雨天、君と私

「言い訳は趣味じゃないんだ!」
 雨の日にずぶ濡れになって帰ってきたケツァルコアトルが、いい笑顔で言うものだから、テスカトリポカのチョップが唸った。

「何だってこんなことになったのだね」
 玄関でタオルを複数枚投げつけながら問うテスカトリポカに、いやあ……、と言葉を濁すのはケツァルコアトル。頭から靴の先までびっしょりと濡れたその姿は、台風の日に某音楽バンドごっこをした小学生のようにも見えた。
「ほら、傘を忘れたクラスメイトがいたんだ」
「今日は朝から雨だったのだよ、きょうだい。そんな日に、傘を忘れることなどあるものかね」
 帰りも遅かったじゃないかね、と、まるで保護者のような口ぶりの同居人。思わず笑った。
「まあ、いいじゃないかね」
 完全スルーの構え。
 びしょ濡れの上着を脱いで家に上がるケツァルコアトルを、良いものか、とテスカトリポカが追った。ケツァルがリビングに行こうとしていたので、後頭部を叩いて浴室へと引きずり込んた。

「タオルで全身を拭うだけじゃ駄目かね」
 濡れた服を洗濯機に放り込み、タオルにくるまったケツァルが脱衣場で訊ねる。
「駄目。温まっておいで、きょうだい」
 風呂は沸いている。何ならシャワーでもいい。体を温めて来いと、テスカが答えた。
 ケツァルコアトルの髪は雨でしっとりと肌に張り付いていて、ところどころ跳ねたその様子が、濡れた仔犬のような印象を与えた。
 仔犬というより大型犬だし、大型犬というより猛獣に近いのだが、テスカトリポカは彼に慣れきっている。大人しくしているケツァルコアトルを、小動物だと認識できる程度には。
「背中を流すくらいなら手伝うよ」
 なかなか風呂に入ろうとしないケツァルコアトルに、黒い太陽は腕組みをしながらため息をついて、言った。

 ケツァルコアトルの体は思いの外冷えていたようだ。シャワーの湯を浴びた瞬間、熱い、と反射的に声を上げたほど。
 雨に打たれたせいだ。体温を知らず知らずのうちに奪われていたのだ。風呂に入れる選択をして正解だったと、テスカトリポカは安堵した。
 シャンプーで髪の汚れを落としていく。
 ケツァルコアトルは大人しく低い椅子に腰掛けて、テスカトリポカに髪を洗われていた。
 手櫛で髪をとかす。シャンプーをなじませていく。そこでテスカトリポカは、あることに気づいた。気づいて、「あ」と声を出した。
「これ、私のシャンプーだ。君のじゃなく」
「あはは! 匂いがお揃いになってしまった!」
「あははじゃないよ、高かったんだぞう、これ」
「あははは!」
 薬草とフレグランスの香りが漂う浴室で、ケツァルコアトルがカラカラ笑う。体の冷えも取れてきたようだ。はあ、と息をつき、テスカトリポカのするがままにされていた。
 トリートメントもテスカトリポカのものを使った。中途半端に香りが違うものを混ぜるのは、双方あまり好まないようだった。
 長い長い髪に染み込ませ、髪をまとめてお団子の形にして、ヘアゴムとヘアクリップで固めた。
「体は自分で洗い給えよ」
 ジャガーの言葉に、竜蛇が振り向く。
「何だっけ、ジ◯リ映画のセリフ」
「は?」
「手ぇ出すんなら、|終《しま》いまでやれ」
「なんでそこだけ覚えているのだね、君は」
 私は三助ではないよ? と複雑そうな面持ちのエルドラド世界代行者……そう、世界代行者を、追放者である彼は遠慮なくこき使うのだ。
「早く」
「……なぜ得意げなのだね、ケツァルよ」

 ケツァルコアトルがようやく湯船に浸かった。
 血の巡りが良くなったか、頬が上気していた。
 温かい湯に浸かり、浴槽の縁に上半身をもたれかからせ、ケツァルコアトルが上機嫌でテスカトリポカに湯をかける。
 洗ってやったというのにこの仕打ち。
 君はクソガキか何かか? と黒い片割れに睨まれて、白い片割れは楽しそうだった。
「……濡れた猫がいたんだ」
 ふと、唐突に。
 ケツァルコアトルが話し出す。
「黒猫だった」
 雨でひしゃげたダンボールの中、濡れた毛布の上で震える黒い猫がいた。
 ケツァルコアトルは何を考えるでもなくその猫を抱き上げて、傘の下に避難させ、上着でくるんで走った。動物病院に直行したのだ。
 ノミにやられ、軽い栄養失調も見られた。
 ケツァルは治療費を迷わず支払い、この黒猫を飼ってくれそうな知人を当たり、交渉し、了承してくれた者のもとへ預けに走った。
 気がつけばびしょ濡れ。
 今さら傘をさす意味もない。
 その傘は猫にやってしまって、やはり走って帰ってきたのだという。

 テスカトリポカが盛大にため息をついた。

 それはそうだ。
 財力のある小学生か、君は。と脱力しながら告げる片割れに、言われた竜蛇はどこ吹く風である。
「君……あのね、ケツァルコアトル、後先というものを考え給えよ」
 テスカトリポカの訴えに、ケツァルコアトルは
「その猫、テスカトリポカに似てたから」
 とだけ返した。
「……私に?」
「目の色が青緑色だった。きれいだったよ。本当に君みたいだった。……そうしたら、どうしても世話を焼きたくなってしまってね!」
 テスカは呆れたように目を細めた。
 しかし苦言は呈さなかった。
 きっとテスカトリポカも、雨の中、白い捨て犬でも見つけたら……同じように思って、同じようなことをするだろうから。
 かろうじて言えるのはこれだけだ。

「だからって、こんなに冷えて帰ってくるのはやめてくれまいか。今はもうない心臓に悪い」
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