いつか天が落ちるなら

 窓ガラスを割らずにやって来た男に、サモナーの調子は狂わされていた。
 正式に学生寮へ連絡を取り、手続きを済ませ、サモナーか寮の出入り口に迎えに来るまで大人しく待つ彼。
「やあ、こんにちはだ、サモナー!」
 いつものような高笑いもなく、にこやかに、やや大きめの声で挨拶してくる彼。
 自室に案内すれば、特に無茶もせず扉から入り、椅子を勧めれば大人しく座る彼。
 サモナーが身構えていてもお構い無しで、戦争に誘わず、今日訪ねて来た理由はね、と穏やかに振る舞うテスカトリポカに、サモナーは戸惑いと苛立ちを隠せなかった。
「お前、誰だ」
 思わずそう訊ねるくらい、彼らしくない。
 テスカトリポカは小さく瞬きをすると、そっと目を伏せて、ふ、と笑った。
「私は、私だとも、サモナー」

 きょうだい、とすら呼ばないのか。

 いつもいつも、人の話を聞いているのだかいないのだか、大きな声で笑っては、サモナーに戦いを挑んでくるテスカトリポカが……。
「テスカトリポカ、何を考えてるの?」
 その言葉にテスカトリポカは、目を伏せたまま口を開く。あのね、と話し始めた彼は、サモナーの方を見なかった。
「君は、ケツァルコアトルではないから」
「……中に居るよ、ケツァルコアトルなら」
「うん。中に居る。君自身がそうな訳ではなく」
 サモナー、君は君であって、ケツァルコアトルではないのだよ。
 言い聞かせるようにテスカトリポカは告げる。
 誰に言い聞かせているのか。
 サモナーにか。
 テスカトリポカ自身にか。
「だから……だからね、サモナー、私は、ケツァルコアトルを内包する君を、対等に扱わぬ事にしたのだ……突然ですまないけれど」
 執着しないように。勘違いしないように。混同しないように。テスカトリポカはサモナーを見ようとせず、ただ穏やかに話している。
「こんにちはだ、サモナー」
 距離を取れるものならば、取ろうと。
 エルドラドの世界代行者は、振る舞いを大きく変えて接しようとしているのだった。
 サモナーは、サモナーである。
 エルドラドに「帰って来る」ことはない。

 さようなら、ケツァルコアトル。
 こんにちは、サモナー。
 私は君たちを忘れない。
 だから……ああ、だからこそ。
 一から関係を、築いていこうじゃないか。

「気に食わない」

 テスカトリポカの耳に、はっきりとした声が飛び込んできた。サモナーのものだ。
 視線も感じる。まっすぐこちらを見据えている。
 テスカトリポカには分かった。
「虫が良すぎる」
「……そうかも、しれぬね」
「今まで散々、ケツァルコアトル、ケツァルコアトルって煩いくらい呼んできてたくせに」
 サモナーの声に、怒りはなかった。ただ、不満に思っていることは明白だった。
 サモナーに遠慮はない。テスカトリポカに、遠慮をするはずかない。
「そのせいで何度、時の|大逆流《さかしま》を起こしてループしたか分からないくせに」
「それは、すまないと思っているよ、だからこうして距離を……」
「何を今更大人ぶって距離なんか取ってるんだ」
 その口調が。鼻で笑うような声の出し方が。弱気を打ち砕く、はっきりとした態度が。
 どうにも……ケツァルコアトルを思い起こさせて……。テスカトリポカは、奥歯を噛む。
 ああ、重ねてはいけないのに。
 そんなテスカトリポカの考えなどお構い無しに、サモナーは言い放った。

「それは大人としての配慮というより、臆病な子供の逃避行動じゃあないのか?」

 勝つのが怖いか? 負けるのがこわいか?
 泥仕合が怖いのか?
 そんなに、目の前にいる自分と向き合うのが怖いなら、今度はこちらが追いかけてやるからな。
 お前を天から叩き落としてやるからな。

「いつか天が落ちるなら、その時は私の鉄拳で落ちてくれ、分かったな、テスカトリポカ?」

 まくし立てた。
 返答がないのをいいことに。
 サモナーは思いの丈をぶつけ、言い切った。
 ……テスカトリポカは、いつの間にか視線を上げていた。目を丸くして、仁王立ちするサモナーを見つめている。
 あまりにも清々しい啖呵を切った高校生に、ジャガー獣人は呆気にとられていた。

「……ああ」

 テスカトリポカの喉が震える。
「受けて立とうとも……きょうだい」
「やっと、きょうだいって呼んだな?」
 勝ち誇った様子で、サモナーが言う。
 臆病だった鏡に、勝ち気を映して言う。
「お前のきょうだいが、ケツァルコアトルだけじゃないことを、思い知らせてやるからな」

 今この瞬間、叩き落されたようなものだよ。

 テスカトリポカが、獰猛さを含む苦笑で、サモナーを見た。
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