それは一時の

 量の多い髪を結い上げてうなじを見せている姿に、サモナーは立ち止まった。

 学園軍獄は、「学園」と名がつく通り、一応……本当に一応だが、教育機関としての役割も持っている。囚人や下士官たちは生徒の役割も兼ね、教官の教えに従っている。光景としてはシュールだろうが、誰も疑問を差し挟まなかった。
 差し挟|め《・》なかったのかもしれないが。

 練馬区にあるそこへ遊びに来たサモナーも、学園軍獄の授業風景はたまに見ていた。ジャイアントたちがランニングをする様や、ルチャドールたちが教科書を共有して覗き込んでいる様を、何度か目にしている。
 今日だって、何でもない授業風景を眺めていた、はずだった。
 体育とは名ばかりの、戦闘指導といったほうが正しいだろう授業で、バロールとテスカトリポカが並んで囚人たちの前に立っている、珍しい景色。
 サモナーは、ある一点に釘付けになっていた。
 テスカトリポカの首筋だった。
「どうした、その程度か!」
 バロールが一喝する。地面に転がったジャイアントたちが慌てて立ち上がり、一礼する。そして再びバロールに飛びかかっていく。

 一連の様子をしっかりを見ているテスカトリポカは……ポニーテールだった。

 いつもの髪飾りは置いてきたのか、量の多い髪をヘアゴムとヘアクリップで結い上げている。太い首筋があらわになっており、当然うなじも見えていた。
 おそらくテスカトリポカも暴れるのだ。
 金ピカの装身具がぶつかって痛いとでも苦情が来たのか、それとも本人が邪魔がったのかは知らないが、珍しい格好をしている彼を、サモナーは見つめた。
 ジャイアントがバロールに突っ込む……かと思いきや方向転換。
 テスカトリポカを叩き潰さんと迫ってくる。
「行ったぜ」
「わかっているとも」
 バロールとの短いやり取りの後、テスカトリポカは。
 迫りくるジャイアントの太い腕を取り、勢いを殺さずそのまま投げた。
 地響きがして、場が静まり返った。
「さて……奇襲にしてはお粗末と言わざるを得んね? 体格が似た者同士で集まっているのも感心しない。それでは弱点を晒しているようなものだ。たった一点を突かれれば瓦解する集団の、どこに利点があるというのだね?」
「グハハ! と、まあ。テスカトリポカ|先生《・・》はおっしゃってるが、どうだ、貴様ら?」
「おっと、茶化すのは頂けないな?」
 ムッとした表情でバロールを見上げるテスカトリポカは、姿勢を正し、指摘された点を改善するべく動き出した者たちを見て、小さく笑っていた。

「何その髪型?」
 指導を終えたテスカトリポカに、サモナーが声をかける。
「似合わんかね?」
 愉快そうに口元を緩めて、テスカトリポカはそう返した。
「なんか新鮮な感じはするけど」
 似合うか似合わないかで言えば似合っている。ただ、それを素直に言ってやる義理はない。サモナーは不服そうな表情をして、彼のうなじに目をやった。
「フフッ」
 あまりにも首筋を見られていたからか、くすぐったそうにテスカトリポカが笑い声をあげる。
「私の新たな一面に魅了でもされたかね?」
「それはないかな」
「ムッ……即答はやめ給えよ、即答は」
 今度はテスカトリポカが不服そうな表情を作る番である。
 はいはい、と適当に流して、サモナーは揺れる毛先に手を伸ばした。装飾品でまとめられていない毛先は、触ってみるとサラサラしていて柔らかい。絹のような手触り、と形容するには、少しばかり癖毛のような気がした。

 ちょっと腹が立つサモナーである。

「ムカつく。髪質がいい」
「フハハハ!」
 眉間にしわを寄せて何を言うかと思ったら、テスカトリポカの髪への理不尽なクレームと来た。ジャガー獣人は声を上げて笑い、愉快そうにサモナーを見た。
「美と誘惑の化身は伊達ではないのだよ、きょうだい!」
「トリートメントとかこだわってんの?」
「君も真似してみるかね? 君の場合、少々癖がある髪だからね。私のようにはいかんやも知れぬよ?」
 テスカトリポカの太い指が、まとめ上げられた髪をサラリと掻き上げる。
 流れるように揺れる長髪が、毛先の色合いもあってか、キラリと輝いた。
 彼の太い首筋に、銀の糸のような髪がちらほらと張り付く様が、艶っぽい。……などと、サモナーは頭の片隅で、ちらりと思ってしまったくらいだ。

 ちょっと腹が立つサモナーである。

 不意にテスカトリポカのうなじに水平チョップをかまし、二度、三度と手の側面で叩いた。その手をテスカトリポカに取られてようやく止まった。
「痛いよ、何だね?」
「別に」
「別に、じゃなかろう、きょうだい? 怒っているのかね? 何に?」
「えー……じゃあ髪質の良さに」
「じゃあ!? 何だね、そのおざなりな、取ってつけたような理由は!! そんなことで延髄を狙われるのは不本意というものだよ! わかるかね、不本意?」
「あっ! 馬鹿にして! 不本意くらい知ってるわ!」
 人を小馬鹿にしたような表情で笑うテスカトリポカに、サモナーは安堵した。色気を感じていたことを悟られなくて済んだ。
 まあ、悟られたからといって、だから何だという話でもあるが。
「じゃあ、テスカトリポカはわかるんですか? 平和って言葉の意味?」
「皆目見当がつかんね?」
「お前、即答はやめろよ、即答は!」
「フハハ! 意趣返しだとも!」
 それは一時の気の迷いだ。
 それは一時的な錯覚だ。
 戦争を司る彼がきれいだなんて。
 生贄を是とする彼が艶めかしいだなんて。

 サモナーは、認めてやらない。
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