ちょっと遊ぼうか

ちょっと変えようか

 テスカトリポカが誰かと通話している。
 ケツァルコアトルはそれを眺めながら、半身の声に耳を傾けていた。
「ふむ……できるだけ早く戻りたいといえばそうなのだが、何においても最優先しろとは言わんよ」
 珍しいこともあるものだ。
 ケツァルコアトルやサモナーには「この! 私を! 最優先すべきではないのかね!?」と駄々をこねることもあるテスカトリポカが、相手を気遣うかのような素振りを見せている。
「急げば来週中には直る? むー……」
 ソファにうつ伏せで寝そべり、足をパタパタと動かしながら、ケツァルコアトルの宿敵は悩んでいた。
 聞く限り、義体の話をしているのだろう。
 ケツァルの知るテスカトリポカは、こういうときに「それはいい! ぜひ急いでくれたまえよ!」と高笑いで依頼するような奴なのだが。
 何故だか彼は逡巡している。
「……うーん、早めに執務に復帰するのもなあ」
「ふはっ!」
 羽毛ある蛇は、思わず吹いた。
 そこかよ。
 せっかく義体が直るまでのひと月、執務室から摘まみ出されて強制的に休暇を取らされていたというのに、それがなしになるのだ。
 そうか、サボりたいのか。
 声を押し殺して笑っているケツァルコアトルに視線を向けて、テスカトリポカは通話相手に不服そうに告げた。
「殴る相手ができたから、早めに頼むよ」
 端末の向こうで、誰かが笑う声が聞こえた。

「いだだだだ」
 ケツァルコアトルのスラリとした尻尾を、少年姿のテスカトリポカが噛んでいる。ガジガジと力いっぱい。
 先程の通話を笑われたのが気に入らないらしい。
 ケツァルコアトルはそれでも笑っていた。
「一ヶ月を三週間に縮めてもらえるなら、そっちのほうがいいだろ? 仕事始めが早まるのはご愁傷様だけど」
 尻尾の先端にネコパンチを繰り出す子供姿のテスカトリポカ。それを笑いながら、ケツァルコアトルがからかう。
 ムスッとした表情のジャガー獣人は、スッと立ち上がった。スツールに座っているケツァルコアトルによじ登る。
 何だ何だと目を丸くするケツァル。
 そんなケツァルに、テスカトリポカは

 バチン!!

 と、デコピンを一つ。
「いった!!」
「君は薄情な奴だなあ、ケツァルよ!」
「その前にデコピンを謝れ!」
「嫌だ! いいかね! 大人の姿に戻ったら、私は学園軍獄に帰るのだよ? この家から出ていくのだ。それをもう少し……ちょ〜っとくらいは、寂しがってくれても良くないかね? ん?」
 頬を膨らませて苦言を呈する少年は、やはりケツァルコアトルには自分を優先してほしいようで、「私がいなくなってもいいと言うのだね?」などと大学生の彼に絡んでいた。
 しばらく黙るケツァルコアトルだ。
 そうだ。
 義体が直ったら、テスカトリポカがケツァルコアトルの家に厄介になる理由もなくなる。
 つまり、テスカトリポカはいなくなる。
 ……。
 …………。

「……会えなくなるのか?」

 さっきまで笑っていたくせに。
 ケツァルコアトルは少しうつむいて、そんなことを口にした。気のせいか下がり眉だ。困惑したような、心細そうな表情をしていた。
「……しゅ……週三くらいで会いに来るとも」
 先程までの勢いはどこへやら。テスカトリポカが、ケツァルコアトルをなだめるかのように返す。ね? と首を傾げるテスカトリポカに、また会えるのだと分かったケツァルコアトルは、少しだけ微笑んだ。
「週一でいいぞ、きょうだい」
「なんで減らすのだね!? この薄情者ぉ!!」
「はっはっはっはっは!!」
 声を上げて、手を叩いて、ケツァルコアトルは腹の底から笑った。
 テスカトリポカが出ていく。
 家から出ていく。
 ケツァルコアトルが見ている世界から出ていくわけではなく。
 会おうと思えば会える。いつでも会える。
 笑わずにいられようか。

「むくれるなよ、きょうだい」
 ケツァルコアトルが面白そうに声をかけるのは、不貞腐れているテスカトリポカである。
 家を出ていく予定を寂しがられることもなく、というか大笑いされたのだ、拗ねたくもなるというものだろう。
「寂しくないとは恐れ入ったよ、私は感傷的な気分だったというのに!」
「ごめん! でも……ふふ、ははは、週三で会いに来るんだろ?」
「一ヶ月のうち三十日来てもいいんだぞう?」
「それは駄目だろ、仕事をしろ」
 ケツァルコアトルだって、突然やって来たテスカトリポカが突然いなくなるのだ、寂しくないわけはない。しかし、そんなものだとケツァルコアトルは思っている。
 ケツァルは束縛されるのをあまり好まない。ならば鏡であるテスカも、束縛を好まないだろう。ずっと自分のそばに縛り付けて、自分だけを見てもらう、なんてことはできないのだ。
「それでも……なあ、テスカ……」
「ん?」
「義体が直ってもさ……この家に住み続けるって選択肢は……ないのかな?」
 学園軍獄には通えばいいじゃないか。
 あの監獄のような景色を毎日眺めて過ごすのがテスカトリポカの日常だというなら、それをちょっと変えて……そう、ほんのちょっと変えて、ケツァルコアトルを視界に入れて過ごすことを日常にしたら。
 ケツァルコアトルは、腹がキュウ、と締め付けられる思いを抱えて、少しだけ黙る。
 そして、ははは、と笑った。
「やはり何でもない!」
「君がいいなら、私は構わんよ」
「……え?」
「君が、テスカトリポカがいないと寂しくて夜も眠れない、というなら、そばにいてもいいのだよ?」
「夜は眠れるな」
「急にドライ!! 君はそういう奴だけど!!」
 少しは可愛く振る舞いたまえよ! というテスカトリポカの叫びだかツッコミだかに、ケツァルコアトルは大声で笑った。
「テスカ、今まで客間で寝てたろ。ちょっと変えようか! お前の部屋、ちゃんと用意しとく!」
「ああ、ぜひともそうしてくれたまえ! いつでも殴り込みに行けるよう、近い部屋がいい!」
「お? 返り討ちにするぞお前! はっはっは! 俺もたまに殴り込みに行くかな!」
「それこそ返り討ちなのだよ!」
 獰猛だった。
 凶悪だった。
 二人の笑顔は喧嘩を内包していて、今にも相手に噛みつきそうで。
「そういえば、学園軍獄にはサーバールームやスーパーコンピュータがあるって本当かね、テスカ?」
「情報生命体である私が住むのだ、なければ困るというものだろう、ケツァル?」
「たぶんテスカがいなくなったら容量が空くから、さらに高性能に働くぞ、それら」
「それはいいね。だが……私とていつまでも義体に入っているわけにもいかんのだよなあ」
「じゃあ、週一で軍獄のネットワークに泊まりに行けばいいんじゃないか」
「君の家で暮らすこと前提の提案だね、きょうだい」
「不満かね?」
「いいや?」
 軽口を叩きあう二人は、悪巧みをしているかのように楽しそうで。

 昔、肩を並べてはしゃぎ回ったあの頃と、寸分違わぬ関係性が、そこにあった。
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