対等アンバランス

アンチお前

 右手を上げれば左手を上げる。
 指を差せば指を差し返してくる。
 鏡というものは映った者の動きを忠実に返すものであり、もっとも身近にある反抗的な存在でもある。
 右手を上げても右手を上げ返さないところなど、特にそうだ。左右反転した動きをするのだから、アンチ自分、といったところだろう。
 そんな、親愛なるアンチテーゼを目の前に、ケツァルコアトルは盛大にため息をついていた。

「まさか、怪我する箇所まで正反対だとはな」

 本日、ケツァルコアトルはアプリバトルとは無関係な喧嘩に巻き込まれた。もともと喧嘩上等な部分を持つケツァルだったので、それはいいのだ。返り討ちにしたし。
 しかし、問題はここからだった。
 テスカトリポカが闘争に巻き込まれた、との報せが入ってきたのである。いや、巻き込まれたというか、ジャガーである彼の場合、首を突っ込んでめちゃくちゃに掻き回した、といったほうが適切ではあるのだが。
 ともかく、今日、ケツァルとテスカの周囲で最低でも一件ずつ喧嘩騒ぎが起こったことになる。
 怪我をした場所は左右反転。相手に止めを刺した方法はほぼ同じ。返り討ちにして帰ってきたところも同じだった。
 どこまで鏡なのだ。ケツァルコアトルは目の前の、右の頬にガーゼを当てているテスカトリポカを見ていた。ケツァルコアトルは左の頬にガーゼを当てているので、鏡あわせだった。

 行動がそっくりなのは、テスカトリポカが真似をしているからだと思っていた。
 だが環境や状況まで同じなのは、さすがに真似どころでは済まないだろうと、ケツァルは思う。
 双子のきょうだいであるショロトルとですら、こんなシンクロニシティは起こしたことがないのに。テスカトリポカとは驚くくらい同じ経験をしている。
 義体だから手当てよりもメンテナンスのほうがいいのだがね、と呟いているテスカトリポカに、再び盛大なため息をついた。
「お前は俺のアンチか。何でもかんでも鏡写しにして……俺を咎めてでもいるのか」
 喧嘩の最中、無茶をした自覚はある。
 それを、同じく無茶を……いや、無茶苦茶をした男の状態を見せられて、しっかり認識させられる。
 感覚で生き、感情で動くケツァルコアトルにとって、それは説教よりも堪えることだった。
 何より、テスカトリポカ本人に、ケツァルを咎める意思がないのが癪だった。ただ大切な片割れと同じような行動を起こしているだけで、半身を責めたり諌めたりすることはなく、時々「いーかげんにしたまえよ」と苦言を呈してくることはあるが、それっきりで。
 そんな彼が、自分と同じ行動をして怪我をしたというのが、本当に癪でたまらなかった。
 まるで自分のせいでテスカトリポカが傷ついたかのような錯覚に陥ってしまって、柄にもなく「ごめん」「大丈夫か」「痛そう」などと考えてしまう。
 アンチテーゼが目の前にいた。
 自分の行いをそっくり鏡写しにする、反転した男がいた。
 白いケツァルを反転させたら、黒いテスカになるのだろう。
 どうせアンチテーゼとなるならば、なにもかも正反対であればよかったのに。
 喧嘩上等の反対は恐らく温厚篤実だし、怪我をすることの反対は無傷であることだし、感情的なケツァルの反対は、きっと、理論的なテスカのはずで……。
 喧嘩上等に対して、鏡は喧嘩上等を主張し返した。怪我をするケツァルに対して、鏡は怪我をし返すことを実行した。感情的になるケツァルに対して鏡は……表向き、感情的であることを選んだ。

「俺のせいでお前がこうなったみたいじゃないか」

 実際そうなのだろう。と小さく息をつきながら漏らすと、ガーゼが邪魔だったのか剥がそうとしていたテスカトリポカが、ピタリと動きを止めてこちらを見てきた。
「フヘハハ」
 喉の奥から響く笑い声。
 何がおかしい、と彼のほうを見るケツァルコアトルに、エルドラドの世界代行者はおかしそうに笑う。
「確かに、鏡に映る存在がいなければ、私などはただ虚しい空のガラス板に過ぎないだろうね」
 ケツァルコアトルの眉間にシワが寄る。まあ、待ちたまえよ、とテスカトリポカが言い、竜蛇の握りこぶしを止めた。
「だがね、私とて意思はあるのだよ、きょうだい。映す相手くらい、自分で選ぶとも。そして選んだとも。私は私の意思で、君を映し取ると決めたのだよ?」
 その出来上がりがこちらになります、と、三分で調理法を紹介する番組のようにおどけて、ジャガーは言った。
「お前が怪我して、俺が喜ぶとでも?」
「なぁんだね、その腑抜けた台詞は! そっくりそのままお返しするとも! 君が私以外の原因で怪我をして、私が喜ぶとでも思っているのかね!」
 ああ、こんなところまで鏡写しだ。
 目の前にアンチテーゼがいる。
 親愛なるアンチが、ケツァルの杞憂をカウンターパンチで叩き落とす気満々で、ここにいる。
 ケツァルは笑った。力を抜くように、息を吐き出して笑った。
 そうしてテスカトリポカの右頬を軽く叩いた。
「いっだい! 頬が腫れているのが見て分からんかね!」
「俺だって」
「はぁ?」
「俺だって、どの鏡の前に立つかくらい、自分の意思で選べる。お前の前に立つと決めた。だからこうなってる。上等じゃないか」
 独り言だ。ケツァルコアトルはテスカトリポカの怪我をしていないほうの頬に手を添えると、苦笑いしながらそう言った。
「悩みが晴れたような顔をしているがね、君ィ」
「なんだよ」
「気づくのが遅いぞう?」
「ふっははは!」
 破顔した。左の頬が痛んだ。
 それがまた、笑いを誘った。
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