毒薬変じて薬となる

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 平衡感覚を一瞬だけ失った。
 それで充分だった。
 浮力を失ったテスカトリポカは、さほど高く飛んでいなかったのが幸いしたのか、緩やかに地に落ちた。
 義体があると、こういう時に不便である。

 シンノウの体液には毒がある。
 分かっていた。はずなのだが。
 まさか注射器を捨てて、速さに全力を出すだなんて、予想しきれていなかった。これは痛い。最前線指揮官として、身内の手の内も読めなかったとは恥じ入るばかりである。
 くらりとする頭を押さえながら、テスカトリポカは立ち上がろうとした。それを止めたのは他でもない、シンノウだった。

「おっと、無理は禁物ですよ、指揮官殿?」

 素手でテスカトリポカの肉体に触れ続け、力強く抱きしめる。いや、鯖折り一歩手前、と言ったほうが正しいか。
 そうして、苦しげに息を吐くテスカトリポカの唇を奪った。

「んっ!」

 青筋を浮かべて抗議しようとするテスカトリポカ最前線指揮官。しかし口はシンノウによって塞がれている。舌を噛み切ってやろうかとも思ったテスカトリポカだが、そんな事をしたらシンノウの血液が口内に溢れかえり、多量の毒を食らうことになるだろう。
 そんな事を考えているうちに、シンノウの唾液がテスカトリポカの口内で暴れまわったのだが。

「ぷはっ」

 深い口付けから解放されたシンノウが、得意げに笑った。
「これでしばらく暴れられんでしょう?」
「ひきょうもの」
「おぉ? 最前線指揮官ともあろうお方が? 戦争に卑怯は付き物だとおっしゃってたお方が? そういう事言いますかぁ? はっはっは!」
 シンノウの勝ち。
 テスカトリポカの負けだ。

 医務室に運ばれたテスカトリポカは、そのまま予防接種も受けたし治療もされた。苦い解毒薬を飲まされることになり、味の調整はできんのかね! と文句をつけたところ、今度いちご味にでもしておきますよ、と笑われた。
「というか、その巨大な注射器は何なのだね」
「これですか? いいでしょう? なかなか見栄えが良くて格好いいんですよねぇ」
「それがないと医者に見えんから持っているのかと思ったよ」
「刺しときましょうか」
「いらない」

 医務室のベッドに横たわり、深酒をした時のような気分の悪さに悩まされながら、テスカトリポカは静かに考える。
 あの時、右折じゃなくて左折していたら、もう少し時間を稼げたな、と。
 ……懲りていない。
 巨大な注射器を持って追い回してくる軍医から逃げるのが、面白いとでも言うのだろうか。

 軍手をしたシンノウが、気だるげなテスカトリポカの頭を軽く撫でて笑った。
 お兄さんの、勝ち。
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