水底で笑う

 一時間目の授業に、サモナーの姿が見られない。そんな日が多くなってきた。
 原因は至ってシンプルで、寝坊である。アラームをかけても時間通りに起きられなくなっているのだと、サモナーは言う。
 早寝をしても、その分眠る時間が増えるだけで、根本的な解決には至らなかった。
 寝ても寝ても眠いんだ。
 大きなあくびをしながら、サモナーは二時間目の授業を受けにやって来る。
 体を動かしている間は眠気も紛れていい感じだよ、と言うサモナーは、その宣言通り、体育の授業中は眠らなかった。
 走って、跳んで、投げて、蹴る。
 だから今回も大丈夫だと、サモナーも友人たちも思っていた。水泳の授業でのことだった。

「先生、サモナーが浮いてきません!」

 クラスメイトの誰かが、慌てて教師を呼んだ。指さした先には、プールの底に横たわるサモナーの姿がある。
 一向に浮いてこない不自然さに、誰かが悲鳴を上げた。水泳を教えていたトリトンが一切の躊躇なく飛び込み、サモナーを抱きかかえて浮上。
「サモナー! サモナー、聞こえるか!」
 頬を叩いて必死に呼びかけた。
 うっすらと目を開けたサモナーは、そこでようやく咳き込んだ。トリトンにしがみつき、忘れていた呼吸を荒く繰り返す。
「どうしたんだ?」
 その問いに
「水に入った途端、一気に眠くなったんです」
 サモナーはそう返した。
 周囲が青ざめる。この眠気は尋常ではない。

 一度、医者に診てもらったほうがいいよ。
 本居シロウの言葉に、サモナーは頷いて、シンノウに診てもらったあと、ミネアキにも診てもらった。二人の医者は首を横に振り、原因がとんと分からないことを告げるので、睡眠外来にも行ってみたが、やはりそこでも分からなかった。
「春眠暁を覚えずっていうけど、それかな?」
 なんて言って苦笑するサモナーに
「笑い事ではないと思う。俺は君が心配だよ」
 シロウが、本当に不安そうに告げる。
 あまりにも泣きそうな表情をするから、サモナーはシロウの頬に触れ、小さく頷くほかなかった。

「PEEK-A-BOO(こんにちは)!」

 唐突に、正気を失いそうな調子で声をかけられる。驚いて振り向くサモナーの視線の先には、いつの間にそこに立っていたのか、青山ギルドのニャルラトテプが、笑みを浮かべているのが見えた。
 ニャルラトテプは近づいてくる。サモナーだけを見つめている。ほかの誰かのことなどお構いなしで、サモナーの肩を抱き、歌うように叫ぶように、声を張り上げた。
「sheep sheep sheep(眠れぬ眠れる寝坊助よ)! 目覚めるにはまだ早い? 夢見るままに待ちいたり?」
「ニャル、ちょっと……何言って……」
「一名様をご案内? 一命様をご招待!」
 シロウが手を伸ばしたときには、もう遅かった。
 ニャルラトテプはサモナーを抱えたまま、姿を消した。……いや、消えたのではない。飛んでいったのだ。
 空間の、遥か遥か向こうまで。

「それじゃあGoodbye(おはよう)、イカれた夢(今日)を、イカした夢(明日)を」
 パッ。
 と手を放された。
 見ればどこかの講義室。天井付近から落とされた。ニャルラトテプはバーイ、と手を振って、再び空間跳躍でどこかへ行ってしまっていた。
 サモナーはただ落ちるだけだ。
「うわあっ!」
 落ちてきたサモナーをがっしりと受け止めたのは、褐色の肌。大きく見開かれた瞳は、天井から落ちてきたサモナーに視線を注いでいる。
「これは……驚いたな。何があったというのだ」
 狼狽気味に声をかけてくる彼に、サモナーはようやく口を開いた。
「ダゴン教授……」

 誰もいない講義室で、サモナーは「突然ニャルラトテプに連れてこられたんですよ、もう、ビックリした」と不満を口にしていた。
 突然現れた珍客に、しかしダゴンはそれ以上驚くこともなく、そうか、それは大変だったな、と相槌を打ってくれる。
「最近、散々なんですよ」
「……どう、散々なのだね?」
 人間関係か。という言葉をサモナーは否定する。
「眠気です。なんか、どうも、寝ても寝ても眠くって……お陰で一時間目の授業は決まって受けられないんですよね」
「原因は分かっているのか」
「それが、全然……」
 苦笑いをしながら、サモナーは頭を掻いた。
 今日も病院で検査まで受けたんですけどね、というその様子に、ダゴンは口元に指を持ってきて考え込む。
 眠いといえば、とサモナーが言った。

「自分でもビックリしたんですけど、水泳の授業中に、水の中で寝ちゃって」

「……水中で?」
 短く尋ねられたサモナーが、そうそう、と返す。
 やっぱり変ですよね、水の中で寝るなんて、とため息をつく神宿学園の高校生に、大学教授は顔を近づけた。
「どういうことか、説明してもらってもいいかね」
 心なしか、ダゴンの目の色が変わったように思える。サモナーは他者の目の色などに強い関心を持たないのか、参りましたよ、などと言いながら、事情を話し始めるのだった。
「不思議なんですけど、水の中がすごく落ち着いちゃって……ああ、微睡んでいたいなって、そう思ったというか」
 やっぱり変ですよね。
 笑いながら言うサモナーに、ダゴンがしばし、呆然としていた。……十秒ほどだろうか。それくらい経ってから、教授は一つ、提案をした。
「眠って、みないか」
 散々眠り倒しているサモナーに、眠れというのだ。サモナーはポカンとした。ダゴンが真剣な様子だったので、更にポカンとした。

「中途覚醒などせずに、一度、思いきり眠り倒してみないか。目覚めるまで、私が面倒を見ると約束しよう」

 いきなりそんなことを言われても。
 戸惑うサモナーに、ダゴンは言う。
「無理強いはしないが」
 嘘だ。
 サモナーにも分かった。
 彼はサモナーが本当に、昏睡と呼べるほどにまで眠り倒すのを望んでいる。それが何故かはサモナーには分からなかったが、ダゴンはサモナーが目覚めるまでの間、真摯に尽くすことを宣言していたので、その熱の入れように、更に戸惑った。

「ああ……ああ……眠れるあなたのすぐそばに居られるというならば、何だってするとも」

 あなた。そう呼ばれて、サモナーの意識がふらついた。内側から、誰かが何かを言っているような気がした。
 その言葉は聞き取れなかったが、軽い目眩となってサモナーの三半規管を狂わせる。
 倒れ込んだサモナーを、ダゴンは優しく受け止めた。「あ」とサモナーが声を上げる。「どうした」とダゴンに問われ、サモナーは思ったことを素直に口にして、目を閉じた。

「教授の腕の中……安心する……なんか、水の中にいるみたいだ……微睡んでいたいって、思っちゃうな……」

 大学教授が、高校生を横抱きにして、自宅へ戻っていく。教授の表情は、まるで愛しくも尊いものを見つめているかのように、眩しげな微笑みの形を取っていた。
 水の中で揺蕩うように、サモナーは眠り、彼に体を任せている。
 まだ早い。
 まだ早い。
 目覚めるには、まだ早い。

 ダゴンの腕で、竜蛇が眠る。
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