血肉となれぬ事を赦せ

 親族が牧畜を盗もうとして殺された。
 そんなものは、口実に過ぎなかった。

 病をその体に宿しているというのに氏族の長を務めるその男は、蒼い狼が白い牝鹿との間に子孫を儲けた逸話を再現するように、繁殖の力を持っていた。
 男であろうと、女であろうと、種族が異なろうと、彼の気に入りとなった者はオルドへ迎えられ、彼の子を孕む。自らの子孫で大地が埋め尽くされるのを見てみたいというテムジンの願いに呼応するかのように、侵略と凌辱は繰り広げられた。
 惨いものか。
 力ある勢力が支配するのは当然のこと。
 私はテムジンを評価していたし、王として恥じぬ振る舞いを身に着けた彼を誇らしく思っていた。
 この男はザナドゥの太祖となるだろう。
 その隣に私がいて、きっとこの広い世界を見回し、胸を張り、笑うのだ。

 テムジンには妻がいた。たしか名をボルテといった。テムジンは、メルキトに攫われた妻を助くるべく、盟友アンダである私との交友を復活させる男であった。
 非常に聡い男だ。
 いつ、誰を頼るべきか知っている。
 非常に好ましい男だ。
 私を頼る真っ直ぐさが好きだった。

 テムジンの器は大きいといえる。力を増す部族を率いて、知恵を凝らして勢力を拡大していくのだ。まさに草原の王と呼んで差し支えない。
 私の誇りであり、無二の友であった。
 テムジンのオルドも膨れ上がるように規模を増していった。撃ち破った敵方の者まで抱いているところを見るに、彼は子孫を残すことに強い使命感があったのだと思う。
 私はすっかりテムジンに心を許していたし、テムジンの頼みとあらば馬を走らせ千里も駆けるつもりでいた。盟友なのだから、当然のことだと。
 テムジンも私を悪く思っていないようで、事あるごとにジャムカ、ジャムカと名を呼び、少量の酒を酌み交わしては語り合った。
 唯一にして無二の友だと、思っていた。

 好意からだったのだろう。
 テムジンは、こんな提案をしてきた。
「オルドに入らぬか」
 穏やかな表情で言う彼は、私を孕ませ、自らの子孫を増やすことを喜びだとでもいうかのように、口角を少し上げていて。
 私のはらが、熱く煮えたのは当然。
 対等な友だと。
 共に草原を駆ける友だと。
 支え合う親友だと。
 唯一、隣を任せられる男だと。
 そう思っていたのは、私だけだったのか。
 テムジン。
 テムジン!
 私のことを、オルドに属する有象無象のうちの一人だと、そう数えるつもりなのか!
 荒れ狂う内心。鳥肌が立ち、息が冷えた。
 バクバクと音を立てる己の心臓を、今すぐ取り出して潰してしまいたい。
「私は、お前の友で居たい」
 そう答えた私の、なんと思慮深いことか。
 そうだろう、テムジン……。
 私は……オルドの多数では、ないだろう……。

 親族が牧畜を盗もうとして殺された。
 そんなものは、口実に過ぎなかった。
 テムジンの持つ牧畜を、私の親族が盗み出そうとして、テムジン配下の者に射殺されたから、どうだというのだ。そんなの自業自得だ。
 庇い立てする必要もない。
 だが、良い口実になった。
 良い口実には、なったのだ。
 私がテムジンと距離を置き始めたことを、親族を殺された恨みだと周囲は噂した。
 テムジンは聡い男だ。
 私の親族の所業と私自身を、切り分けて考えることができる、聡明な男だ。
 その聡明な男が、私をオルドに誘ったのだ。
 誰もを等しく抱き、等しく愛し、等しく受け入れる男が、私のことも等しく受け入れた・・・・・・・・のだ。
 腸が煮えくり返りそうだった。
 いっそのこと、親族諸共罰してくれたらどんなに楽だったかと、要らぬ逆恨みをしそうになったほどには。

 嫌がらせのような工作を続けた。
 他の氏族をけしかけ、嫌らしい真似をしてテムジンの表情を歪める日々だった。
 何故、と問われても、私は答えない。
 何も言わずに、彼を裏切り続けた。
 そう。これは裏切りだ。
 唯一にして無二の友。
 そう信じていた私の心が裏切られた、報復だ。
 困ってくれ。苦しんでくれ。弱ってくれ。
 私を見てくれ。
 対等だった・・・私を。
 真っ直ぐな瞳で。
 テムジン……。

 草原に雨が降った。大雨だった。
 テムジンの涙を表しているようだと、誰かが言った。盟友だと信じていた男に裏切られた草原の王。彼が号哭しているのだと、誰かが言った。
 私は捕らえられた。
 難しい顔をしているテムジンが、私を見て、不愉快そうに口を開く。
「貴様を売り飛ばした配下の者は処刑した」
 潔癖な奴だよ、お前は。
 裏切りを許せぬテムジンは、今や敵となった私が味方に裏切られることも嫌ったのだ。
「オルドに来い。これは慈悲である」
 その言葉に、私は首を横に振る。
 裏切り者として、許されないことを選んだ。

 いつまでも……テムジン、お前の心の特等席に、特別な痛みを持つ存在として座ることを、たった一人の対等な存在でいることを、私は選んだのだ。

 さようならだ、友よ。
 私の盟友よ。
 お前は立派な王だったよ。
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