ちょっと遊ぼうか

ちょっと眠ろうか

 ケツァツコアトルは頭を殴られて目が覚めた。

 チリチリと痛む脳天に手を当てて、寝ぼけ眼で起き上がる。
 ここはリビングで、カーテンの隙間から日の光が注ぎ込んでいた。
「おはようだ!! きょうだい!」
 いきなり爆音が轟く。一瞬、身を強ばらせたケツァルコアトルが声のした方向……つまり足下を見ると、不機嫌そうに笑う少年の姿が目に入った。
「相変わらず君は寝相が悪いな! 見てみろ! 君の尻尾が私に絡まっているじゃないかね!」
 お陰で夜間、トイレに行けなくて、難儀したよ。
 純粋な苦情に、思わず苦笑いが漏れる。羽毛ある蛇はスルリとテスカトリポカから離れ、まだ冷えが残るリビングに座り込んだ。
 とことこと急いでトイレに向かう半身の姿を見送る。
「ネコパンチすることなかったじゃないかね」
 小学生の背中にそう声をかけると
「拳骨のつもりだったのだがね!!」
 心外だよ君ィ、という彼からの返事が来た。

 ケツァルコアトルは泣きじゃくったあと、テスカトリポカを抱き締めたまま眠りに落ちたらしい。冷えるリビングで、羽毛に覆われているとはいえ毛布もなしに、無防備に寝顔をさらしていたのだ。
 テスカトリポカが殴って起こしたせいか、まだ眠い。小さくあくびをして、時計を見た。午前六時だ。泣きすぎてだるさを覚えているケツァルコアトルには、早すぎる時間のように思えた。
「……結局、和解もなく、ただ泣いただけだったな」
 昨日のことを思い出して、少し悔しくなる竜蛇である。
 和解など、できないのだろうことは分かっていた。テスカトリポカは多数の代表で、ケツァルコアトルは少数すら救わずに世界から出ていった身だ。対極もいいところだ。分かりあうことなどできないのかもしれない。
「俺は、世界を愛せなかったんだろうか」
 窓から入ってくる薄明かるい光に目を向けながら独り言を漏らせば、廊下から、しゃらん、と尻尾の先で踊る金の飾りの音がした。
「私と君では世界の愛しかたが違ったのだろうよ」
 なんの慰めにもならない言葉だろう。しかしケツァルコアトルを落ち着かせるだけの意味合いはあるのだろう。そんな、なんとも力のないものを選んで口にしたテスカトリポカは、座り込んでいる半身の頭を撫でた。
「……子供に慰められるとは、思っても見なかったな」
「失礼だぞう、きょうだい。私の中身は大人であるのだからね?」
「ふふっ……テスカトリポカといえば、自由にその姿を変える神でもあったっけ……似合ってるよ、その姿」
「嬉しくないなあ」
 軽口を叩きつつ、カレンダーを見る。なんの変哲もない平日で、大学も小学校ももちろん休みではなかった。
 ケツァルコアトルが言う。
「……今日、休もうか」
 テスカトリポカが返す。
「なら私が体調を崩したことにすればいい。子供の体調は変わりやすいものだからね」
「共犯だな」
「そうとも」
 笑いながらケツァルコアトルが腕を広げる。
 テスカトリポカは迷わず腕の中に身を滑り込ませる。
「きょうだい、昨日話した通り、私はエルドラドの多数を優先する。それが君にとってどれほど痛く受け入れがたいことだとしても、私は私の責務というものを受け入れねばならないのだよ」
「……うん」
「だから、君が出ていったとき、呆然としたし理解ができなかった。君にとって私は、捨てても構わぬ欠片程度だったのかと、そんなことを」
「違う」
「だろうね。昨日さんざん泣かれて再確認したとも」
 体の大きなケツァルコアトルが、小さな体のテスカトリポカを抱き締めて、二人でささやきあうような会話をした。
 体温が高いのはテスカトリポカのほうで、ケツァルコアトルは半身の体温を分けてもらっている形になっていた。
「相容れないものなんだろうか」
「そりゃあ、見ているものが別々になってしまったら、そうだろうね。悲しいことに」
「お前、東京でも生け贄やってるのか」
「フフ! 東京の太陽はエルドラドのそれではないよ、君ィ!」
 大丈夫、大丈夫。
 目の前のジャガーは、もう失うものをなくした。
 これ以上、減りようがないのだ。
 それが本当に良いことなのかなど、ケツァルコアトルは考えたくもなかったが、とりあえず、腕の中にいるきょうだいはいなくなる心配はないのだと、それだけを心に刻み付けることにした。
「ケツァル、立ちたまえよ」
「もう少し、このままでいたい」
「いけない。君の体が冷えてしまう。寝室に向かおうじゃないか。何なら私と同じベッドで眠っても構わないぞう?」
「一緒に寝る」
 即答。
 ぎゅ、とテスカトリポカを抱き締める……いや、この場合、抱きつくといったほうが正しいだろう、ケツァルコアトルは、のそのそと立ち上がると、朝食も摂らずに寝室へ向かって歩き出した。
「ごめんな、エルドラドから出ていって」
「まったくだよ……と言いたいところだがね、ケツァルよ。君が出ていかなくとも、きっと我らは決別していたのだ。こうして別地で出会えたことに感謝をしようじゃないかね」
 テスカトリポカの声が耳に優しく響く。
 寝室について、ベッドに倒れ込んで、テスカトリポカが毛布をかけてくれて……それが無性に切なくて。
 ケツァルコアトルは体を丸める。
 子供のように丸める。

「ちょっと眠ろうか、きょうだい……昼頃には起こすとも」

 小学生にあやされて、大学生は意識をゆっくりと手放した。
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