対等アンバランス

対抗策はグーパンチ

 リビングに血溜まりができている。
 陰惨な犯行現場……というわけではなかった。陰惨なことは陰惨なのだが、それと同時に殺気立つ、闘志むき出しの戦場でもあった。
 きっかけは些細な言い合いからだった。
 たしか口喧嘩の最中、テスカトリポカがケツァルコアトルを詰ったのだ。出ていくのかね、そうか、君は出ていくのが得意だものな、これからもそうやって、自分に都合の悪いことがあったら世界を捨ててどこへなりとも行くことだね。と。
 失言オブ失言である。もとより気が長い方ではないケツァルコアトルをブチ切れさせるのには充分な長台詞だった。テスカトリポカに背を向けてリビングから出ていくつもりだった彼は、ゆらりと振り向いたと同時に花瓶を投げつけてきた。
 避ける間もなくテスカトリポカの額はざっくりと割れ、生ぬるい人工血液が飛び散った。
 普通はそこでトーンダウンするはずだ。何せ大ケガだ。救急車を呼ぶなり、相手を心配するなり、謝るなり、テンションを下げるなりするはずだ。しかし二人は違う。長い間お互いの間に闘争が存在していた彼らは、テスカトリポカの出血を皮切りに、大バトルを始めたのだった。
 椅子は飛ぶし、壁に穴は空くし、拳で殴り会うし、噛みつくし、蹴り飛ばすし、爪で切り裂くし、罵るし、窓ガラスは割れるし。散々だ。
 力の加減を知らない小学生男子の喧嘩が、そのまま大きくなったような、そんな大騒ぎだった。直球で煽り合い、直球で喧嘩を買う。そこに遠慮と躊躇はなく、本を鈍器にしたり、尻尾を鞭の代わりにしたりと容赦もなかった。
 この喧嘩に刃物が持ち出されなくてよかったというものだ。
 ハサミもカッターも包丁も登場しなくて、本当によかった。
 ただ、爪と牙は登場しまくったが。

「ぬしらよ」

 大騒ぎしているところをご近所に通報され、警察がすっ飛んできたのが一時間ほど前。盛大なきょうだい喧嘩だと判明してお説教をもらった二人は、今度こそクールダウン……とはいかず、流血で汚れた服のまま、君のせいで叱られたのだよ、いいやお前のせいで忠告を受けたんだ、君が、お前が、と言い合いを始めたのだった。
 そこで呼ばれたのが、もう一人の「きょうだい」だ。
 温厚篤実に姿を与えたらこんな風だ、と誰もが思うだろうイツァムナーの登場に、二人は言い合いも掴みあいもやめて、あ、一時停戦で、とようやくテンションを下げる。遅い。
 めちゃくちゃに荒れ果てたリビングを片付けながら、イツァムナーは二人に、静かに話しかけた。
「精神年齢の検査は受けたかね」
「きょーうだい、痛烈な嫌味だよ、それはぁ」
「そうだぞイツァムナー、誰が小学生メンタルだ」
 誰もそこまで言っていないのだが。
 イツァムナーは、この情緒が大暴れしがちな二人にため息をつき、壁に空いた穴の修復を手伝い始める。喧嘩をする癖に一緒に暮らすことを選ぶし、一緒に暮らす上で必要な気遣いがないから喧嘩になるし……隔離した方が平和になるのではないか、などと想像してみて、どうせお互いの家に乗り込んで同じ喧嘩をするだろうなと見当がついたので、やめた。
 ある程度片付いた部屋で、二人の手当てをする。テスカトリポカのほうは、義体だから手当てする意味はない、などと言い張っていたが、消毒液を傷口に振りかけたところ無駄口が一切なくなったので、その間に処置した。
 その様子に、ケツァルコアトルがウケていた。
 まあ、ケツァルコアトルも同じ目に遭ったが。

「お前が全面的に悪い」
「君こそ自身を顧みたまえよ」
 ガーゼと包帯を巻かれ、血液で汚れていない服に着替えた二人が、気だるそうに言い合いをしている。イツァムナーに軽く説教された彼らは、ふてくされた表情でお互いを睨んでいた。
「大体だね、ケツァルよ。君が冷蔵庫の中身を食らい尽くしたのがいけないのだよ。何があったらベーコンとハムとサラミが一夜にして消え失せるのだね! どれか一種類だけだろう、普通」
「肉の気分だったんだよ! それに食らい尽くすと言われるほど食らってはいないぞう、きょうだい! 冷蔵庫の中身が元々少なかったんだ!」
「タッパーに入っていたきんぴらを全て食べたのは誰だね」
「俺」
「冷やしておいた玉子焼きを平らげたのは?」
「俺」
「カツサンドとタマゴサンドをきれいに食べきったのは?」
「俺」
「君が食らい尽くしたというんだよぉ! それはぁ!」
 くだらねえ。
 いや、死活問題なのかもしれない。成人男性ならぬ獣人男性二人分の食事がきれいさっぱり無くなったのだから、喧嘩にもなる……のかもしれない。
 私は言ったぞう? 夜遅くまで起きているから変に腹が減るのだと! だからさっさと寝たまえよと、あれほど言ったじゃないかね!
 まるでお母さんが子供にする説教のような内容を、テスカトリポカがケツァルコアトルに投げつける。わかったわかった気を付ける、と投げやりな態度のケツァルに、前もそう言った! 何度も気を付けると言っては気を付けない! 君の「わかった」にどれほどの価値があるやら分からんよ! と追撃するテスカ。
 お母さんか?
 対する子供……ではなくケツァルは、どんどん不機嫌そうにむくれていって、ついには乱暴に立ち上がった。そのままテスカトリポカに背を向けて、リビングを出ていこうとする。

「まぁた出ていくのかね? さすがは竜蛇だ、恐れ入る」

 ……このやり取り、本日二度目なのだが。
 カチンと来て立ち止まったケツァルコアトルが、その場にあった置時計を手にして……投げるのをグッと堪えた。二度もテスカトリポカの額を割るわけにもいかなかいからだ。
 テスカトリポカが流血したとき……正直、少し泣きそうになったし。
 ゆらりと振り向いたケツァルコアトルが、ゆっくりとテスカトリポカに近づいていく。もう物は投げない。椅子も投げない。壁に穴も空けない。
 だが。
「おらぁ!!」
「がふっ!!」
 拳で、テスカトリポカの頬を、ぶん殴りはする。
「そっちがその気なら私だって全力で相手をするが!?」
「上等だ!! 立ち上がれなくなるまで勝負してやる!!」

 その後再びドタンバタンと大喧嘩の様相を呈した二人は、ご近所からの通報によりすっ飛んできた警察にこっぴどく叱られることによって、ようやく沈静化するのだった。
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