子供ではないのだから
二人の父親からの同時の依頼に、犬山タダトモは面食らい、依頼の内容が、息子を助けてほしい、という同一のものだったことに眉を潜めた。
一方は男児と血が繋がった父で、もう一方は、血が繋がらなくとも愛情を込めて育ててきた父だという。男児の母にとっては、前夫と現在の夫といったところか。
血が繋がった唯一の家族なのだ、と実父のほうが言い、あの子は喘息持ちだから、早く助けてやってほしいのだ、と継父のほうが言う。
馬鹿な犯人もいたものだ。
タダトモは依頼主たちを見ながら、愚痴るように呟いていた。どちらか一方にだけ連絡をすれば良かったのだ。コインを多く持っているほうにか、それとも、確実に払うだろうほうに。
恐らく欲張って、二人からコインを奪い取ろうとした。警察に知らせたら息子の命はない、などとお約束の脅し文句をつけて。
「……コタロウはどうした」
付き添いで来ていた忍者に彼らの頭領の名を出すと、頭領はお忙しい身で、と返された。
お忙しいのはタダトモとて同じこと。バイトをしなければならない。
そんな事件はどこかの探偵兼焼きそば屋にでも頼むべきことで、荒事を専門にしている自分に寄越されて良い内容ではないと、強く思った。
しかし、コインの額が額だ。
実父のほうは会社の社長をしているらしく、金回りが良い。依頼料も継父より遥かに高い。
対する継父はというと、依頼料は少ないものの、必死でかき集めたコインだと言った。もし息子が戻ってくるのなら、実父の依頼料金と合わせて、自分のこのコインも持っていってくれて構わない、と言うのだ。
普通……いや、この界隈が普通であったためしなどないが、それでも通常ならば、同一の依頼を受けた際は「俺が俺が」「こちらの依頼を優先して」などと依頼料金をつり上げてでも自分を優先させようとするものだ。
だがこの二人は、同じ目的のために一致団結でもしているのか、どうか頼むと同時に頭を下げてくるのだった。
「……ああ、構わんよ」
小さく息をついて、タダトモは落ち着き払った声音で告げる。
今にも泣きそうな継父と、不安で押し潰されそうな実父が揃って頭を上げたのを見て、腕組みを解かず、不遜に見える態度をとった忍者は言った。
「あんたらの事情に興味はないんでな。コインさえ積んでくれるのなら、それ相応の働きでもって返そう……今日中でいいんだな?」
今日中で、などと自分で制限時間を設けてしまったことに、若干の後悔を抱きながらも、タダトモは屋根の上を走り、壁を駆けて、空を舞い、誰にも見られずに路地裏へと着地した。
今日は二〇時から居酒屋のホールのシフトが入っている。金を稼ぐのに手段は選ばない彼は、忍者とアルバイターの兼業で日々稼いでいる。
連れ去られた少年の所持品を借り受けていたタダトモは、その品についていた匂いを頼りにあちこちを走り回っていた。電柱ののてっぺんに立ち、俯瞰して町を眺める。他の忍者たちに指示を出し、あらゆる場所の盗聴までさせた。
そうして分かったことがあった。少年は通学路をたどって家に帰る途中、白いワゴン車に乗せられて南東へ連れ去られたらしい。
しかし通報されることはなかった。
「ただいまドラマの撮影中です、このシーンを撮ったら移動します」
周囲の人々は、その言葉に騙され、安心していたらしい。何ともお気楽なことだ。
南東へ進む。エージェンツは警察集団ではない。だから、南東にある建物は全て調べることができた。関係者以外立ち入り禁止と書かれた小さな事務所から、今は使われていないゲームセンター、そして……民家まで。
ありふれた苗字の表札がかかった家だった。
少年の匂いはそこからしていた。
屋根の上に乗り、爪先の力だけで軒先にぶら下がる。カーテンが閉められていて中の様子は確認できなかったが、声は聞こえてきた。
「恨むなら父親を恨め」
「どっちを恨めばいいか分からないだろうけど」
けらけら笑う男女の声に続いて、子供の声が返る。ひどく緊張しているようだった。
「僕のお父さんは、どっちも立派だよ!」
気づいたら、窓を蹴り割って、二階の部屋に突入していた。
唖然とする男女二人組みを放って、タダトモは縛られていた少年を小脇に抱えていた。
何をしているんだ。
もっと慎重に。用意周到に。
こんな……こんな、激情に呑まれることなど、あってはならないのに。
犯人たちの確保?
どうでもいい。
姿を見られたぞ?
どうでもいい。
タダトモは少年を縛っていた縄を炎で焼いて切る。ゴルフクラブを武器の代わりに突っ込んでくる男を見て、それから壁にかかった時計を見て、いっぺんに事を終わらせる選択をしたのだった。
「マリシュシュリ・ソワカ!」
二階建ての民家の部屋が突如爆発、火はすぐに消えたものの、二階にいた男女二名が酸欠で意識を失い、部屋のあらゆるものが吹っ飛んだ。
爆発の寸前に部屋を飛び出していたタダトモと少年は無傷。そのままビルの屋上を跳び、電柱のてっぺんを飛び、一九時の空を駆け抜けていった。
もし自分が未熟であった頃に、実の父ともう一人の父……あの傾奇者が、同じような境遇に置かれたら……あの人たちは……いや、あの方々は、同じように「息子を助けてくれ」と言ってくれただろうか。
それくらい自分で何とかするものだ、と叱責されて終わりだろうか。
それとも、二人揃って助けに来てくれただろうか。
タダトモは少年を小脇に抱えながら考える。
二人の男がじっと待つそこへ走った。
「コインの振込先は分かっているな。なら俺は失礼する。少し急ぎの用があってな」
一九時三〇分。バイトに遅れずに済みそうだ。
ありがとう、ありがとう、と頭を下げられて、タダトモは内心困惑していた。涼しい顔をして「難しい仕事ではなかったぞ」と言ってのけたが、正直、二階が爆発したのを見た忍者たちが、事を荒立てないよう裏工作に走ってくれたお陰ではある。今の彼は冷静ではなかった。
瞬時に姿を消してバイト先へと向かう。
居酒屋は客で賑わっていた。
「三番テーブルにホッケお願いしゃーす!」
タダトモの困惑は収まっていなかった。
誘拐事件を秘密裏(?)に解決した立役者と言っても良い存在だが、それでも自分の軽率な行動に対して疑問が尽きなかった。
なぜ突っ込んでいった。
バイトの時間が迫っているから? 二人の父を立派だと言う、少年の声を聞いたから?
居酒屋を後にしたタダトモがコンビニの前を通りすぎる。
「あれ、タダトモ」
聞きなれた声が、彼を引き留めた。
「……主君、なぜ、このような場所に」
「ちょっとアイスを買いに来たんだよ……タダトモはバイトの帰り? お疲れさま」
「はっ!」
礼儀正しく頭を下げる。ナチュラルに頭を撫でられる。お戯れを、と苦言を口にしようとしたタダトモに、彼の主君である高校生は笑いかけた。
「あんまり無理しないようにな」
「……無理などは、決して」
「タダトモだってまだ若いんだからさ。頼れる大人がいるかは分からないけど、ちゃんと周りに助けてもらうことも視野に入れるんだよ」
それに、何と返せただろうか。
アイスクリームが溶けますぞ、だったか。
高校生は慌てたように袋の中身を見て、そして笑いながら、また明日、と言って駆けていった。
タダトモの胸につっかえていた疑問が、す、と溶けたような気がした。
なぜ少年を助けるのに突っ込んでいく必要があった。そう自分に問いかける。
そうしてほしかったからだ、と自分の中にいる獣人の少年が答えた。はっきりとした口調だった。
もしも自分が少年の立場であったなら。
タダトモはきっと、自力で逃げ出すことができたに違いない。しかし、そうじゃない。そうじゃないのだ。タダトモは……犬山道節タダトモは、きっと父に助けてほしかった。
もっと父に心配してほしかったし、ずっと父に誉めてほしかった。できるならもう少しだけ、守っていてほしかったのかもしれない。
情けない。
ため息が出た。
二人の父に、もっと甘えていたかっ……
端末が着信音を響かせる。
「もしもーし? タダトモ兄ちゃん? 派手にやったねえ! お陰で隠蔽工作に走り回ることになっちゃったじゃん!」
「……知るか。俺がこういうタチだと、お前もよく知っているだろうが」
「ええー? そういうこと言っちゃう? まあいいよ。あの男女二人、万引きと引ったくりと恐喝の前科持ちで、無線飲食で指名手配されてたから、こっちがもらっちゃうよ。いいね?」
「ずいぶんショボい指名手配だな」
「なに言ってんの! 罪は罪でしょ! おぜぜは大事だよ。じゃあね!」
コタロウからの着信は、タダトモの中にある子供の欲求を掻き消した。
両頬をパンと叩く。虚空を睨み付けて、それから彼は寝床へと歩を進めた。
二人の父に誉めてもらうのは、まだ後で良い。
一方は男児と血が繋がった父で、もう一方は、血が繋がらなくとも愛情を込めて育ててきた父だという。男児の母にとっては、前夫と現在の夫といったところか。
血が繋がった唯一の家族なのだ、と実父のほうが言い、あの子は喘息持ちだから、早く助けてやってほしいのだ、と継父のほうが言う。
馬鹿な犯人もいたものだ。
タダトモは依頼主たちを見ながら、愚痴るように呟いていた。どちらか一方にだけ連絡をすれば良かったのだ。コインを多く持っているほうにか、それとも、確実に払うだろうほうに。
恐らく欲張って、二人からコインを奪い取ろうとした。警察に知らせたら息子の命はない、などとお約束の脅し文句をつけて。
「……コタロウはどうした」
付き添いで来ていた忍者に彼らの頭領の名を出すと、頭領はお忙しい身で、と返された。
お忙しいのはタダトモとて同じこと。バイトをしなければならない。
そんな事件はどこかの探偵兼焼きそば屋にでも頼むべきことで、荒事を専門にしている自分に寄越されて良い内容ではないと、強く思った。
しかし、コインの額が額だ。
実父のほうは会社の社長をしているらしく、金回りが良い。依頼料も継父より遥かに高い。
対する継父はというと、依頼料は少ないものの、必死でかき集めたコインだと言った。もし息子が戻ってくるのなら、実父の依頼料金と合わせて、自分のこのコインも持っていってくれて構わない、と言うのだ。
普通……いや、この界隈が普通であったためしなどないが、それでも通常ならば、同一の依頼を受けた際は「俺が俺が」「こちらの依頼を優先して」などと依頼料金をつり上げてでも自分を優先させようとするものだ。
だがこの二人は、同じ目的のために一致団結でもしているのか、どうか頼むと同時に頭を下げてくるのだった。
「……ああ、構わんよ」
小さく息をついて、タダトモは落ち着き払った声音で告げる。
今にも泣きそうな継父と、不安で押し潰されそうな実父が揃って頭を上げたのを見て、腕組みを解かず、不遜に見える態度をとった忍者は言った。
「あんたらの事情に興味はないんでな。コインさえ積んでくれるのなら、それ相応の働きでもって返そう……今日中でいいんだな?」
今日中で、などと自分で制限時間を設けてしまったことに、若干の後悔を抱きながらも、タダトモは屋根の上を走り、壁を駆けて、空を舞い、誰にも見られずに路地裏へと着地した。
今日は二〇時から居酒屋のホールのシフトが入っている。金を稼ぐのに手段は選ばない彼は、忍者とアルバイターの兼業で日々稼いでいる。
連れ去られた少年の所持品を借り受けていたタダトモは、その品についていた匂いを頼りにあちこちを走り回っていた。電柱ののてっぺんに立ち、俯瞰して町を眺める。他の忍者たちに指示を出し、あらゆる場所の盗聴までさせた。
そうして分かったことがあった。少年は通学路をたどって家に帰る途中、白いワゴン車に乗せられて南東へ連れ去られたらしい。
しかし通報されることはなかった。
「ただいまドラマの撮影中です、このシーンを撮ったら移動します」
周囲の人々は、その言葉に騙され、安心していたらしい。何ともお気楽なことだ。
南東へ進む。エージェンツは警察集団ではない。だから、南東にある建物は全て調べることができた。関係者以外立ち入り禁止と書かれた小さな事務所から、今は使われていないゲームセンター、そして……民家まで。
ありふれた苗字の表札がかかった家だった。
少年の匂いはそこからしていた。
屋根の上に乗り、爪先の力だけで軒先にぶら下がる。カーテンが閉められていて中の様子は確認できなかったが、声は聞こえてきた。
「恨むなら父親を恨め」
「どっちを恨めばいいか分からないだろうけど」
けらけら笑う男女の声に続いて、子供の声が返る。ひどく緊張しているようだった。
「僕のお父さんは、どっちも立派だよ!」
気づいたら、窓を蹴り割って、二階の部屋に突入していた。
唖然とする男女二人組みを放って、タダトモは縛られていた少年を小脇に抱えていた。
何をしているんだ。
もっと慎重に。用意周到に。
こんな……こんな、激情に呑まれることなど、あってはならないのに。
犯人たちの確保?
どうでもいい。
姿を見られたぞ?
どうでもいい。
タダトモは少年を縛っていた縄を炎で焼いて切る。ゴルフクラブを武器の代わりに突っ込んでくる男を見て、それから壁にかかった時計を見て、いっぺんに事を終わらせる選択をしたのだった。
「マリシュシュリ・ソワカ!」
二階建ての民家の部屋が突如爆発、火はすぐに消えたものの、二階にいた男女二名が酸欠で意識を失い、部屋のあらゆるものが吹っ飛んだ。
爆発の寸前に部屋を飛び出していたタダトモと少年は無傷。そのままビルの屋上を跳び、電柱のてっぺんを飛び、一九時の空を駆け抜けていった。
もし自分が未熟であった頃に、実の父ともう一人の父……あの傾奇者が、同じような境遇に置かれたら……あの人たちは……いや、あの方々は、同じように「息子を助けてくれ」と言ってくれただろうか。
それくらい自分で何とかするものだ、と叱責されて終わりだろうか。
それとも、二人揃って助けに来てくれただろうか。
タダトモは少年を小脇に抱えながら考える。
二人の男がじっと待つそこへ走った。
「コインの振込先は分かっているな。なら俺は失礼する。少し急ぎの用があってな」
一九時三〇分。バイトに遅れずに済みそうだ。
ありがとう、ありがとう、と頭を下げられて、タダトモは内心困惑していた。涼しい顔をして「難しい仕事ではなかったぞ」と言ってのけたが、正直、二階が爆発したのを見た忍者たちが、事を荒立てないよう裏工作に走ってくれたお陰ではある。今の彼は冷静ではなかった。
瞬時に姿を消してバイト先へと向かう。
居酒屋は客で賑わっていた。
「三番テーブルにホッケお願いしゃーす!」
タダトモの困惑は収まっていなかった。
誘拐事件を秘密裏(?)に解決した立役者と言っても良い存在だが、それでも自分の軽率な行動に対して疑問が尽きなかった。
なぜ突っ込んでいった。
バイトの時間が迫っているから? 二人の父を立派だと言う、少年の声を聞いたから?
居酒屋を後にしたタダトモがコンビニの前を通りすぎる。
「あれ、タダトモ」
聞きなれた声が、彼を引き留めた。
「……主君、なぜ、このような場所に」
「ちょっとアイスを買いに来たんだよ……タダトモはバイトの帰り? お疲れさま」
「はっ!」
礼儀正しく頭を下げる。ナチュラルに頭を撫でられる。お戯れを、と苦言を口にしようとしたタダトモに、彼の主君である高校生は笑いかけた。
「あんまり無理しないようにな」
「……無理などは、決して」
「タダトモだってまだ若いんだからさ。頼れる大人がいるかは分からないけど、ちゃんと周りに助けてもらうことも視野に入れるんだよ」
それに、何と返せただろうか。
アイスクリームが溶けますぞ、だったか。
高校生は慌てたように袋の中身を見て、そして笑いながら、また明日、と言って駆けていった。
タダトモの胸につっかえていた疑問が、す、と溶けたような気がした。
なぜ少年を助けるのに突っ込んでいく必要があった。そう自分に問いかける。
そうしてほしかったからだ、と自分の中にいる獣人の少年が答えた。はっきりとした口調だった。
もしも自分が少年の立場であったなら。
タダトモはきっと、自力で逃げ出すことができたに違いない。しかし、そうじゃない。そうじゃないのだ。タダトモは……犬山道節タダトモは、きっと父に助けてほしかった。
もっと父に心配してほしかったし、ずっと父に誉めてほしかった。できるならもう少しだけ、守っていてほしかったのかもしれない。
情けない。
ため息が出た。
二人の父に、もっと甘えていたかっ……
端末が着信音を響かせる。
「もしもーし? タダトモ兄ちゃん? 派手にやったねえ! お陰で隠蔽工作に走り回ることになっちゃったじゃん!」
「……知るか。俺がこういうタチだと、お前もよく知っているだろうが」
「ええー? そういうこと言っちゃう? まあいいよ。あの男女二人、万引きと引ったくりと恐喝の前科持ちで、無線飲食で指名手配されてたから、こっちがもらっちゃうよ。いいね?」
「ずいぶんショボい指名手配だな」
「なに言ってんの! 罪は罪でしょ! おぜぜは大事だよ。じゃあね!」
コタロウからの着信は、タダトモの中にある子供の欲求を掻き消した。
両頬をパンと叩く。虚空を睨み付けて、それから彼は寝床へと歩を進めた。
二人の父に誉めてもらうのは、まだ後で良い。
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