傷つけ築け

 テスカトリポカの首に包帯が巻かれていた。
 他のギルドの者と交戦したらしい。
 クラフターズに所属するトヴァシュトリ曰く、「どうせ聞いてくれないとは思うんだけど、安静にね」とのこと。
 実際、テスカトリポカは聞かなかった。
 構わず外に出かけ、外に抜け出し、外に飛び出し、お前は屋内にいたら死ぬのか? とケツァルコアトルに苦言を呈されていた。
 首に巻かれた包帯は、彼がアプリバトル外で負傷したのだと雄弁に物語り、ややきつい匂いは、強めの薬が塗られていることを教えてくれた。

「……誰にやられたんだ」

 低い声がテスカトリポカの鼓膜を震わせた。
 不機嫌さを隠しもしないケツァルコアトルが、黒い太陽の首を見つめながら、拳を握りしめている。
「天使だよ……ギルド末端のね。ギルドへ貢献したい思いが暴走したのだろうよ。バトルが終わっても、そこらの物を投げつけてきて」
「貢献したいだの暴走しただのはどうでもいいんだよ、きょうだい」
 ケツァルコアトルの声は未だに低い。
「君の首を傷つけたのはどこの天使だ? 色は? 体格は? 固有名詞は何だった?」
 テスカトリポカの服の襟を掴み、ガンを飛ばしながら訊ねるその様は、まるで喧嘩を売っているようである。
「ブッチブチにキレてるねえ、きょうだい」
「当たり前だろ」
 不機嫌な竜蛇が、血走った目でテスカトリポカを睨みつけていた。
「世界属性の天使だよ。名前は知らんがね。興味がなかった。体格は君に劣る。所属ギルドは教えてやらないよ」
「なんで」
「なんで? 妙なことを訊くものだね。君が乗り込むまでもない些事だからだよ」
 些事だぁ?
 ケツァルコアトルの額に青筋が浮かぶ。
 大切な片割れを傷つけられて、笑っていられる俺ではないぞ。
 そう吐き捨てる美しい翼の持ち主は、全身全霊の怒りを込め、まだ見ぬ敵を睨む、睨む、睨む。
「今すぐ消し炭にしてやろう。どこに喧嘩を売ればいい? ルールメイカーズかね?」
「落ち着き給えよ」
 争うつもり満々である片割れの頬に手を当てて、ウォーモンガーズの最前線指揮官は言う。
 ケツァルコアトルの怒りを遮って、なぜそう不愉快そうにするのだね、などと問いかけていた。
 なぜ?
 テスカトリポカが怪我をすれば、ケツァルコアトルがいい顔をしないことなんて、学園軍獄の誰もが分かっているというのに。

「ケツァル、君、燃やす相手を間違えてはいまいかね。妬ける話だよ、まったく。名も知らぬ一介の天使に夢中ときた」

 ケツァルコアトルの後頭部に手を回し、頭を固定しながらテスカトリポカが言う。
 不愉快そうなのはテスカトリポカも同じことだった。ケツァルコアトルの目をまっすぐ見据え、低い声で訊ねていた。
「君が気にかけるべきは私であって、そこらの天使などではないよ」
「分かっているけどね」
 腹立たしさを抑えられない竜蛇が返す。
「ならばなぜ君は天使のことをそこまで覚えているのだね」
 不意をつく質問に、テスカトリポカは呆気にとられた。目を少し見開き、目の前の彼が何を言い出すのかを待っている。

「テスカ、君、覚える相手を間違えてはいまいかね。妬ける話だよ、まったく。名も知らぬ一介の天使に夢中ときた」

 テスカトリポカは……ケツァルに何を言われているのか理解するのに、少々時間を要した。
 ケツァルはつまり、
 自身に傷をつけた相手を記憶しているテスカトリポカに、怒りのようなものを抱いている、ということで。
 テスカトリポカが「覚えた」相手を消そうと、天使を探し当てるつもりでいるということで。
 目の前の竜蛇の瞳は燃えている。
 テスカトリポカは、
 盛大にため息をついた。

「君、それを嫉妬と呼ぶのだよ、おそらく」

 脱力したジャガーの一言。
 それに羽毛ある蛇が機嫌を悪くした。
「君を傷つけた相手を、君が覚えるというのはね! 俺に対する裏切りじゃあないのかと! 俺は言いたいわけだよ!」
「裏切るつもりなど毛頭ないよ、きょうだい」
「俺だって……俺の方が、君をたくさん傷つけたのに! 君は今! 俺じゃない誰かのことを思い出して、俺と話をしていたんじゃないか!」
 傷つけてきた相手に目を向けた。
 その一瞬を、浮気だと、
 そう判断したとでも。

「いっそ、もう一度、君を傷つけようか。心に、体に、消えない痛みを刻んでやろうか。そうしたら君は、君の視線は、ずっと……」

「馬鹿になったのかね、君ィ」
 駄々をこねるようにケツァルコアトルは怒りをぶち撒ける。他の奴のことなんて見るなよと、こっちを向いていろよと。
 俺の、俺だけの承認があれば充分だろう、テスカトリポカ。他の誰かのことなんて覚えるんじゃないよ。意識を向けるんじゃない。
 ……そんな癇癪が伝わったのか。
 テスカトリポカが、ケツァルコアトルに向かって、馬鹿になったのかね、と言った。

「私は記憶力がいいからね。色々なことを覚えているとも。……だがね、ケツァルよ。君以外に執着するつもりなど、あるわけなかろう? それすら分からなくなったかね」

 テスカトリポカには、ケツァルコアトルの心の柔らかい部分が軋んでいるのが、嫌でも分かる。
 テスカトリポカが傷つけられたことに傷ついたし、テスカトリポカが他者に関心を向けたことにも傷ついたのだ。
 仕方ない追放者だよ。
 ケツァルの額に自信の額を合わせて、ジャガーの彼は口を開いた。

「世界の中心を見紛うはずがないだろう」

「……分かってるなら、いい」
「フハハ! 何様だね、さっきまで癇癪を起こしていたくせに!」
「あ! 世界の中心を笑ったな君ィ!」
 子供っぽい喧嘩が始まった。
 結局どちらも怖かったのだ。
 自分から目をそらされるのが。
 そんな、どうしようもない寂しさを、ぶつけ合っては最後に笑って、彼らは再び結びつくのだ。
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