我が小さなきょうだいよ

【駆ける幼児の危うさよ】

 子供用のハーネスは偉大である。
 テスカトリポカは、ズボンのペルトを通す部分に括り付けられたハーネスの末端を見て、現代文明の発展に心から感謝していた。
 大袈裟かもしれないが、ハーネスを購入する前は、既に無いも同然な寿命が縮まった削れたりしていたのである。粗い紙やすりでゾリゾリ削られているかのようなすり減り方をしていたと思う。
 とにかく大変だった。
 いや、大変なんてものではなかった。

 手を繋いでいたら、その手を俊敏に振り払われ、その上突然走り出された事がある。
「きょうだーい!!」
 全速力で走って捕まえて抱き上げる。
 するとサモナーは何故かご立腹。
「じぶんで、ありゅくのぉー!!」
 離せえ! とジタバタ、生きの良い魚のように暴れる小さなサモナーを落とさないよう、中腰で必死にバランスを取ったのが、昨日の事のようだ。
 いや、先週なので誤差だが。

 車道を行く自動車にダッシュで近づいていくこともあった。わぁー! と絶叫したテスカトリポカがサモナーを抱きかかえ、バックステップを駆使して転がるように歩道に戻ったこともあった。
 まさか日常生活でバックステップするとは夢にも思っていなかった世界代行者である。
「ぶーぶぅー!! しゃわるのぉ!!」
 車道を走る自動車に触れたい。
 大人ならばまずしない発想と行動に、テスカトリポカの人工の血の気が引いた。
 ああーん! と泣き出すサモナーを抱えたまま、テスカトリポカのほうが泣きたかったくらいである。秒速で死にに行く事があるか。
 いや、あるのか。
 幼児は常に、死に向かってダッシュする。

 春だね、などと呑気にもしていられない。
 蝶が飛んでいたら追いかけて裏路地に入り込む。
「きょうだい! そこ人のお家だから! ね! 戻っておいで! 戻っ……きょうだい!」
 試される大人の常識。
 自分にもこんなに良識があったのか、と頭の片隅で黄昏れるテスカトリポカである。
 言っている場合ではない。
 本当に言っている場合ではない。
 風が吹く。
 たんぽぽの綿毛が飛んでいく。
 それを追いかけてサモナーが走り出すものだから、うわあー! と叫びながら追いかけた。
 きょうだいきょうだいきょうだい! ストップ! ね! 待って! 意外とすばしっこい!
 故郷のエルドラドでもこんなにパニックにはならなかったんじゃないだろうか。

 もう死んでいるも同然なのに、死ぬほど疲れた。

 そんな時に西○屋で見つけたのが、子供用のハーネスであった。○松屋の品揃えは素晴らしい。サモナーがテントウムシのリュックと接続されているハーネスを気に入ってくれたので、テスカトリポカは泣きそうになりながら購入したのである。
 おお、神よ! 感謝する!
 神はお前だ。

 それからというもの、サモナーとの散歩は楽になった。手を振り払われても余裕である。
 リュックとベルト通しがハーネスで繋がっているからだ。突如走り出しても、ハーネスがピン、と突っ張ってサモナーの行動を制限してくれる。
 リュックを脱がれたら終わりなので、そこは細心の注意を払わねばならないが。
「てしゅか、あーっこ?」
 それに、二歳か三歳のサモナーは、歩き疲れることも多々あった。ハーネスで繋がりつつ、歩き疲れたら抱っこして安全を確保。
 新横浜の吸血鬼と同じくらいすぐ死にそうになる幼子を、全力で守れる最適解。
 おお、神よ! 本当に感謝する!
 だから神はお前だ。

「たのちかったねぇ」
 散歩の終わり際、幼いサモナーが抱っこされながら、テスカトリポカにそう言った。
 途中でアンパ○マンのペロペロチョコを買ったり、日頃良い子にしているご褒美にとセボ○スターを買ったりしたのも影響しているのだろう。
 サモナーはキラキラとした目でテスカトリポカを見て、嬉しそうだった。
「楽しかったねぇ、きょうだい」
 テスカトリポカもにこりと笑って返す。
 サモナーが大きく頷き、言った。

「てしゅかのおしゃんぽ、いいこにでちたねぇ」

「私のお散歩だったのかね!?」
 てっきり自分がサモナーの保護者だと思っていたのに。気づいたらサモナーが保護者の顔をしていた。創世神もびっくりである。
 いや、だが、しかし。
 テスカトリポカとサモナーは対等な存在のはずだ。やったらやり返されるし、勝ったり負けたりを繰り返す仲のはずである。鏡写しだ。
 つまり、テスカトリポカがサモナーの保護者ならば、その逆もまたあり得るのではないだろうか。

 あり得るわけないだろ落ち着け。

「てしゅか、こんどしゃあ、こうえんで、ぶやんこ、のっていいよぉ」
 サモナーからお許しを得た世界代行者は
「……わーい」
 棒読みに近い喜びの声をあげて、帰路についた。
 衝撃的な事実が発覚した午後のことだった。
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