一気に消えていなくなろうと、これは意趣返しであると、そう意地になって世界から去ったことがある。その後、エルドラドがどうなったかなんて、ケツァルコアトルは知らないし、知れる権利もないだろう。
ケツァルコアトルとテスカトリポカの二人で作った世界だった。決して狭くはない、悪くはない世界だったと思う。
その世界の中心で、取り残されたテスカトリポカは一人、それこそ「あとを任されて」いたのだとしたら。竜蛇であるきょうだいが消え去った「あと」を、まざまざと目にしていたとしたら。
そんな相手に「あとは任せた!」と言い放ったのだとしたら……。
「……生きていきたくなかったのか?」
エルドラドで。一人で。対等な立場の存在がいない世界で。置いていかれたと、そう信じてしまった心を抱えて。
ケツァルコアトルの問いに、テスカトリポカは答えなかった。
「この話はやめにしよう」
短くそう言うばかりで、もうケツァルコアトルの方を見てもいなかった。いや……見られなかったのかもしれない。声は少し、握りしめられた拳も少し、小刻みに震えていた。
「とにかく。私は後を任されたくはないのだよ。事後処理が面倒だからね、きょうだい」
「……そういう事にしておいてやるか」
「何だね、そういう事とは?」
「テスカトリポカは書類整理が苦手なのか嫌いなのか、白紙のまま放置して逃げる有り様だものな」
「……第二回戦のお誘いかな?」
ムスッとした表情で喧嘩を買おうとしてくるジャガーに、竜蛇は笑って手をひらひらと振った。すまない、そういう事じゃない。と返したケツァルコアトルは、テスカトリポカの目を真っ直ぐに覗き込む。
視線をそらそうとするテスカトリポカの顔を両手で固定して、思いきり目を合わせた。そして、口を開いた。
「これからは、あとではなく、今を任せることにする」
「……今ぁ?」
はぁ? というテスカトリポカの声。それにニンマリと笑うと、ケツァルコアトルは更に続ける。
「俺の隣で、君が、俺と同じ時を過ごし、また、それを支えることを期待する」
「……なぁんで微妙に上から目線なんだね、君ィ」
「そんなつもりはない。君が下から目線だったんじゃないかね?」
「あ。腹が立つ」
「ふははは!」
あとは任せた。
禁句になったその言葉は、彼らが再び対等になるための礎となった。
背中も肩も預けきって、共に今を行くのだ。
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