バスタブに詰めて

 ガタガタと揺れる窓。
 ゴロゴロと唸る雨雲。
 ザンザンと叩きつける雨。
 セーフハウスの一つであるアパートの一室で、サモナーは一人、台風の対策をしていた。雨戸を閉め切り、非常食を蓄え、ある者を喚び出す。

「我が声に応じ、参じたまえ、オニワカ」

 召喚紋が浮かび上がり、光となってあたりに漏れ出す。少しだけ強い輝きのあとに姿を表したのは、目を見開いて周囲を見回している、ずぶ濡れの忠臣だった。
 拳には血が滲んでいる。おそらく生きるための何らかをしてきたのだろう。
 サモナーは雨粒を滴らせるオニワカに笑いかけると、言った。

「有事の際は遠慮なく呼んでいいって言われてたから、呼んじゃったよ」
「何だよ主様。誰かから命でも狙われてんのか?」
「台風は立派な有事だろ?」
「それだけかよ。毛布でもかぶって引きこもってな」

 ぶっきらぼうに吐き捨てるオニワカに、しかしサモナーは怒らない。
 蛍光灯が煌々と部屋を照らす。
 照らされて顔の半分に影を宿した彼に、バスタオルをかぶせた。

「とりあえず服を脱いで。風邪ひくからね。この部屋、オーバーサイズのTシャツなら用意してあるから、それを着よう」
「……随分と用意のいいこって。予め揃えてたみてえじゃねぇか、主様」

 バスタオルはおろしたてらしい。ふかふかした感触のそれは、オニワカに纏わりつく水滴をぐんぐん吸収する。ため息交じりに服を脱ぎ、サモナーに手渡すと、サモナーは部屋の隅から隅へとピンと張ったロープに、濡れた服をかけ始めた。

「災害のときって、家の中でどこが一番安全なんだと思う?」

 サモナーからの問いに、オニワカは眉をひそめる。

「災害って……範囲が広すぎるだろ」
「じゃあ、地震のとき」
「なら、トイレだな。余計なもん置いてねえし、窓が小せえから割れてもそんなに飛び散らねえしよ」
「じゃあ台風のときは?」
「そこまでは知らねえな」

 サモナーは、アパートのどの部屋が一番安全か、なんてことをオニワカに尋ねる。台風が怖いからね、などと笑っているが、オニワカが外で、誰を殴ってきたかなどは、オニワカが意外に思うほど無視をしているようだった。
 サモナーが、そっとオニワカの手に触れる。
 そのまま誘導するかのように連れて行かれたのは風呂場だ。
 窓は閉め切られていて、浴槽は空。水気をこれでもかと拭き取られた、少し蒸し暑いだけの空間と化したそこで、召喚主は口を開いた。

「竜巻が来た時に、浴槽で身を縮こまらせていたら助かった、なんて話を聞いたことがあってさ」
「台風に適用されるかはわからねえぜ、主様よ?」

 覗き込んでみれば、浴槽の中には小さなカーペットが敷かれていた。
 迷わずサモナーが浴槽に入り込む。服を着たまま。

「オニワカも来て」
「狭えだろ、さすがに」
「それでもいいよ」

 オニワカはやれやれと肩を竦める。そうして、サモナーと向かい合う形で浴槽に身を滑り込ませた。やはり狭い。お互いが三角座りで足を絡め合うことになる。
 どうどうと滝のような音が外から聞こえていた。
 いざというときのためなのか、アロマキャンドルが二つ三つ置いてある浴室で、二人は静かに向き合っていた。

「台風が弱まるまでここにいようよ」

 サモナーがそんな言葉を発するので、オニワカは片方の眉をピクリと上げて、静かに問いかける。

「その間、学校はどうすんだよ? 学生の本分は学ぶことにあるだろ?」
「ここさ、学生寮よりちょっとだけ神宿学園に近いんだ。一緒に登校してよ」
「甘えただな、主様?」
「そうだよ。ただの人間だからね。嵐は怖い。決して一人にはしないでね」

 オニワカは盛大にため息をついた。サモナーのそれは本心でもあるのだろう。だが、ほかに目的がある。とても分かりやすい目的が。
 ずぶ濡れで召喚されたオニワカ。
 それは今まで傘もささずに一人、外を出歩いていたことを物語っていた。
 拳に滲んだ血。
 それは先程まで誰かを、力まかせに殴りつけていたことを示していた。
 オニワカは答える。
 ぶっきらぼうに答える。

「俺が一人で濡れねえよう、屁理屈をこねてらっしゃるな、主様?」

 それに返るのは。
 歯を見せて笑う、主人の得意げな顔だった。
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