ただ、今を

 お掛けになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が入っておりません。

 機械音声が虚しく響く。端末の通話終了のボタンを押して、一人の高校生が息をついた。
 元担任の電話番号を何度タップしても、返ってくるのは機械音声ばかり。
「現在使われておりません」
 ではないあたりは、救いなのだろうか。
 まるで故郷を一つ失ったような心持ちで、サモナーは今日も、物部教諭を思う。

 記憶のない自分を受け入れてくれた人だった。
 それが、何度も続くループを越えて、自分を監視する目的だったとしても、彼の存在に救われていた自分が、間違いなくいた。
 先生の笑み、先生のため息、先生の困ったような声、先生の……自分を呼ぶ声音。
 声が聞きたい。
 名前を呼んでほしい。
 できるなら再び一緒にいたい。

 端末の画面を見つめて黙り込むサモナーの背後から、足音が聞こえた。

「おはよう、サモナー。今日の朝食もおいしかったね!」
「リョウタ、おはよう」
 親しげに話しかけてくる友人に、サモナーは破顔した。端末をポケットにしまって、それから、今日の一限目は古典だったよ、と口にする。
「古典かあ、なんだっけ、この世のおもちが欠けなくてやったー、みたいな」
「リョウタらしい覚え方だね。この世をば、我が世とぞ思ふ望月の、欠けたることも、なしと思へば、ってやつのこと?」
「あ、そう! それ! この世を満喫しちゃてまーす、みたいな!」
 明るい笑い声に誘われるように、次々に集まってくるのはサモナーズの面々だ。シロウ、モリタカ、ケンゴ、トウジ。彼らが一時集まって、好き勝手に話をしていく。
「ケンゴ、たしか今日、補習授業があっただろう」
「なんでてめえが知ってんだよガリ勉眼鏡!」
「お前が逃げるから俺に連絡が来たに決まっているだろう!」
 朝練がどうだ、授業態度はああだ、小テストがあるらしい、委員会活動で呼び出しが。
 忙しくも賑やかに会話をしながら、サモナーは一日を始めるのだ。
 自身の指に光る、指輪と共に。

「今日も一日お疲れさま! セーフハウスに集合ね」
 リョウタの言葉に頷いて、サモナーは足早に学園を出た。学生寮に帰る前に、セーフハウスに寄ってギルド内会議をして、少し遊んで、アプリバトルでポータルを守る。それがルーティンとなっている。セーフハウスからほとんど出ないツァトグアのためにと、コンビニではちみつパンケーキを数個買った。
「おかえりであーる」
 気だるげな声がサモナーを迎える。
「ああ、おかえり、サモナー。寒かっただろう」
 シロウの生真面目な声も聞こえてくる。
 セーフハウスに響くおかえりの声に、サモナーが笑顔を返す。
 それじゃあギルド会議を始めよう、というシロウの声に、元気な返事が返った。

 おかえり、と言われて、そういえば、なにも返していなかったと思い出す。
 ルーティンを終えて学生寮に戻ると、端末が輝いて、六芒星が浮かび上がった。
「おっかえりなさーい、主様ぁ!」
「うん」
 サロモンくんの明るい声に笑顔で頷く。サロモンくんは不満げに口を尖らせて、もう、主様のいけず、なんて言ってくる。それがどうにもおかしくて山羊の執事を撫でれば、その執事は言うのだ。
「おかえりなさい、には、ただいま、でしょ?」
 ずっと、サモナーが口にしなかった言葉だ。
 ずっと、サモナーが口にできなかった言葉だ。
 サモナーは思い出す。
 おかえり、と言ってくれる元担任の声を。
 そのときの手の温かさを。
 タバコの匂いを。
 ……自分がただいま、と返したい相手は、ずっと物部教諭だったように思う。また、おかえりと言ってほしい。また、その手で肩を抱いてほしい。
 物部教諭を思い出す。
 今や彼の姿はマハーカーラに守られなければ存在できないものとなっている。その姿を。
 助けるのだ、と思った。彼を助けたいと。
 しかしそれは正しいのだろうか。助ける、という言い方であっているのだろうか。
 取り戻す。
 帰ってきてほしい。
 迎えに行く。
 連れ帰る。
 そう……帰るのだ。物部教諭がいる日常へ。
 また、おかえり、と言ってもらいたい。
 違う。
 今度は、こちらが、おかえりと言うのだ。

 彼のただいまを早く聞きたい。

 先生のただいまを皆に伝えたい。

「サロモンくん」
 サモナーは笑う。微かな弱さを含んだ、それでも前を向こうとする笑みだ。
「ただいま」
「はい! おかえりなさい、主様!」
 いつか、先生の声で「ただいま」が聞けるように。サモナーはがむしゃらに、前を向くことを再び誓う。
 緩やかな日常の中でかわされた、小さく固い誓いだった。
1/1ページ
    拍手