ブレイクタイムブレイク
ブレイクタイムブレイク1
鼻腔をくすぐるほろ苦い香りに、ケツァルコアトルは目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしいと、壁掛け時計を見て察する。一時間ほどの昼寝は、半身であり友であり宿敵である男の一服によって妨げられた。
いつも飲んでいるインスタントではないらしい。香りが違う。だがこの家にコーヒーミルなんて上等なものはないし、彼がコーヒー豆を買ってきたという記憶もないので、ああ、即席のドリップか、と見当をつけた。
チャボチャポ、チョロチョロと控えめな水音が聞こえてくる。湯を少しずつ注がなければあっという間に溢れて台無しになるのがドリップだ。ケツァルコアトルはそういう、ちまちました入れ方を焦れったく思うから、いつもインスタントの粉コーヒーで済ませていた。ざっと湯を注ぎ、ガッと飲み、時々舌を火傷するのだ。
ややあってキッチンから姿を現したテスカトリポカが、身じろぎしてソファに座り直すケツァルコアトルを見て声をかけてきた。
「起きたのだね、きょうだい」
キッチンからテスカトリポカの手元へと続く香ばしくコクのある香りが、ソファの前に置かれたローテーブルへと移動する。コトリ、と置かれたコーヒーカップの中で、褐色で透明感のある液体が揺れた。
「買ってきたのか」
湯気が昇るそれを眺めながら尋ねれば、テスカトリポカは何の話だかすぐに合点がいったようで、そうだよ、と短く返してくる。彼が着ている緑色のシャツの袖が少し濡れているのを見つけて、ケツァルコアトルは小さく笑った。たぶん、お湯を注ぐのに少しだけ失敗したのだ。まあ、火傷しなくて良かった。
テスカトリポカが隣のソファに腰掛け、コーヒーカップに口をつける。ズ、と音を立てて少量を口に含んだ彼は、ゆっくりと飲み下して、それから放置されていた新聞紙を手に取った。器用にも片手で小さく折り畳み、読み始める。ケツァルコアトルはその仕草を羨ましげに見つめた。ケツァルが新聞を手に取ると、畳みきれずに平行四辺形あたりのシルエットになってしまう。きれいな長方形を作れる片割れが、少しだけ妬ましかった。
「……ケツァルコアトルよ」
「何だね、テスカトリポカ」
ケツァルコアトルのほうをチラリと見て口を開くテスカトリポカに、呼ばれたほうは簡潔に返事をした。呼んだ側のジャガー獣人は、コーヒーをひと口すすって口内を湿らすと、自分をじっと見つめてくる白い竜蛇に問いかける。
「そうジロジロと見つめられていては落ち着かんのだがね……? 君も飲むかね、これ?」
ジロジロと見つめていたのは、新聞紙をきれいに折り畳める特殊技能を羨んでのことだったのだが……。まあいい、とケツァルコアトルは思考を切り替えた。
「砂糖なしミルク入りで頼む」
「うん、心得ているとも」
テスカトリポカは立ち上がり、キッチンへと姿を消した。残されたコーヒーは小さく湯気を立て、芳醇な香りをたたえている。なるべく音を立てないよう、そのコーヒーカップを手に取った。キッチンでは瞬間湯沸かし器で湯を沸かす音と、カチャリとコーヒーカップが用意される音、それから即席ドリップコーヒーのパッケージを開ける音が聞こえてきていた。
今ならバレることもない。
ケツァルコアトルは、テスカトリポカが口をつけていた箇所に、自らの口をつけた。そしてコーヒーを、ほんの少しだけすする。
香ばしさの中にマイルドな酸味を感じる。ケツァルコアトルの好きな味だ。欲を言えば、もう少しフルーティーでも良かった。などと心の内でわがままを唱えながら、コーヒーカップを音もなくローテーブルに戻す。
間接キスだか何だかの事実を知る者はケツァルコアトル以外におらず、何も知らない片割れは、チョロチョロと湯を注ぐ作業に集中していた。
ガタン、と冷蔵庫の扉が開く音。ミルクを注ぐのだ。それを察して、ケツァルコアトルはソファに深く腰掛ける。受け取りに行くつもりはない。あちらが持ってきてくれる。だって「飲むかね」と尋ねてきたのはテスカトリポカのほうなのだ。言い出しっぺが最後までやるのは当然のこと。
……だとか何とか、頭の中で理屈を捏ねてはいるが、実際のところ、テスカトリポカが当たり前という顔をして持ってきてくれるのが、少し嬉しいだけだったりする。
「はい、お待たせ」
そう言って目の前に淹れたてのコーヒーで作ったカフェオレを置く黒い太陽は、ケツァルコアトルの「うん」という短い返事に不満も感じずにソファへ腰掛け、再び新聞を片手にコーヒーをすすり始めたのだった。
間接キスだなんて微塵も気づかずに。
いたずら成功。と、ケツァルコアトルは無糖のカフェオレを口に含んで笑った。
春が深まるにつれ、日も延びてくる。夕方5時を迎えた現在も、まだ昼過ぎであるかのように明るかった。ケツァルコアトルはこの、日が延びて太陽が沈みきらない時間帯が好きである。自分とテスカトリポカは太陽を司る存在で、だから、なかなか沈まぬ太陽というのが好ましい。
昔、戦争をして、死にものぐるいで相方を殴り飛ばしていたのを思い出した。どちらかがダウンするまで陽が沈まなかったように思う。お互いがお互いに負けず嫌いだったので、こうしてなかなか陽が沈まない時間帯を過ごすことも多々あった。
ただ、その時はふたりとも血走った目で相手を睨みつけ、哄笑を轟かせたり怒声を上げたりしていたので、こうして静かに明るい時間を共にするということは、あまりなかったのだが……。
テスカトリポカが新聞をソファに放る。残ったコーヒーを一気に呷り、席を立とうと腰を上げた。
「テスカトリポカ」
それを引き止めるのは、カフェオレをちびちびと飲んでいるケツァルコアトルだ。
「何だね?」
「お前の部屋にあるアーサー・コナン・ドイルの本、持ってきてくれ」
「むう……私の部屋に立ち入る許可は出すから、自分で取りに来給えよ、君ィ」
「立っている者は親でも使えというだろう」
「まぁたそういう言い訳をして」
悪びれた風もなく、ケツァルコアトルはカフェオレを口に含み、ゆっくりと味わいながらテスカトリポカに顎で指図した。怠惰だなあ、と文句を言いながらもケツァルの要求通り動いてくれる鏡である。
「……3冊あるが、どれを言っているのだね?」
「シャーロック・ホームズのやつ」
「はいはい」
シャーロック・ホームズはいい。薬をキメていて、助手を何らかの形で特別視している風に感じ取れるのが、人間臭くて。バリツなる謎の格闘術を身に着けているところなど、荒唐無稽で面白いのだ。超人のようで超人でない、その曖昧だが強烈なキャラクターに、ケツァルコアトルは興味を惹かれてやまなかった。
何というか、人間が思い描いた「強くて頼りになるが弱い部分も併せ持った、知的な英雄像」という、理想だか理想でないのだか分からないが、憧れのあの人、のような空想を読むのが、好きになっていた。
基本的に人間のことは好きだからだろう。
テスカトリポカが1冊の本を手に戻ってきたのは、ケツァルコアトルがカフェオレを飲み干した頃だった。「ん」と差し出してくる彼に「ああ」とだけ返して本を受け取るケツァルコアトルは、ぞんざいな返事をしても怒らないテスカトリポカに、ちょっとした優越感のようなものを抱いていた。
テスカトリポカを雑に扱っても許されるのは、ケツァルコアトルかサモナーかぐらいである。他の者が彼を粗末に扱った際に、彼が「まあ良かろう」と赦しの言葉を口にすることがあるが、ケツァルやサモナーに対してはそれがない。対等だから気にしていないのだ。それが分かる瞬間が、ケツァルはほんの少し、好きだった。
「ああ、テスカトリポカ」
「本から目を離さずに話しかけるのをやめ給えよ」
足を組んで座るケツァルコアトルが、何をするでもなく頬杖をついていたテスカトリポカを呼べば、彼は若干ムッとしてケツァルコアトルのほうを見た。白い翼を持った竜蛇は、そんなことお構いなしにローテーブルの上を指差す。テスカトリポカの視線がローテーブルに向いた直後あたりでケツァルコアトルの声が響いた。
「おかわり」
「自分で淹れることもできるぞう? 何せインスタントのドリップコーヒーだからね」
「おーかーわーり」
「……了ー解」
ものぐさだなあ、君ィ。とテスカトリポカが一応、苦言のようなものを呈する。ものぐさだとも、悪いかね。と、本に視線を注いだままケツァルコアトルが答えるので、黒いジャガーは肩をすくめて、やれやれ、と口にした。
ケツァルコアトルは小説に目を通しながら、耳でテスカトリポカの気配を追っていた。キッチンでインスタントのドリップコーヒーを淹れる彼は、戸棚を開けて何かを探し始めている。ややあって、あった、という声が聞こえてきたので、お探しの品は見つかったらしかった。
湯を注ぐ音。香ってくる爽やかでコクのある香り。冷蔵庫を開ける音。わざわざ言わなくともカフェオレにしてくれるあたり、テスカトリポカはケツァルコアトルのことをちゃんと分かっている。
ホームズが「おかげで退屈がしのげたよ」と生あくびをしているシーンに差し掛かった頃、テスカトリポカは戻ってきた。
「カヌレでも食べるかね」
「うん、頂く。なあ、テスカ、今度古本屋を巡らないか。俺、ほしい本があるんだよ」
読んでいた箇所にスピンを挟み、パタンと本を閉じたケツァルコアトルがそう言った。取り寄せればいいじゃないかね、とテスカトリポカは返す。古本屋では、目当ての品があるかどうか分からない。一種の賭けである。
ケツァルコアトルは少し口を尖らせた。
「古本屋を巡りたいんだよ」
「一人でも行けるだろう、きょうだい?」
「あまり意地の悪いことを言うもんじゃないぞう、テスカトリポカ」
ほしい本はある。もちろん、それは本当のことだ。しかし、あるかどうか定かでない場所に赴くのにも理由がある。古本屋を巡るのだ。二人で。ああでもないこうでもないと他愛のない会話をしながら巡るのだ。
それを察せぬお前ではあるまいよ、といった視線を向けると、テスカトリポカは肩をすくめて、さてどうだろうね、なんて態度を取るのだった。
こき使われた意趣返しだとすぐに分かったので、本の背表紙でチョップした。ドス、という音と共にヒットした。
「暴力反対だよ、きょうだい」
「嘘つけお前、戦争も闘争も大賛成な癖に」
鼻腔をくすぐるほろ苦い香りに、ケツァルコアトルは目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしいと、壁掛け時計を見て察する。一時間ほどの昼寝は、半身であり友であり宿敵である男の一服によって妨げられた。
いつも飲んでいるインスタントではないらしい。香りが違う。だがこの家にコーヒーミルなんて上等なものはないし、彼がコーヒー豆を買ってきたという記憶もないので、ああ、即席のドリップか、と見当をつけた。
チャボチャポ、チョロチョロと控えめな水音が聞こえてくる。湯を少しずつ注がなければあっという間に溢れて台無しになるのがドリップだ。ケツァルコアトルはそういう、ちまちました入れ方を焦れったく思うから、いつもインスタントの粉コーヒーで済ませていた。ざっと湯を注ぎ、ガッと飲み、時々舌を火傷するのだ。
ややあってキッチンから姿を現したテスカトリポカが、身じろぎしてソファに座り直すケツァルコアトルを見て声をかけてきた。
「起きたのだね、きょうだい」
キッチンからテスカトリポカの手元へと続く香ばしくコクのある香りが、ソファの前に置かれたローテーブルへと移動する。コトリ、と置かれたコーヒーカップの中で、褐色で透明感のある液体が揺れた。
「買ってきたのか」
湯気が昇るそれを眺めながら尋ねれば、テスカトリポカは何の話だかすぐに合点がいったようで、そうだよ、と短く返してくる。彼が着ている緑色のシャツの袖が少し濡れているのを見つけて、ケツァルコアトルは小さく笑った。たぶん、お湯を注ぐのに少しだけ失敗したのだ。まあ、火傷しなくて良かった。
テスカトリポカが隣のソファに腰掛け、コーヒーカップに口をつける。ズ、と音を立てて少量を口に含んだ彼は、ゆっくりと飲み下して、それから放置されていた新聞紙を手に取った。器用にも片手で小さく折り畳み、読み始める。ケツァルコアトルはその仕草を羨ましげに見つめた。ケツァルが新聞を手に取ると、畳みきれずに平行四辺形あたりのシルエットになってしまう。きれいな長方形を作れる片割れが、少しだけ妬ましかった。
「……ケツァルコアトルよ」
「何だね、テスカトリポカ」
ケツァルコアトルのほうをチラリと見て口を開くテスカトリポカに、呼ばれたほうは簡潔に返事をした。呼んだ側のジャガー獣人は、コーヒーをひと口すすって口内を湿らすと、自分をじっと見つめてくる白い竜蛇に問いかける。
「そうジロジロと見つめられていては落ち着かんのだがね……? 君も飲むかね、これ?」
ジロジロと見つめていたのは、新聞紙をきれいに折り畳める特殊技能を羨んでのことだったのだが……。まあいい、とケツァルコアトルは思考を切り替えた。
「砂糖なしミルク入りで頼む」
「うん、心得ているとも」
テスカトリポカは立ち上がり、キッチンへと姿を消した。残されたコーヒーは小さく湯気を立て、芳醇な香りをたたえている。なるべく音を立てないよう、そのコーヒーカップを手に取った。キッチンでは瞬間湯沸かし器で湯を沸かす音と、カチャリとコーヒーカップが用意される音、それから即席ドリップコーヒーのパッケージを開ける音が聞こえてきていた。
今ならバレることもない。
ケツァルコアトルは、テスカトリポカが口をつけていた箇所に、自らの口をつけた。そしてコーヒーを、ほんの少しだけすする。
香ばしさの中にマイルドな酸味を感じる。ケツァルコアトルの好きな味だ。欲を言えば、もう少しフルーティーでも良かった。などと心の内でわがままを唱えながら、コーヒーカップを音もなくローテーブルに戻す。
間接キスだか何だかの事実を知る者はケツァルコアトル以外におらず、何も知らない片割れは、チョロチョロと湯を注ぐ作業に集中していた。
ガタン、と冷蔵庫の扉が開く音。ミルクを注ぐのだ。それを察して、ケツァルコアトルはソファに深く腰掛ける。受け取りに行くつもりはない。あちらが持ってきてくれる。だって「飲むかね」と尋ねてきたのはテスカトリポカのほうなのだ。言い出しっぺが最後までやるのは当然のこと。
……だとか何とか、頭の中で理屈を捏ねてはいるが、実際のところ、テスカトリポカが当たり前という顔をして持ってきてくれるのが、少し嬉しいだけだったりする。
「はい、お待たせ」
そう言って目の前に淹れたてのコーヒーで作ったカフェオレを置く黒い太陽は、ケツァルコアトルの「うん」という短い返事に不満も感じずにソファへ腰掛け、再び新聞を片手にコーヒーをすすり始めたのだった。
間接キスだなんて微塵も気づかずに。
いたずら成功。と、ケツァルコアトルは無糖のカフェオレを口に含んで笑った。
春が深まるにつれ、日も延びてくる。夕方5時を迎えた現在も、まだ昼過ぎであるかのように明るかった。ケツァルコアトルはこの、日が延びて太陽が沈みきらない時間帯が好きである。自分とテスカトリポカは太陽を司る存在で、だから、なかなか沈まぬ太陽というのが好ましい。
昔、戦争をして、死にものぐるいで相方を殴り飛ばしていたのを思い出した。どちらかがダウンするまで陽が沈まなかったように思う。お互いがお互いに負けず嫌いだったので、こうしてなかなか陽が沈まない時間帯を過ごすことも多々あった。
ただ、その時はふたりとも血走った目で相手を睨みつけ、哄笑を轟かせたり怒声を上げたりしていたので、こうして静かに明るい時間を共にするということは、あまりなかったのだが……。
テスカトリポカが新聞をソファに放る。残ったコーヒーを一気に呷り、席を立とうと腰を上げた。
「テスカトリポカ」
それを引き止めるのは、カフェオレをちびちびと飲んでいるケツァルコアトルだ。
「何だね?」
「お前の部屋にあるアーサー・コナン・ドイルの本、持ってきてくれ」
「むう……私の部屋に立ち入る許可は出すから、自分で取りに来給えよ、君ィ」
「立っている者は親でも使えというだろう」
「まぁたそういう言い訳をして」
悪びれた風もなく、ケツァルコアトルはカフェオレを口に含み、ゆっくりと味わいながらテスカトリポカに顎で指図した。怠惰だなあ、と文句を言いながらもケツァルの要求通り動いてくれる鏡である。
「……3冊あるが、どれを言っているのだね?」
「シャーロック・ホームズのやつ」
「はいはい」
シャーロック・ホームズはいい。薬をキメていて、助手を何らかの形で特別視している風に感じ取れるのが、人間臭くて。バリツなる謎の格闘術を身に着けているところなど、荒唐無稽で面白いのだ。超人のようで超人でない、その曖昧だが強烈なキャラクターに、ケツァルコアトルは興味を惹かれてやまなかった。
何というか、人間が思い描いた「強くて頼りになるが弱い部分も併せ持った、知的な英雄像」という、理想だか理想でないのだか分からないが、憧れのあの人、のような空想を読むのが、好きになっていた。
基本的に人間のことは好きだからだろう。
テスカトリポカが1冊の本を手に戻ってきたのは、ケツァルコアトルがカフェオレを飲み干した頃だった。「ん」と差し出してくる彼に「ああ」とだけ返して本を受け取るケツァルコアトルは、ぞんざいな返事をしても怒らないテスカトリポカに、ちょっとした優越感のようなものを抱いていた。
テスカトリポカを雑に扱っても許されるのは、ケツァルコアトルかサモナーかぐらいである。他の者が彼を粗末に扱った際に、彼が「まあ良かろう」と赦しの言葉を口にすることがあるが、ケツァルやサモナーに対してはそれがない。対等だから気にしていないのだ。それが分かる瞬間が、ケツァルはほんの少し、好きだった。
「ああ、テスカトリポカ」
「本から目を離さずに話しかけるのをやめ給えよ」
足を組んで座るケツァルコアトルが、何をするでもなく頬杖をついていたテスカトリポカを呼べば、彼は若干ムッとしてケツァルコアトルのほうを見た。白い翼を持った竜蛇は、そんなことお構いなしにローテーブルの上を指差す。テスカトリポカの視線がローテーブルに向いた直後あたりでケツァルコアトルの声が響いた。
「おかわり」
「自分で淹れることもできるぞう? 何せインスタントのドリップコーヒーだからね」
「おーかーわーり」
「……了ー解」
ものぐさだなあ、君ィ。とテスカトリポカが一応、苦言のようなものを呈する。ものぐさだとも、悪いかね。と、本に視線を注いだままケツァルコアトルが答えるので、黒いジャガーは肩をすくめて、やれやれ、と口にした。
ケツァルコアトルは小説に目を通しながら、耳でテスカトリポカの気配を追っていた。キッチンでインスタントのドリップコーヒーを淹れる彼は、戸棚を開けて何かを探し始めている。ややあって、あった、という声が聞こえてきたので、お探しの品は見つかったらしかった。
湯を注ぐ音。香ってくる爽やかでコクのある香り。冷蔵庫を開ける音。わざわざ言わなくともカフェオレにしてくれるあたり、テスカトリポカはケツァルコアトルのことをちゃんと分かっている。
ホームズが「おかげで退屈がしのげたよ」と生あくびをしているシーンに差し掛かった頃、テスカトリポカは戻ってきた。
「カヌレでも食べるかね」
「うん、頂く。なあ、テスカ、今度古本屋を巡らないか。俺、ほしい本があるんだよ」
読んでいた箇所にスピンを挟み、パタンと本を閉じたケツァルコアトルがそう言った。取り寄せればいいじゃないかね、とテスカトリポカは返す。古本屋では、目当ての品があるかどうか分からない。一種の賭けである。
ケツァルコアトルは少し口を尖らせた。
「古本屋を巡りたいんだよ」
「一人でも行けるだろう、きょうだい?」
「あまり意地の悪いことを言うもんじゃないぞう、テスカトリポカ」
ほしい本はある。もちろん、それは本当のことだ。しかし、あるかどうか定かでない場所に赴くのにも理由がある。古本屋を巡るのだ。二人で。ああでもないこうでもないと他愛のない会話をしながら巡るのだ。
それを察せぬお前ではあるまいよ、といった視線を向けると、テスカトリポカは肩をすくめて、さてどうだろうね、なんて態度を取るのだった。
こき使われた意趣返しだとすぐに分かったので、本の背表紙でチョップした。ドス、という音と共にヒットした。
「暴力反対だよ、きょうだい」
「嘘つけお前、戦争も闘争も大賛成な癖に」
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