戦争がない七日間の話

 テスカトリポカがいなくなった。ただそれだけだった。
 ウォーモンガーズの日常は滞りなく送られようとしている。誰も探しに行こうなどと思う者はいなかった。
 不自然なほどに、誰もが気に止めない。学園軍獄の執務室は空っぽで、誰一人近寄らない。
 初めからテスカトリポカなる転光生など、存在していないかのように、恙無く一日が始まり、ただ過ぎていく。

 サモナーがいなくなった。ただそれだけだった。
 サモナーズの日常はそれだけで上を下への大騒ぎである。誰もが探しに行こうとした。
 皆、顔面蒼白といったところだ。学生寮の部屋は空っぽで、そこに皆が集まっていた。
 つい先日まで確かに存在していたサモナーの不在を、皆が訝しがり、時は過ぎていく。

 サモナーは、異界化した密林の奥にいた。
 ここがどの世界と重なっているのかなど、考えるまでもない。密林の奥には神殿があり、神殿の奥には一人の男が眠っていた。
「おはよう、寝坊助」
 サモナーは虚空に向かって声をかける。男は目の前で目を閉じて転がっている。
 それ・・には一切興味を示さずに、サモナーは神殿の天井の隅を、じっと見ていた。
 テスカトリポカは消えた。
 皆の記憶からするりと消えた。
 サモナーの記憶からいなくならなかった理由は分からねど、彼を覚えている者はきれいさっぱりいなくなっていた。
 ここが異界化して、神殿が現れたのと同時に。
「まだ拗ねてるのか?」
 サモナーは神殿の隅に問いかける。答えはない。気配もない。ただ風が吹き抜けるだけだ。
 テスカトリポカが存在していた痕跡は、ここに転がっているボディのみとなっていた。

 その日、サモナーは彼と約束をしていた。他愛もない約束だ。放課後になったら戦争しよう、だなんて、彼じゃなければ持ちかけてこない約束だったし、彼とじゃなければ交わせない約束だった。
 あー、はいはい。と雑に返事をした。
 放課後になったらどこかの窓ガラスをぶち割って乱入してくるだろうと思っていた。
 そうしていつものように戦争が始まるものだとばかり、その時のサモナーは思っていたのだ。
 チャイムが鳴る。ホームルームが終わる。
 窓を割られたらたまったものではないから屋上辺りで待とうかと、階段を上るサモナーに声がかけられる。シロウの声だった。
「サモナー、どこへ行くんだい?」
「戦争するんだよ」
「せ、戦争!? 他のギルドとの抗争か!?」
 シロウのあまりの慌てぶりに、サモナーは少し笑った。笑ったあと、怪訝に思った。テスカトリポカの襲撃など、いつものことだろうに。なぜ彼は今さらになって驚き、警戒心をあらわにしているのだろうか。
 ……変なの。
 行かない方がいい、危険だ、と必死で引き留めるシロウに、一戦したら戻ってくるから、と軽い調子で返したサモナーは、他のサモナーズのメンバーにも引き留められることになった。
 結局屋上には行けず、学生寮に帰る道でもテスカトリポカに会うことなく、一日を終えてしまったのだった。拍子抜けするほど、あっさりと。
 それから三日、彼からの襲撃はなかった。
 おかしい。
 サモナーは言い知れぬ違和感を抱き、周囲に尋ねる。あいつが来ないなんて変だよね?
 周囲の返答は、揃ってこうだった。
「あいつって、誰だ?」

 学園軍獄へと足を運ぼうとした。やはりシロウに止められた。彼は真剣な様子で、問いかける。
「練馬になんの用があるんだ? そこにはウォーモンガーズの拠点のひとつがあるばかりだよ」
「オンブレティグレに会いに行く」
 短く告げたサモナーに、シロウはこわばった表情をもとに戻した。なんだ、と安堵した様子で。
「ああ、オンブレティグレか。興行の応援に行くのかい? 気を付けて」
 不思議だった。
 オンブレティグレは知っていて、テスカトリポカを知らない周囲を、心底不思議に思った。
 サモナーはバスに乗り込む。
 嫌な予感がしていた。

「スペルエストレージャのことを、どうしてアミーゴが知っているんだ?」
 白目をむくかと思った。
 オンブレティグレはテスカトリポカを知っていた。しかし、東京にいるなどとは、これっぽっちも思っていないようだったのだ。
 おかしい。
 おかしい。
 おかしい。
 テスカトリポカ以外の関係性は続いているのに、彼の存在だけが、刃物で切り取られたようにスッパリとなくなっている。
 そんなときだった。
 噂が立ったのは。

 東京のとある区画が異界化した。
 謎の神殿があって、誰も中に入れないらしい。

「異界化したのって、どこらへん?」
 好奇心旺盛な風を装った。中に入れないんならつまんなくない? と尋ねると、だよな、と返ってくる。神殿の入り口が閉ざされていて、押してもびくともしないのだそうだ。
 あまりにもタイミングの良い異界化。
 謎の神殿は、本当に謎なのか。
 サモナーは学生寮に帰らずに、学園軍獄を尋ねたその足で、直接、異界化したというそこへ向かった。誰にも連絡を入れなかった。

 見覚えのない密林をずんずん進んでいくと、見覚えのない神殿が目に入ってくる。
 見覚えがないのに懐かしい気がするのは、恐らくサモナーの中にいる何かが反応しているから。
 神殿の扉は閉ざされていた。噂通りだ。
 開けることができないというのは本当だろうか。ぐっと力を込めて押してみると、扉はゆっくりと内側に向かって開いた。
「開くじゃん」
 話をしていた連中の腕力不足か。そうではないのだろう。おそらく、異界化したここと関連する世界の住人にしか踏み込めない領域なのだ。
「自分はフリーパスみたいなもんか」
 サモナーは独り言をこぼす。
 二三の世界に関連ある者だ。追放されたけど。自分から出ていったけど。中の人は出身だからお目こぼしをいただけるのだろう。
 扉を開けて、中を見る。
 男が一人、転がっていた。
 生きても死んでもいない男が……テスカトリポカの義体が、無造作に転がされていた。
 辺りを見回す。なんの気配もしない。誰の声も、匂いもしない。煙たくもなかった。
「テスカトリポカ?」
 名前を呼ぶ。虚空に向かって。
 返事はない。なにも起こらない。どこもぶち破られず、沈黙だけが場を支配した。
 夜が来た。
 そういえば外泊届けを出していなかったと思い出す。異界化したここではスマホも圏外らしい。
 朝が来た。
 サモナーは未だにそこにいた。動かないテスカトリポカの体を見下ろしてため息をつく。
 異界の外では、サモナーを捜索するサモナーズの面々がいた。

 一夜明けた。
 未だになにも起こらない神殿で、サモナーは寝起きしている。
「おはよう、寝坊助」
 どこにいるのか分からない相手に挨拶をする。
「まだ拗ねてるのか?」
 戦争の相手ができなかったことを。
 毎度の戦争のお誘いを、雑に扱ったことを。
 ……。
 帰ってこないのだろうか。
 サモナーの胸のうちに、暗い感情が忍び寄ってくる。テスカトリポカはもうどこにもいなくて、ただ帰りを待つ滑稽な自分がいるだけで、彼の不在を知っているのは自分だけで……。
 東京では、信仰の数が物を言う。テスカトリポカを知らない者が多数なら、本当に彼はいないことになるだろう。自分一人が知っていたって、仕方がないのだ。
 なぜいなくなった。
 どうして急に消え去った。
 戦争の約束はどうした。
 置いていくのか、自分を。
 どうすれば良かった。
 いつもと変わらないお前だったよ。
 何を察すれば良かった。
 何が原因だったのだ。

 ケツァルコアトルに置いていかれた時のテスカトリポカも、こんな気持ちだったのだろうか。

 しょうのない空想で暇を潰した。
 皆が彼を忘れていた。初めからいないかのように振る舞っていた。なんだか悔しい。
 東京では多数決の信仰があって、多数派がどうしても有利で。それが無性に腹立たしい。
 夜が来た。
 空を見上げた。星がまたたいていて、ああ、ジャガーの模様のようだ、などとしょうのない空想をした。異界化したここでは、東京の空とはまた違った夜空が広がっているのだ。
 東京とは、また違った……。
「東京じゃ、ない」
 サモナーは呟く。
 ここは東京であって、東京ではない。異界化しているのだから、別の空間と捉えても無理はない。
 その空間内で、自分は今、一人きりだ。
 いや、もう一人いるはずだ。
 だがそのもう一人はこのザマだ。物言わぬ脱け殻が転がっているばかりで、なにも言いやしない。
 ……信仰、してやろうじゃないか。
 神殿の扉を閉めた。閉鎖領域を作り出して、真っ暗な中、一人で信じた。
 テスカトリポカは、いる。
 彼は、ここにいる。

 閉鎖領域内の人数は一。
 彼の存在を信じる者も一。
 圧倒的多数を勝ち取ったので、真実となった。

「……ん」
 義体が短く呻くのを、サモナーは聞き逃さなかった。つかつかと歩み寄って、しゃがんで、それから……思いきり横っ面をひっぱたく。
 すぱん、と切れのいい音が響いて、は? という間の抜けた声が返った。
「おはよう、寝坊助」
 サモナーの声に
「……おはようの前に、言うべきことがあるんじゃあないのかね、きょうだい」
 不機嫌そうなテスカトリポカが、返した。

 創世神の思い付き。
 そうだ、自分の存在を消せるんじゃなかろうか。
 跡形もなく消えてみる、という挑戦ができるのではなかろうか。
 彼はふと、そう思ったらしい。
 戦争も仕事も仕事も仕事も放り捨てて、気が済むまでいなくなって、気が済んだら本当にいなくなって、東京から消えて……別の世界にでも行こうかな。ケツァルコアトルごっこだ。どうせケツァルは私を引き留めない。引き留められない。
 そろそろ自由にさせてもらおうかな。
 だって、ケツァルコアトルは。
 ほら。
 窓を割られるのも、戦争するのも、嫌々だったし。迷惑がっていたし。億劫がっていたし。
 だから。
 ね。
 だって。

「……いや、その……私がいなくなっても誰も困らんだろうから、気楽にひとり旅でもしようかな、と思いまして……」
「お前がひとり旅なんていう壮大な家出をしたせいか知らんけど、ここら一帯異界化してるんよ」
「……はい」
 正座で説教されているテスカトリポカは、まるで外遊びを咎められた子供のようにつまらなそうにしていた。口を尖らせて不満げである。
 サモナーはため息をつく。
 事の重大さをいまいち分かっていない彼に、小さくため息をつく。
「なんで、自分がいなくなっても誰も困らないなんて思ったよ?」
「事実だからね。プレイヤーが脱落しても、次のプレイヤーを補充すればいいだけだから、実質、誰も困らんのだよ、君ィ」
「君ィじゃないんだよ、君ィ。ていうか、どうやってみんなの記憶を消したんだ」
「フフ……知りたいかね?」
「説教中に余裕ぶるとはいい度胸ですね、テスカトリポカさん」
「あ、はい、ごめんなさい」
 彼はつまらなそうに言った。
「私の全存在をかけて、私の全存在を消しただけなのだよ、きょうだい」
 そんなことが可能なのか。そんな都合良く消せるものなのか。神だからといって、そんなに簡単に消え去れるものなのか。
 言いたいことが山のように溢れてくる。
 それを堪えて、サモナーは口を開く。
「ケツァルごっこは楽しかったかね」
 それに返るのは
「消えている間、意識もおぼろげだったからね。楽しいかどうかも覚えていないよ」
 淡白な感想だった。

 神殿からテスカトリポカを連れ出したとたん、異界化は跡形もなく消え失せた。神殿も崩れ去るように空気に溶けていったし、密林はただの空き地に変わった。
 サモナーとテスカトリポカのスマホがけたたましく鳴り響いたのは、直後のこと。
「おわ、シロウだ」
「うわ……タネトモ参謀だ」
 膝を詰めて説教されることが確定したらしい。
 二人は顔を見合わせ、神殿があっただろう空間へ視線を泳がせ、小突き合った。
「お前がいなくなったせいだぞ」
「君が放っておいてくれたら良かったのだよ」
「はあ!? おま……お前がいない間どれだけ調子狂ったと思ってんだよ!」
「調子が狂った? ハハア! それは愉快だね、きょうだい! 調子が狂っているところをぜひ見てみたかったとも!」
「言ってる場合か、スマホ鳴りっぱなしだぞこれ」
「再び異界化しないかなー」
「やめろやめろ、帰るよ、ほら!」
 気は進まないが、帰るのだ。
 あのやかましい日常へ、二人で。
「お前がいないと嫌だって思ってるやつ、いるからな、ちゃんと」
「ほう? どこにだね?」
「ここ」
「……ん? もう一度言ってくれたまえ、きょうだい? いまいち聞き取れなかった」
「にやつきながら言うんじゃないよお前はぁ」

 戦争がない七日間の話。
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