明日なんてないさ

「なあ、デートしよう」

 不意にサモナーが口にした。
 目の前にいるのは、テスカトリポカだ。
 学園軍獄の、執務室でのことだった。

「今から……たった今からノープランでデートしてくれ」

 サモナーの目つきは鋭い。腹を空かせたトンビのような、ギラつく視線をテスカトリポカに送っている。隙きを見せたら手にした資料の束を掻っ攫っていきそうな、攻撃的な色を放っていた。
 そんなサモナーの視線などどこ吹く風といった様子で、最前線指揮官は資料を一枚めくる。書かれている指導内容に目を通し、口元に人差し指を這わせ、それから再びサモナーを見た。
 まっすぐ自分を見つめているサモナーに、片方の眉を上げる。

「今からかい?」
「今からだよ」
「ふむ……見ての通り、私には仕事があるのだが」

 いつも抜け出してはサモナーの寮に飛び込んでくるくせに、今回に限って何を言っているのか。テスカトリポカはひどく落ち着いた様子で返した。

「君にも課題があるだろう? 日を改めてはどうだね、きょうだ……」
「明日なんか来ない」

 嫌にきっぱりと言い放つサモナーに、テスカトリポカは視線を向けたまま、言葉を放つことなくただ黙っていた。いつものテスカトリポカらしからぬ態度に、サモナーも真剣味あふれる表情を作る。
 テスカトリポカの本質は鏡である。
 サモナーが怒れば彼も怒る。サモナーが楽しければ彼も楽しむ。
 サモナーの気持ちが凪いでいれば。
 サモナーはが覚悟を決めていれば。
 彼だって真剣にサモナーを迎え撃つというものだ。

「テスカ」
「うん?」
「情けない話を聞いてくれないか」
「君に情けないところなどあるものか。いつだって君は苛烈だとも。惚れ惚れするほどに。最悪の闘争に身を投じるきょうだいに、情けないところなど……」
「あるんだよ」

 サモナーの足は、執務室の机に向かって進む。資料を机に置いて、サモナーの話を聞こうと指を組むテスカトリポカの真ん前に、静かに歩み寄っていく。

「愛してるよ」

 甘くもない声で。熱をはらまない声音で。事実を告げているだけ、とでも言いたげに、サモナーは言った。
 その声は、言葉は、意味は、部屋に反響して、やがて消える。

「テスカトリポカ、好きだよ。きょうだいとして。そして、恋や愛の対象として」
「焦っているね、きょうだい?」
「確かに生き急いでる自覚はある」

 きっと、第三者がこの光景を目にしたら、サモナーの気が触れた、だなんて思うだろうし、テスカトリポカがおかしくなった、とも思うだろう。
 先程から真面目に、声を抑えて、静かに、サモナーと対峙しているテスカトリポカは、高笑いもせず、闘志をみなぎらせることもなく、ただ座っている。
 座って、サモナーを見上げている。

「きょうだい、何を焦っているのだね?」

 焦るほど、君の中身は詰まっていないだろう。
 なんて、すでに中身がない私が言うのも何なのだが。
 テスカトリポカの茶化したような言葉に、いつものサモナーならば怒ったり脱力したりしただろう。しかし現在のサモナーは、切羽詰まった無表情だ。
 息を吸う音が、わざとらしいくらい響いた。

「テスカに受け入れてもらえないなら、自分は死ぬ」

 テスカトリポカの眉間にシワが寄った。
 それから、ジャガーの獣人の口から、ふう、と小さなため息が漏れる。

「世界一情けない理由で時は巻き戻る……それでもいいか?」
「きょうだい……ずるいよ、それは」

 俗に、やり逃げ、言い逃げという。
 サモナーは告白したことをすっかり忘れ、また最初からの人生を歩むことになるだろう。そこに苦悩はないとは言えないが、しかし、サモナーからの告白を覚えていて、一方的に忘れられるテスカトリポカは、たまったものではない。
 なんて脅しを口にするのだろう。本気であることを示すために、天秤の片方に自身の命を載せてしまうのは、卑怯であり、豪快であり、苛烈であり……。

 ゆらりと、テスカトリポカが立ち上がった。

 戦争を愛して憎む、矛盾をはらんだ転光生は、裏表もなく、むしろ裏も表も利用して思いの丈を吐き出した転校生を、見下ろした。

「私はもう、何も持ってはいないのだよ、きょうだい」
「だから何だ。今の話に関係あるのか」
「落ち着きたまえよ。私は君に、何も返せない。捧げるものが、何もないのだ」

 サモナーは……記憶を持たない転校生は、エルドラドの代行者を見据えて、そして口を開く。平坦な声だった。

「いい。返さなくていい。捧げなくていい。この手を取ってくれたらいい」
「……きょうだい、少しは聞き分けたまえよ」
「ノープランでデートしてくれ。来ない明日に、一緒になって身を投げてくれ。どうせなら二人でいなくなろう、テスカトリポカ」

 そのループのサモナーが死んだのは、その告白の二週間後のことだった。
 自死ではなかった。テスカトリポカとはなんの関係もないところで死んでいた。
 時は巻き戻って、サモナーは何も覚えていなくて、ただ、あの切羽詰まった恋慕の告白が、テスカトリポカの耳にこびりついて離れなかった。

「というのが、一四一回前のループでの出来事なのだが」

 冷房が効いた学生寮の個室で、麦茶を飲みながら語って聞かせるジャガーの獣人が、面倒くさそうな表情で聞かされている今のループのサモナーの手を握る。

「君は酷い奴だよ、きょうだい。私が何かを返す前にいなくなってしまって。まあ、君は覚えていないのだろうけどね!」
「うるさいなあ、絶対テスカの脚色が入ってるだろ。テスカが静かに受け答えするなんて考えにくいし」
「君ぃ? 私だって……私だって大人な雰囲気の一つや二っつ! 作ろうと思えばいくらでも、作れるというものだよ!?」
「無理だね。これは無理です。うるさいオブ・ザ・イヤー金賞だもん、無理です」
「うるさいオブ・ザ・イヤー金賞!?」

 はあ? とサモナーと距離を詰めるテスカトリポカを押し退けて、サモナーは笑って距離を取った。
 二五三回前のループでも君はそうやって!! と、真面目に聞いてもらえない悔しさをあらわにする世界代行者が、此度のループで自分を転光召喚した召喚者を睨む。戦争かね! それは挑発をしているのかね、きょうだい! と喚く彼の鼻の頭にキスを落としたサモナーは、ケラケラ笑って立ち上がった。

「アイス買ってこようっと」
「むう……聞いてくれない……」
「まあ、そう拗ねるなって。それより、アイスは何味がいい? 買いに行こう」

 ぶすくれた表情でゆらりと立ち上がるテスカトリポカが、ジットリとした目をサモナーに向けている。サモナーはどこ吹く風といった様子で受け流し、テスカトリポカと手を繋いで、冷房をつけっぱなしの部屋を出た。

「どうせなら二人でいなくなろう、なんてもう言わないよ」
「……ん?」
「どうせなら二人でいよう、テスカトリポカ」
「あ!! 君、思い出してたね? いつ!? どのあたりで記憶が蘇っていたのだよ!! ずる……ずるいぞう、きょうだい、そういうのは!」
「はっはははは! 来ない明日に、一緒になって身を投げる覚悟はできたかい?」

 来ないはずの明日を迎えに、彼らは炎天下を行く。
 騒がしく笑いながら、近所のコンビニまでノープランのデートだ。
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