いつもの

 段ボール箱が全力疾走している。
 そうとしか言いようがない光景だった。
 ガサガサと音を立てて全速力で学園軍獄の通路を駆け抜ける段ボール箱が、壁にぶつかっては止まり、方向転換してまた走り、なにかにぶつかってはバックしてまた走っている。
 箱はそれほど大きくはない。猫か小型犬が隠れるのにちょうどいいくらいのサイズだった。それが一心不乱に通路を走り抜けていた。
 目撃した者たちは、皆、一様に「あー……」と苦笑いしていた。
 その苦笑いの群れの中、走る段ボールを追いかける小柄な影がひとつ。
 タネトモ参謀である。
 全速力で逃げているとはいえ前が見えない段ボールだ。速度に限りはある。タネトモ参謀は犬であり、持久力に優れていた。

 段ボールが止まる。

 袋小路に追い詰められていた。
「さあ、観念してくださいまし、最前線指揮官」
 動かなくなった段ボールを遠慮なく持ち上げて、タネトモ参謀は動きを止めた。そこにあったのは、よく脱走するぬいぐるみ……ではない。
 あ、どうもすみません、偽物です……と恐縮しているようにちんまりと鎮座する、ラジコンカーだったのだ。

 ピーンポーンパーンポーン、と軍獄内に放送の知らせが響いた。

「フハハハハ! 陽動作戦は大、成、功のようだね! 仕事の合間にネット通販でポチったラジコンカーが、役に立ったというものだよ!」
 おそらく放送室に相当する場所からわざわざアナウンスしているのだろう。最前線指揮官の得意気な声が辺りに響き渡る。
 マイクを介して大声を出しているので、非常にうるさい。
 ピンポンパンポン、などとのんきにチャイムを鳴らして、タネトモ参謀の神経を逆撫でしているテスカトリポカは、それでは撤退! と宣言し、ガタンガタン、と盛大に物音を立てながらガラッと窓を開けて外に飛び出していった。
 マイクが全部の物音を拾っていた。

 それにしてもラジコンカーを囮につかうとは、考えたものだな、と職員は思う。いつもはこっそり抜け出すか、しれっと抜け出すか、ドタンバタンと抜け出すかのどれかだったのに。
 鏡のなかに籠城していたこともあったっけ。たしかタネトモ参謀が金槌を持ってきて、なにも映さぬ鏡などあるだけ邪魔ですね、と叩き割ろうとしたから、テスカトリポカ最前線指揮官が観念したんじゃなかったか。
 その前は煙の状態で通風ダクトから逃げようとして、タネトモ参謀に掃除機で吸われていたような気がしないでもない。
 思い出せば思い出すほど脱走しかしていない上官である。
 私は実践と実戦で輝くタイプなのだよ! と言い張る最前線指揮官に、なるほど、と思わざるを得ない職員たちであるが、まあ、それはそれとして書類も片付けていただきたい、という共通の願いも持っていた。

 職員たちが、チラリと参謀の顔を覗き見た。

 光のない目を優雅に歪ませ、口許を上品にほころばせた、鬼の形相がそこにあった。
 ぶちギレである。これは最前線指揮官、捕まったらこっぴどく怒られるなんてものでは済まない。
 いや、そもそも仕事中に玩具をポチるなよ。
 モーター音が静かなタイプの、結構高めのラジコンカーを買うな。
 戦々恐々としている部下や職員たちをスルーして、タネトモは静かにUターン。学園軍獄の出入り口へと向かっていった。
「……もしもし、ヤスヨリさんですか。正面出入り口の警備はどうなっていまして? ……なるほど、そちらには最前線指揮官はいらっしゃらなかったと。分かりました。ターゲットは学園軍獄の外に出たものと見てよろしいでしょう。至急、捕縛部隊を練馬周辺に配置してください」
 始まったなあ……。と、職員たちは遠い目で、各々の仕事に手をつけていた。大体、テスカトリポカ最前線指揮官が仕事を放棄しなければいいだけの話なのだ。サボった側が全面的に悪い。
 それに、指揮官を追いかけている間はタネトモ参謀の仕事もストップすることになるのだから、早いところ収束してほしいというものだった。
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