我が小さなきょうだいよ
【我が小さなきょうだいよ】
彼が指揮官を務める学園軍獄という教育機関に、サモナーは暮らしていた。外見は二歳か三歳か。幼い姿な理由は分からない。今回は最初からこうだった。
「てしゅかぁ」
保護者の名を呼び、短い足で懸命に歩く。
冬の空気がチリリと肌を刺していた。
サモナーが見上げる先には、漆黒がいる。
翼も体も黒く、髪は一部白いが、そこを除けばやはり黒く。そんなジャガーの獣人が、上等なスーツを着て立っていた。
「どうしたのだね、きょうだい」
てしゅかと呼ばれた彼、テスカトリポカは、幼いサモナーを抱き上げる。
腕の中で身動ぎする幼子を軽くあやしながら、
「お昼寝飽きちゃったかね?」
と、柔らかい声で問うていた。
「おやちゅ、たびるぅ」
サモナーがそう言う。昼寝から目覚め、元気いっぱいな子供の宣言である。
「おやつ? 何が食べたい?」
「ばばな」
フンス。
ジャガーに向かって、キリリとした顔で告げる幼子がそこにいた。
テスカトリポカが新宿にある公園へ足を運んだのは、偶然ではない。
時の大逆流 が起き、一定の時期からのやり直しとなった。
テスカトリポカは、ループが起こる度にサモナーの気質が変わっていることを知っていた。関わる相手によって変わるのだろう。
今回はどのような気質なのだろうかと、遠目に眺めるために近寄った。
だが、そこにいたのは幼子だった。
「あぁー……! あぁー……!」
迫りくるアカオニに怯えて泣きじゃくる、力ない幼子が一人。
神器の剣を抱きしめていた。
間違いなく、サモナーだと分かった。
今回はここで死ぬのだとも思った。
だが、テスカトリポカの体は勝手に動いた。小さなサモナーを掴まんとするアカオニに、投槍器……アトラトルでの一撃を見舞ったのだ。
突如飛んできた槍に貫かれ、アカオニは仰向けに倒れる。えう、えう、と泣く幼子を拾い上げ、それからテスカトリポカは固まった。
幼児の相手など、したことがない。
戦争と生贄を主とするエルドラド流で良いならばそう教育することもできる。
が、幾度もループしたこの世界で、サモナーが現代っ子であることは分かっていたので、この幼い子もきっとそうなのだと思うと、無理強いはできなかった。
「だ、大丈夫かね?」
恐る恐る訊ねる。アカオニに怯えて泣くならば、テスカトリポカの外見を見ても泣くだろう。顔や体に傷を持つ大きなジャガーの男である。
「えう、えう」
小さな小さなその子は、神器を抱えて何度もしゃくり上げていたが、テスカトリポカを見上げると、一言こう呟いたのだった。
「ごりら」
「ゴリラ!? なんで!? ニャンニャンならまだ分かるがね!! 類人猿に分類されたのは初めてだよ、君ィ!!」
テスカトリポカは、夜の新宿中央公園で、よく分からないツッコミを叫んだ。
学園軍獄に連れてきたはいいが、サモナーのサイズの服がない。翌朝、幼いその子を抱きかかえ、街に出ることにした。
二歳か三歳の面倒を見るのは骨が折れた。
子供服売り場にて、へえ、コスプレのような服も売られているのだね、などと眺めていたテスカトリポカの足元で、幼いサモナーがチョロチョロと歩き回るものだから、踏まないように細心の注意を払う必要があった。
「きょうだい、どんな服が着たい?」
「これぇ」
「……水着だなあ……それ、水着だなあ」
買ってほしいものがあると、タシタシと足踏みをして駄々をこねる幼いサモナーに、根負けすることも数しれず。
服を買い揃えて数日世話をしたが、全く予想できない子供の言動は、テスカトリポカを驚かせるばかりだった。
幼児に何を食べさせればいいのか。何時までに寝かしつけるべきなのか。
なんの前触れもなく吐くことに心底驚いたり、高周波のような甲高い叫び声を発されて少々ビビったりと、振り回されてばかりいる。
テスカトリポカにすっかり慣れたサモナーは、次に、テスカトリポカ以外の者に人見知りをするようにもなった。ジャガー獣人の陰に隠れて、バロールをチラチラと伺ったり、シヴァを見て再びテスカトリポカの後ろに隠れたりした。
バロールがサモナーを撫でようと手を近付けると、いやぁ、いやぁ、とテスカトリポカの足にしがみつく有り様だ。
テスカトリポカと同盟者の間柄であったバロールは、同盟を破棄したくなった、などと言い出し、テスカトリポカはしょっぱい気持ちになったりした。
「きょうだい、こんにちはしようか?」
「いや!」
イヤイヤ期だ。テスカトリポカの思い通りにいかないサモナーである。
「きょうだい、今日のご飯は何がいいかね?」
「わたあめ」
「わた……きょうだい、もうちょっと栄養があるもの食べようか? ね? じゃないと私が軍医殿に詳しいお話しを聞かれることになるのでね?」
「わたあめ」
「きょうだい、あのね……」
「わたあめ!!」
あ、泣かれる。
テスカトリポカは察した。
察して……おもちゃ屋に走った。
サモナーを小脇に抱え、ほら、わたあめが作れるおもちゃがあるね、どれにしようか? と、機嫌を取りながら綿あめの機械を購入し、フルーツキャンディーを一袋買い求め、説明書を読みながら綿あめを作ってみた。
「うー」
サモナーは、飽きていた。
もおー! と肩を落とすテスカトリポカだが、綿あめ自体はあむあむと食べてくれたので、良しとする……。疲れが一気に襲ってきた。
「てしゅか、てしゅか」
幼子はテスカトリポカの後ろをついて歩く。まるで、きょうだいの近くが一番安全であるかのように。
戦争に明け暮れる集団で、最前線指揮官を務めているテスカトリポカは、自身を安全だなどとは思っていない。ついてこられると非常に困るし、それどころかサモナーを巻き込んで傷つける恐れがあるので怖かった、
サモナーはあまり気にしていないらしい。
「……きょうだい、秋葉原行く?」
「あぴばばな」
「バナナじゃないよー?」
サモナーを秋葉原の絵画教室に連れてきた。
ここにはテスカトリポカのきょうだいであるイツァムナーがいる。少しばかり子育ての愚痴を聞いてもらおうと足を運んだテスカトリポカを、イツァムナーは快く迎え入れた。
「よーしよし、良い子だ。儂はイツァムナー。テスカトリポカのきょうだいである」
「……てしゅかの?」
「うむ。よろしく頼むぞ、サモナーよ」
イツァムナーはサモナーに優しく接してくれる。思い通りにいかなくとも、ほほ、と笑って見守ってくれる。疲労感に苛まれることもなさそうである。ならば、とテスカトリポカは提案した。
「この子、君のところで預かってはくれんかね」
「拾ったのは、ぬしであろ。責任持って世話をしなさい。この子はぬしに世話をしてもらえるものだと、すっかり信じておるのだから」
「おどどん、たびるぅ!」
「戦場に幼子を連れて行くわけにもいくまいよ」
「ならば、しばし戦場から身を引くことよ」
「ばばなも、たびるぅ!」
そうかそうか、おどどんと、ばばなを食べたいのであるな? 分かった分かった。
膝の上のサモナーにイツァムナーが穏やかに返事をし、サモナーもまた、満足そうに頷いていた。
テスカトリポカは軍獄に帰ってきた。
サモナーを片腕で抱いて。
結局、手放すことは諦めた。未だに幼子のことはよく分からない。どう接したものか、掴みそこねている。
「てしゅかぁ……あっこぉ……」
「抱っこしてるよ、きょうだい?」
「あっこぉ!」
「……はぁい、おねむかね? 疲れちゃった?」
「おねむじゃない!」
不機嫌そうな幼子を優しく抱きしめ、背中をポンポンと叩き、揺れながらあやす。
これくらいなら、出来るようにはなった。
最初は、やだ、ポンポンしない、と怒りを表明していたサモナーだったが、次第に大人しくなってきた。テスカトリポカの髪をギュッと掴み、小さな口で、大きなあくびを一つ。
ゆっくり意識を手放す。
「軍医殿、抱っこ代わってくれまいかね」
「髪、握りしめてますよ、おチビくんが……たぶん交代したら髪が引き千切れるし、おチビくんが癇癪起こして大泣きしますって」
「やりそう……」
新米の親のような世界代行者が、これからの奮闘を思い、仕方がない、とでも言うような笑みをこぼした。
腕の中の小さな命は、温かかった。
彼が指揮官を務める学園軍獄という教育機関に、サモナーは暮らしていた。外見は二歳か三歳か。幼い姿な理由は分からない。今回は最初からこうだった。
「てしゅかぁ」
保護者の名を呼び、短い足で懸命に歩く。
冬の空気がチリリと肌を刺していた。
サモナーが見上げる先には、漆黒がいる。
翼も体も黒く、髪は一部白いが、そこを除けばやはり黒く。そんなジャガーの獣人が、上等なスーツを着て立っていた。
「どうしたのだね、きょうだい」
てしゅかと呼ばれた彼、テスカトリポカは、幼いサモナーを抱き上げる。
腕の中で身動ぎする幼子を軽くあやしながら、
「お昼寝飽きちゃったかね?」
と、柔らかい声で問うていた。
「おやちゅ、たびるぅ」
サモナーがそう言う。昼寝から目覚め、元気いっぱいな子供の宣言である。
「おやつ? 何が食べたい?」
「ばばな」
フンス。
ジャガーに向かって、キリリとした顔で告げる幼子がそこにいた。
テスカトリポカが新宿にある公園へ足を運んだのは、偶然ではない。
時の
テスカトリポカは、ループが起こる度にサモナーの気質が変わっていることを知っていた。関わる相手によって変わるのだろう。
今回はどのような気質なのだろうかと、遠目に眺めるために近寄った。
だが、そこにいたのは幼子だった。
「あぁー……! あぁー……!」
迫りくるアカオニに怯えて泣きじゃくる、力ない幼子が一人。
神器の剣を抱きしめていた。
間違いなく、サモナーだと分かった。
今回はここで死ぬのだとも思った。
だが、テスカトリポカの体は勝手に動いた。小さなサモナーを掴まんとするアカオニに、投槍器……アトラトルでの一撃を見舞ったのだ。
突如飛んできた槍に貫かれ、アカオニは仰向けに倒れる。えう、えう、と泣く幼子を拾い上げ、それからテスカトリポカは固まった。
幼児の相手など、したことがない。
戦争と生贄を主とするエルドラド流で良いならばそう教育することもできる。
が、幾度もループしたこの世界で、サモナーが現代っ子であることは分かっていたので、この幼い子もきっとそうなのだと思うと、無理強いはできなかった。
「だ、大丈夫かね?」
恐る恐る訊ねる。アカオニに怯えて泣くならば、テスカトリポカの外見を見ても泣くだろう。顔や体に傷を持つ大きなジャガーの男である。
「えう、えう」
小さな小さなその子は、神器を抱えて何度もしゃくり上げていたが、テスカトリポカを見上げると、一言こう呟いたのだった。
「ごりら」
「ゴリラ!? なんで!? ニャンニャンならまだ分かるがね!! 類人猿に分類されたのは初めてだよ、君ィ!!」
テスカトリポカは、夜の新宿中央公園で、よく分からないツッコミを叫んだ。
学園軍獄に連れてきたはいいが、サモナーのサイズの服がない。翌朝、幼いその子を抱きかかえ、街に出ることにした。
二歳か三歳の面倒を見るのは骨が折れた。
子供服売り場にて、へえ、コスプレのような服も売られているのだね、などと眺めていたテスカトリポカの足元で、幼いサモナーがチョロチョロと歩き回るものだから、踏まないように細心の注意を払う必要があった。
「きょうだい、どんな服が着たい?」
「これぇ」
「……水着だなあ……それ、水着だなあ」
買ってほしいものがあると、タシタシと足踏みをして駄々をこねる幼いサモナーに、根負けすることも数しれず。
服を買い揃えて数日世話をしたが、全く予想できない子供の言動は、テスカトリポカを驚かせるばかりだった。
幼児に何を食べさせればいいのか。何時までに寝かしつけるべきなのか。
なんの前触れもなく吐くことに心底驚いたり、高周波のような甲高い叫び声を発されて少々ビビったりと、振り回されてばかりいる。
テスカトリポカにすっかり慣れたサモナーは、次に、テスカトリポカ以外の者に人見知りをするようにもなった。ジャガー獣人の陰に隠れて、バロールをチラチラと伺ったり、シヴァを見て再びテスカトリポカの後ろに隠れたりした。
バロールがサモナーを撫でようと手を近付けると、いやぁ、いやぁ、とテスカトリポカの足にしがみつく有り様だ。
テスカトリポカと同盟者の間柄であったバロールは、同盟を破棄したくなった、などと言い出し、テスカトリポカはしょっぱい気持ちになったりした。
「きょうだい、こんにちはしようか?」
「いや!」
イヤイヤ期だ。テスカトリポカの思い通りにいかないサモナーである。
「きょうだい、今日のご飯は何がいいかね?」
「わたあめ」
「わた……きょうだい、もうちょっと栄養があるもの食べようか? ね? じゃないと私が軍医殿に詳しいお話しを聞かれることになるのでね?」
「わたあめ」
「きょうだい、あのね……」
「わたあめ!!」
あ、泣かれる。
テスカトリポカは察した。
察して……おもちゃ屋に走った。
サモナーを小脇に抱え、ほら、わたあめが作れるおもちゃがあるね、どれにしようか? と、機嫌を取りながら綿あめの機械を購入し、フルーツキャンディーを一袋買い求め、説明書を読みながら綿あめを作ってみた。
「うー」
サモナーは、飽きていた。
もおー! と肩を落とすテスカトリポカだが、綿あめ自体はあむあむと食べてくれたので、良しとする……。疲れが一気に襲ってきた。
「てしゅか、てしゅか」
幼子はテスカトリポカの後ろをついて歩く。まるで、きょうだいの近くが一番安全であるかのように。
戦争に明け暮れる集団で、最前線指揮官を務めているテスカトリポカは、自身を安全だなどとは思っていない。ついてこられると非常に困るし、それどころかサモナーを巻き込んで傷つける恐れがあるので怖かった、
サモナーはあまり気にしていないらしい。
「……きょうだい、秋葉原行く?」
「あぴばばな」
「バナナじゃないよー?」
サモナーを秋葉原の絵画教室に連れてきた。
ここにはテスカトリポカのきょうだいであるイツァムナーがいる。少しばかり子育ての愚痴を聞いてもらおうと足を運んだテスカトリポカを、イツァムナーは快く迎え入れた。
「よーしよし、良い子だ。儂はイツァムナー。テスカトリポカのきょうだいである」
「……てしゅかの?」
「うむ。よろしく頼むぞ、サモナーよ」
イツァムナーはサモナーに優しく接してくれる。思い通りにいかなくとも、ほほ、と笑って見守ってくれる。疲労感に苛まれることもなさそうである。ならば、とテスカトリポカは提案した。
「この子、君のところで預かってはくれんかね」
「拾ったのは、ぬしであろ。責任持って世話をしなさい。この子はぬしに世話をしてもらえるものだと、すっかり信じておるのだから」
「おどどん、たびるぅ!」
「戦場に幼子を連れて行くわけにもいくまいよ」
「ならば、しばし戦場から身を引くことよ」
「ばばなも、たびるぅ!」
そうかそうか、おどどんと、ばばなを食べたいのであるな? 分かった分かった。
膝の上のサモナーにイツァムナーが穏やかに返事をし、サモナーもまた、満足そうに頷いていた。
テスカトリポカは軍獄に帰ってきた。
サモナーを片腕で抱いて。
結局、手放すことは諦めた。未だに幼子のことはよく分からない。どう接したものか、掴みそこねている。
「てしゅかぁ……あっこぉ……」
「抱っこしてるよ、きょうだい?」
「あっこぉ!」
「……はぁい、おねむかね? 疲れちゃった?」
「おねむじゃない!」
不機嫌そうな幼子を優しく抱きしめ、背中をポンポンと叩き、揺れながらあやす。
これくらいなら、出来るようにはなった。
最初は、やだ、ポンポンしない、と怒りを表明していたサモナーだったが、次第に大人しくなってきた。テスカトリポカの髪をギュッと掴み、小さな口で、大きなあくびを一つ。
ゆっくり意識を手放す。
「軍医殿、抱っこ代わってくれまいかね」
「髪、握りしめてますよ、おチビくんが……たぶん交代したら髪が引き千切れるし、おチビくんが癇癪起こして大泣きしますって」
「やりそう……」
新米の親のような世界代行者が、これからの奮闘を思い、仕方がない、とでも言うような笑みをこぼした。
腕の中の小さな命は、温かかった。
