留守にしております

「おい、好きだぞお前」
 喧嘩上等、といったオーラを放つケツァルコアトルが、テスカトリポカを睨みつけながら宣言した、雨の日の朝のこと。
「ああ……うん、はい、そうかね」
「流すんじゃないよお前はァ」
 リアクションに困ったジャガー獣人が塩対応が如くあっさり返すと、苛立った羽毛ある蛇の平手がジャガーの頭をひっぱたいた。

 キッチンを占領するケツァルコアトルが、慣れない手付きで何かを作っている。ガチャン、という音を立てて揺れるのはボウル。グシャッ、という音を立てて割れるのは卵だ。
 殻が入った、と悔しそうにぼやきながら卵の殻を丁寧に取り除くケツァルコアトルである。
 何をしているのか様子を見ようにも、男子厨房に入らず!! と叱られてしまうテスカトリポカは、ただ待つことしかできない。
 いや、君も男子だが……? とツッコもうと思ったが、フライパンでしばかれたら痛いので、まあ、黙っておくことにした。
 やがて出てきたのは、黒と茶色と黄色のマーブル模様が見事な……茶化すのはよそう、玉子焼きであった。思わず「三毛猫?」と呟いたジャガーの頭に拳骨が振り下ろされたが、置いておく。
 出されたからには食べねばなるまい。
 テスカトリポカは器用に箸を使って三毛のそれを切り分けて、口に運ぶ。
 ジャリ、と甘い何かが口の中で主張した。
 ぐ……グラニュー糖……。
 どれだけグラニュー糖を入れたのだろう。
 ジャリジャリした食感は終わることを知らず、無限に甘く、焦げている部分は苦く、卵本来の味が三途の川の向こう側から微かに漂ってくるような気がしないでもない。
「すまない……反射で笑ってしまう」
 苦笑しながら食べるテスカトリポカに
「……食べるのやめていいぞ」
 苦々しい顔つきでケツァルコアトルが返した。

 コーヒーは普通に淹れられるのだ、ケツァルコアトルは。インスタントの粉コーヒーだが、テスカトリポカが好む濃度で提供した竜蛇は、落ち着いたジャガーの彼の隣に腰を下ろし、しばらくしてから頬に口付けをした。
「は?」
 あまりの不意打ちに目を見開くジャガー獣人。
 ケツァルコアトルは無視しているのか、構わず自分の尻尾をテスカトリポカの尻尾に絡ませて、それからテスカの口に自分の口を押し当ててきた。
 舌で歯列を割って口内に侵入し、そのままザラリとしたテスカトリポカの舌と自身の舌を絡みつかせる。
 はじめは困惑していたテスカトリポカも、君がそのつもりならば付き合おう、とでも言うかのように、ケツァルコアトルの後頭部を鷲掴みにし、逃げられないよう強く固定してから、竜蛇の口内で舌を暴れさせ始めた。
 舌の先端でケツァルコアトルの上顎をツウ、となぞり、体を跳ねさせた竜蛇のことなどお構いなしに深い口付けを何度も交わした。
 終わった頃にはケツァルコアトルは腰砕けとなっていて、支えられてやっと座っていられた。
「積極的だね、きょうだい」
 悪くないが、どうしたのだね。
 テスカトリポカが小首を傾げて訊ねる。
 それに、
「だっ!」
 ケツァルコアトルは、
「だっ! ……誰がやり返せって言った!」
 顔を真っ赤にして、テンパって叫ぶくらいしか、できないようで。
 テスカトリポカが、吹き出していた。

「何なのだね、さっきから?」
 今日のケツァルコアトルは様子がおかしい。
 まるで何かに挑んでいるかのようだ。
 テスカトリポカが不思議そうに訊ねれば、ケツァルコアトルは不貞腐れたように短く返す。
「愛情表現だよ、分からんかね」
「それは分かったが……何故、急に?」
 今日が何かの記念日である記憶などないテスカトリポカは、どうして突然ケツァルコアトルが愛情を表明してきたのかが分からない。
 もしや何か大切な約束事でもあったか? と思い出そうとしても、そんなやり取りはしていないので、何も思い浮かばずに終わった。

「普段、お前からの愛情表現を受け取ってばかりだったからね」

 ケツァルコアトルは、少々気恥ずかしそうに視線をそらして、口を開いた。
「ちゃんとお前のことが好きであると伝えなくては……対等とは言えんだろう、きょうだい」
 言わせるんじゃない、恥ずかしいから。
 そう続けて、尻尾でテスカトリポカの背中をパシパシと叩くケツァルコアトルに、叩かれているテスカトリポカは小さく笑った。
 ケツァルコアトルが、柔くテスカトリポカを抱きしめる。好きだよ、ちゃんと。と呟いた声は、確かにジャガーの耳に届いた。

 ティリリリリ。

 端末が着信を知らせる。
 ケツァルコアトルの端末だ。これは通話機能の音だろう。そう察して、テスカトリポカが竜蛇の顔を覗き込む。
「鳴っているよ?」
「後でかけ直すからいい」
 素っ気なく言うケツァルコアトルは、応答を拒否してテスカトリポカの胸に顔を埋めた。
 テスカトリポカは、いじらしく、初々しいケツァルコアトルを抱きしめ返すと、すまないね、私の半身は私を優先したようだ、と端末を相手に少し、勝ち誇った。

「ただ今、電話に出ることができません」

 二人で留守にしております。
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