眠れぬ夜は
全くもって不愉快だった。
テスカトリポカは、遺憾の意を表明していた。目の前で眠るケツァルコアトルを相手に。
ケツァルコアトルの腕の中には、もう一つの義体……テスカトリポカぬいぐるみバージョンが、ちんまりと存在を主張している。はっきり言って、かわいいボディであるが、かわいいせいで可愛くなかった。腹が立つほど邪魔くさかった。
ケツァルは安心したように寝息を立てていて、テスカトリポカぬいぐるみバージョンを優しく抱きしめてソファに横たわっている。……いや、まあ、寝相がよろしくなかったのかソファから転げ落ちていたのを、テスカトリポカが横抱きにして寝かせ直したからなのだが。
テスカトリポカは、舌打ちを堪えた。
ケツァルコアトルが殺気とも不機嫌オーラともつかない何かを感じ取って、ゆっくりと上体を起こしたとき、テスカトリポカは「おはよう」と素っ気なく返して視線をどこか別の方向へとそらしたのだった。
「まさか、中身が空の自分自身に嫉妬を覚えるとは思っていなかったな、きょうだい?」
小さくあくびをするケツァルコアトルに、やはり不満そうに告げるテスカトリポカである。
「本人ならここにいるではないかね? なぜわざわざ、ぬいぐるみを選ぶ理由が?」
しかもそれ、義体だから持っていかれると困るのだがね、きょうだい。
ぬいぐるみバージョンを片手で持ち上げて、テスカトリポカが問いかけた。
安眠を妨害された竜蛇はというと、テスカトリポカぬいぐるみバージョンをひったくるように取り返して、ギュッと抱きしめる始末。その姿に、テスカトリポカ大人バージョンの|大人気《おとなげ》はすっかり鳴りを潜めていた。
「私より物言わぬぬいぐるみがいいと言うのなら、別に構わんよ」
嘘だ。
充分構い倒しているじゃないか。
不機嫌なテスカトリポカの目の前で、ケツァルコアトルはやや気恥ずかしそうにうつむいている。ぬいぐるみをモフモフと|弄《もてあそ》びながら、だってなあ、と呟いて、それから口を開いた。
「中身が空のぬいぐるみなら、キスしてもからかって来ないだろ」
「は?」
テスカトリポカの声が一段低くなった。
キス? したのか? ぬいぐるみに?
イラッとした黒い太陽は、羽毛ある蛇の肩をしっかりと掴み、真剣な表情で彼に問いかける。
「ぬいぐるみの、どこに、キスをしたのだね?」
「額とか、頬とか、羽の付け根とか」
からかって来ないだろ。
ケツァルの言葉を今更思い出し、テスカは、ムッと口を尖らせた。大人げないとは分かっていても、どうしても嫉妬が止まりそうにない。
「いつも抱きしめたりキスしたりしてるわけじゃあないぞう?」
困ったようにケツァルコアトルが言っても、テスカトリポカの機嫌は直らないようで、何も言わず強く肩を掴み、しかめっ面でケツァルを睨むばかりだった。
ケツァルはテスカから視線をそらす。そして、困り果てた、というようにため息を一つ。
「眠れないときだけだよ」
「ぬいぐるみを抱くのは?」
「そう。眠れぬ夜とかは、こうして物言わぬお前を抱きしめるんだ。……お前だって、いつも俺のそばにいられるわけじゃないだろう?」
そう言われてしまうと反論はできない。年がら年中ケツァルコアトルの隣にいられれば良いが、テスカトリポカは最前線指揮官としての務めがある。それを放り出してしまうわけには……。
いや……割りと放り出しているけど。
テスカトリポカは何も言わず、ケツァルコアトルをきつめに抱きしめた。
「何だよ、甘えたかね、テスカ?」
苦しいんだが? と不平を口にするケツァルに、しかしテスカトリポカは不自然なほどに何も言わない。ただケツァルの体を抱き寄せて、捕らえて、離さない。
「おい、テスカトリポカ」
いい加減に解放したまえよ。
不機嫌になってきたケツァルコアトルが、テスカトリポカの背中を尻尾でバシバシ叩く。腕の中から抜け出そうとする。それをしっかり妨害しながら、テスカトリポカは不貞腐れたように声を絞り出した。
「何も言わなければいいのだろう?」
物言わぬテスカをお望みだろう? と。
言葉に詰まるケツァルコアトルに、テスカトリポカは拗ねたように何も言わず、小さくため息をついて、それから更に抱きしめる力を強めた。
ぬいぐるみの自分に嫉妬など。
どうかしている。
分かっている。
ただ……ただ、どうしても、気に食わない。
「……お前に抱きしめられていると、その、落ち着かなくなるんだが」
「何だね。ぬいぐるみの私のほうがお好みかね、きょうだい? ならばいいとも、離れようとも。勝手に眠りこけていれば──」
「違う」
「何が」
テスカトリポカはケツァルコアトルの顔を見た。そして、ポカンとした。
頬を朱に染め、目を伏せている半身の姿が、目に入ったからだった。
「お前にくっつかれていると、だな……どうにも、その、心音が騒がしくなるというか……眠れんのだよ」
分かれバカ。
そう吐き捨てるケツァルコアトルに、テスカトリポカは口元をムズムズとさせ……そして、
「……からかったら、いけないのだったね」
「からかう気を起こすな! うっさい!」
「何も言わぬよ、言わぬから……ああ、もう少し、くっついていては、いけないかね?」
白き半身の首筋に、自身の額をこすりつけたのだった。ぬいぐるみに勝った瞬間である。
そうしてテスカトリポカはケツァルコアトルを抱きしめたまま寝室へと向かった。広いベッドでないと、二人並んで眠れないからだ。
もっとも、ケツァルコアトルいわく、心音が騒がしくなって眠れないとのことだが。
「今夜はよく眠れそうだよ、ケツァルコアトル」
「そうか……ああ、そうか、もう勝手にしろ」
テスカトリポカは、遺憾の意を表明していた。目の前で眠るケツァルコアトルを相手に。
ケツァルコアトルの腕の中には、もう一つの義体……テスカトリポカぬいぐるみバージョンが、ちんまりと存在を主張している。はっきり言って、かわいいボディであるが、かわいいせいで可愛くなかった。腹が立つほど邪魔くさかった。
ケツァルは安心したように寝息を立てていて、テスカトリポカぬいぐるみバージョンを優しく抱きしめてソファに横たわっている。……いや、まあ、寝相がよろしくなかったのかソファから転げ落ちていたのを、テスカトリポカが横抱きにして寝かせ直したからなのだが。
テスカトリポカは、舌打ちを堪えた。
ケツァルコアトルが殺気とも不機嫌オーラともつかない何かを感じ取って、ゆっくりと上体を起こしたとき、テスカトリポカは「おはよう」と素っ気なく返して視線をどこか別の方向へとそらしたのだった。
「まさか、中身が空の自分自身に嫉妬を覚えるとは思っていなかったな、きょうだい?」
小さくあくびをするケツァルコアトルに、やはり不満そうに告げるテスカトリポカである。
「本人ならここにいるではないかね? なぜわざわざ、ぬいぐるみを選ぶ理由が?」
しかもそれ、義体だから持っていかれると困るのだがね、きょうだい。
ぬいぐるみバージョンを片手で持ち上げて、テスカトリポカが問いかけた。
安眠を妨害された竜蛇はというと、テスカトリポカぬいぐるみバージョンをひったくるように取り返して、ギュッと抱きしめる始末。その姿に、テスカトリポカ大人バージョンの|大人気《おとなげ》はすっかり鳴りを潜めていた。
「私より物言わぬぬいぐるみがいいと言うのなら、別に構わんよ」
嘘だ。
充分構い倒しているじゃないか。
不機嫌なテスカトリポカの目の前で、ケツァルコアトルはやや気恥ずかしそうにうつむいている。ぬいぐるみをモフモフと|弄《もてあそ》びながら、だってなあ、と呟いて、それから口を開いた。
「中身が空のぬいぐるみなら、キスしてもからかって来ないだろ」
「は?」
テスカトリポカの声が一段低くなった。
キス? したのか? ぬいぐるみに?
イラッとした黒い太陽は、羽毛ある蛇の肩をしっかりと掴み、真剣な表情で彼に問いかける。
「ぬいぐるみの、どこに、キスをしたのだね?」
「額とか、頬とか、羽の付け根とか」
からかって来ないだろ。
ケツァルの言葉を今更思い出し、テスカは、ムッと口を尖らせた。大人げないとは分かっていても、どうしても嫉妬が止まりそうにない。
「いつも抱きしめたりキスしたりしてるわけじゃあないぞう?」
困ったようにケツァルコアトルが言っても、テスカトリポカの機嫌は直らないようで、何も言わず強く肩を掴み、しかめっ面でケツァルを睨むばかりだった。
ケツァルはテスカから視線をそらす。そして、困り果てた、というようにため息を一つ。
「眠れないときだけだよ」
「ぬいぐるみを抱くのは?」
「そう。眠れぬ夜とかは、こうして物言わぬお前を抱きしめるんだ。……お前だって、いつも俺のそばにいられるわけじゃないだろう?」
そう言われてしまうと反論はできない。年がら年中ケツァルコアトルの隣にいられれば良いが、テスカトリポカは最前線指揮官としての務めがある。それを放り出してしまうわけには……。
いや……割りと放り出しているけど。
テスカトリポカは何も言わず、ケツァルコアトルをきつめに抱きしめた。
「何だよ、甘えたかね、テスカ?」
苦しいんだが? と不平を口にするケツァルに、しかしテスカトリポカは不自然なほどに何も言わない。ただケツァルの体を抱き寄せて、捕らえて、離さない。
「おい、テスカトリポカ」
いい加減に解放したまえよ。
不機嫌になってきたケツァルコアトルが、テスカトリポカの背中を尻尾でバシバシ叩く。腕の中から抜け出そうとする。それをしっかり妨害しながら、テスカトリポカは不貞腐れたように声を絞り出した。
「何も言わなければいいのだろう?」
物言わぬテスカをお望みだろう? と。
言葉に詰まるケツァルコアトルに、テスカトリポカは拗ねたように何も言わず、小さくため息をついて、それから更に抱きしめる力を強めた。
ぬいぐるみの自分に嫉妬など。
どうかしている。
分かっている。
ただ……ただ、どうしても、気に食わない。
「……お前に抱きしめられていると、その、落ち着かなくなるんだが」
「何だね。ぬいぐるみの私のほうがお好みかね、きょうだい? ならばいいとも、離れようとも。勝手に眠りこけていれば──」
「違う」
「何が」
テスカトリポカはケツァルコアトルの顔を見た。そして、ポカンとした。
頬を朱に染め、目を伏せている半身の姿が、目に入ったからだった。
「お前にくっつかれていると、だな……どうにも、その、心音が騒がしくなるというか……眠れんのだよ」
分かれバカ。
そう吐き捨てるケツァルコアトルに、テスカトリポカは口元をムズムズとさせ……そして、
「……からかったら、いけないのだったね」
「からかう気を起こすな! うっさい!」
「何も言わぬよ、言わぬから……ああ、もう少し、くっついていては、いけないかね?」
白き半身の首筋に、自身の額をこすりつけたのだった。ぬいぐるみに勝った瞬間である。
そうしてテスカトリポカはケツァルコアトルを抱きしめたまま寝室へと向かった。広いベッドでないと、二人並んで眠れないからだ。
もっとも、ケツァルコアトルいわく、心音が騒がしくなって眠れないとのことだが。
「今夜はよく眠れそうだよ、ケツァルコアトル」
「そうか……ああ、そうか、もう勝手にしろ」
1/1ページ
