傷の舐め合い
ウォーモンガーズの拠点で、執事がにっこりと笑っていた。恭しく一礼して、頭を下げた状態で「ごきげんようございます」などと言う。
嫌に上機嫌なヤギの執事は、サモナーをかばうように立つ太陽神を見て、それは楽しそうに……噴き出すのを堪えているかのように満面の笑みを浮かべ、大袈裟に両手を広げてみせた。
「おお、なんと仲睦まじいお二人でしょう! 何も覚えていらっしゃらないサモナー様と、何も残っていらっしゃらないテスカトリポカ様。うつろなお二人が互いを支えあっていらっしゃるご様子に、このメフィストフェレス、心から感じ入っております!」
「感動しているところに水を差すようですまないが、サモナーの本質を映すことのできぬ、劣悪な鏡の遠吠えだと解釈したが、あっているかね?」
喧嘩ならば買う。
落ち着いた様子で返すテスカトリポカに、メフィストフェレスは大仰に驚いた顔をしてみせた。
「いえいえ! なんということでしょう! 僕めはただ、お二人がよくお似合いでらっしゃると、そう申し上げたかったまででございますのに」
気を悪くされたようでしたら、謝罪いたしましょう。などと、ヤギの彼は頭を下げた。
気を悪くしたなら謝る、とは。謝罪のようで謝罪ではない。気分を害したほうに責任があり、それに付き合って謝罪を施してやるような口ぶりは、まさに不敬というものだ。
テスカトリポカは一笑に伏した。
戦争の最前線に立った事もない素人のざれ言に耳を傾けるほど、最前線指揮官は優しくできてはいないからだ。ツノの一本でも折ってから来い。
「テスカトリポカ、機嫌悪い?」
隣で二人のやり取りを眺めていたサモナーがそう口を開けば、黒い太陽神はサモナーの肩を抱いて、良くはないとも、きょうだい、とささやいた。
そのままメフィストフェレスを置き去りに、執務室へと足を運ぶ。メフィストフェレスは笑みを浮かべ、お辞儀で彼らを見送っていた。
ばすん、と乱暴に椅子に座ったテスカトリポカが、足を組んで不機嫌そうに虚空をにらむ。物を投げるという愚行を犯さなかったのは、投げたらタネトモに詰められる書類ばかりだからか。サモナーの前だというのに……いや、だからこそか、彼は盛大に舌打ちをして吐き捨てた。
「なんっだね、あのあからさまな挑発は!!」
喉の奥をグルルと鳴らし、まるで目の前に獲物がいるかのようにテスカトリポカは牙を見せる。
「戦争を眺めるのが仕事……いや、アマチュアの分際でよく言ったものだよ!!」
機嫌が悪いきょうだいの言動に、サモナーは怯えもせず近づいていく。不機嫌なままにテスカトリポカが腕を振り抜けば、簡単にサモナーの首などへし折れてしまうというのに。
遠慮なく近づいてくるサモナーに、彼は苛立ちを隠しはしないものの、乱暴に振る舞うことはやめた。組んでいた足を下ろし、受け入れる姿勢をとった。サモナーは当たり前といった顔でテスカトリポカの足の間に座ると、なだめるかのように彼の手に自分の手を重ねる。
そして、問いかけた。
「なんて言われてたの? 要約すると?」
気障な装飾を施された長ったらしい台詞は、サモナーの趣味ではなかったらしい。理解できなかった旨を伝えると、テスカトリポカは口を尖らせて、それはつまらなそうに返した。
「なにもない同士で傷の舐め合いをするのは、さぞ気持ち良かろうとさ」
ほぉーん、と気のない声が返った。サモナーの、たいして興味がなさそうな返事だった。
君のために現代語訳してあげたのだよ? と眉間にシワを寄せるテスカトリポカに、サモナーは気にした様子もなく口を開く。
「気持ち良いのは当然じゃん」
「……おっと、戦争かな?」
「メフィストフェレスの言葉に賛同してるわけじゃなくてさ。拗ねないで聞いてよ」
「拗ねてませんけどぉ?」
拗ねている。
面白くなさそうな黒いジャガーの獣人に、サモナーは苦笑いをひとつこぼした。
そうして、手を後ろに回してジャガーの頭を雑に撫でる。それでもテスカトリポカはむくれていた。サモナーの言葉の続きを待っているようだ。
だからサモナーは言う。
正直に言う。
「傷ができたら舐め合う。群れをなす動物なら当然の行為だと自分は思うよ。治すために取る手段だ。別に恥ずかしい行為ではない」
「うん」
「傷の舐め合いをすれば傷口は徐々に小さくなっていく。癒えていくんだから、良いことだと自分は思う。癒えたら気持ち良い。当たり前のこと」
「……ならば君ィ。君はメフィストフェレスのあの言葉を甘受するというのかね?」
「あれは完全に喧嘩を売っていたから、あとで買おう。相手が思いもよらないタイミングと方法で買うんだ。なんて言うんだっけ? 敵対的買収?」
「それはまた意味が違うよ、きょうだい」
「ああ、そうなんだっけ」
よく回る口と舌だ。軽口のようにぽんぽん飛び出すサモナーの理屈に、テスカトリポカはいつしか落ち着きを取り戻していた。落ち着くどころか、面白くなっていたかもしれない。
「お互い、脛どころか、心にも体にも傷持つ間柄だ。互いに癒しあうのは良い戦略じゃない?」
「……彼はなぜ今になって下手な挑発を打ってきたと思う、きょうだい?」
「自分がテスカトリポカに所有されている状態が、状況的に面白くなくなってきたから。もしくは、自分をテスカトリポカから引き離す必要が出てきたから、かな」
「それが狙いならば、あちらは随分と清々しく読み間違いをしたものだね、我が半身よ」
「テスカトリポカが、じゃないのにね」
「そう。君を所有しているのではない。君が所有しているのだよ。私を」
二人して、ふっと笑った。
力の弱いほうが、強いほうを所有している、などとは、遠くから眺めている者には分からないらしい。それがなんだかおかしくて、悪戯っぽく笑っていた。
「機嫌は直った?」
「お陰さまでね」
テスカトリポカは鏡である。
目の前の相手を映す、鏡。
彼があんなに不機嫌だったのは、彼が映した相手……メフィストフェレスに余裕がなかったからかもしれない。サモナーはそこまで考えると、テスカトリポカの膝から降りた。
「さて、どう出る? きょうだい? メフィストフェレス個人の嫌がらせじゃないと思うけど」
「それは勿論そうだろうとも、きょうだい。銃後に座する者たちに、少し教えてやらねばなるまいね。我ら最前線に立つ者の意趣返しというものを」
そうしたら。
今度、傷の舐め合いをすることになるのは。
お前たちかもしれない、と。
子供の遊びが大好きな、やんちゃなきょうだいたちは、笑ったのだ。
嫌に上機嫌なヤギの執事は、サモナーをかばうように立つ太陽神を見て、それは楽しそうに……噴き出すのを堪えているかのように満面の笑みを浮かべ、大袈裟に両手を広げてみせた。
「おお、なんと仲睦まじいお二人でしょう! 何も覚えていらっしゃらないサモナー様と、何も残っていらっしゃらないテスカトリポカ様。うつろなお二人が互いを支えあっていらっしゃるご様子に、このメフィストフェレス、心から感じ入っております!」
「感動しているところに水を差すようですまないが、サモナーの本質を映すことのできぬ、劣悪な鏡の遠吠えだと解釈したが、あっているかね?」
喧嘩ならば買う。
落ち着いた様子で返すテスカトリポカに、メフィストフェレスは大仰に驚いた顔をしてみせた。
「いえいえ! なんということでしょう! 僕めはただ、お二人がよくお似合いでらっしゃると、そう申し上げたかったまででございますのに」
気を悪くされたようでしたら、謝罪いたしましょう。などと、ヤギの彼は頭を下げた。
気を悪くしたなら謝る、とは。謝罪のようで謝罪ではない。気分を害したほうに責任があり、それに付き合って謝罪を施してやるような口ぶりは、まさに不敬というものだ。
テスカトリポカは一笑に伏した。
戦争の最前線に立った事もない素人のざれ言に耳を傾けるほど、最前線指揮官は優しくできてはいないからだ。ツノの一本でも折ってから来い。
「テスカトリポカ、機嫌悪い?」
隣で二人のやり取りを眺めていたサモナーがそう口を開けば、黒い太陽神はサモナーの肩を抱いて、良くはないとも、きょうだい、とささやいた。
そのままメフィストフェレスを置き去りに、執務室へと足を運ぶ。メフィストフェレスは笑みを浮かべ、お辞儀で彼らを見送っていた。
ばすん、と乱暴に椅子に座ったテスカトリポカが、足を組んで不機嫌そうに虚空をにらむ。物を投げるという愚行を犯さなかったのは、投げたらタネトモに詰められる書類ばかりだからか。サモナーの前だというのに……いや、だからこそか、彼は盛大に舌打ちをして吐き捨てた。
「なんっだね、あのあからさまな挑発は!!」
喉の奥をグルルと鳴らし、まるで目の前に獲物がいるかのようにテスカトリポカは牙を見せる。
「戦争を眺めるのが仕事……いや、アマチュアの分際でよく言ったものだよ!!」
機嫌が悪いきょうだいの言動に、サモナーは怯えもせず近づいていく。不機嫌なままにテスカトリポカが腕を振り抜けば、簡単にサモナーの首などへし折れてしまうというのに。
遠慮なく近づいてくるサモナーに、彼は苛立ちを隠しはしないものの、乱暴に振る舞うことはやめた。組んでいた足を下ろし、受け入れる姿勢をとった。サモナーは当たり前といった顔でテスカトリポカの足の間に座ると、なだめるかのように彼の手に自分の手を重ねる。
そして、問いかけた。
「なんて言われてたの? 要約すると?」
気障な装飾を施された長ったらしい台詞は、サモナーの趣味ではなかったらしい。理解できなかった旨を伝えると、テスカトリポカは口を尖らせて、それはつまらなそうに返した。
「なにもない同士で傷の舐め合いをするのは、さぞ気持ち良かろうとさ」
ほぉーん、と気のない声が返った。サモナーの、たいして興味がなさそうな返事だった。
君のために現代語訳してあげたのだよ? と眉間にシワを寄せるテスカトリポカに、サモナーは気にした様子もなく口を開く。
「気持ち良いのは当然じゃん」
「……おっと、戦争かな?」
「メフィストフェレスの言葉に賛同してるわけじゃなくてさ。拗ねないで聞いてよ」
「拗ねてませんけどぉ?」
拗ねている。
面白くなさそうな黒いジャガーの獣人に、サモナーは苦笑いをひとつこぼした。
そうして、手を後ろに回してジャガーの頭を雑に撫でる。それでもテスカトリポカはむくれていた。サモナーの言葉の続きを待っているようだ。
だからサモナーは言う。
正直に言う。
「傷ができたら舐め合う。群れをなす動物なら当然の行為だと自分は思うよ。治すために取る手段だ。別に恥ずかしい行為ではない」
「うん」
「傷の舐め合いをすれば傷口は徐々に小さくなっていく。癒えていくんだから、良いことだと自分は思う。癒えたら気持ち良い。当たり前のこと」
「……ならば君ィ。君はメフィストフェレスのあの言葉を甘受するというのかね?」
「あれは完全に喧嘩を売っていたから、あとで買おう。相手が思いもよらないタイミングと方法で買うんだ。なんて言うんだっけ? 敵対的買収?」
「それはまた意味が違うよ、きょうだい」
「ああ、そうなんだっけ」
よく回る口と舌だ。軽口のようにぽんぽん飛び出すサモナーの理屈に、テスカトリポカはいつしか落ち着きを取り戻していた。落ち着くどころか、面白くなっていたかもしれない。
「お互い、脛どころか、心にも体にも傷持つ間柄だ。互いに癒しあうのは良い戦略じゃない?」
「……彼はなぜ今になって下手な挑発を打ってきたと思う、きょうだい?」
「自分がテスカトリポカに所有されている状態が、状況的に面白くなくなってきたから。もしくは、自分をテスカトリポカから引き離す必要が出てきたから、かな」
「それが狙いならば、あちらは随分と清々しく読み間違いをしたものだね、我が半身よ」
「テスカトリポカが、じゃないのにね」
「そう。君を所有しているのではない。君が所有しているのだよ。私を」
二人して、ふっと笑った。
力の弱いほうが、強いほうを所有している、などとは、遠くから眺めている者には分からないらしい。それがなんだかおかしくて、悪戯っぽく笑っていた。
「機嫌は直った?」
「お陰さまでね」
テスカトリポカは鏡である。
目の前の相手を映す、鏡。
彼があんなに不機嫌だったのは、彼が映した相手……メフィストフェレスに余裕がなかったからかもしれない。サモナーはそこまで考えると、テスカトリポカの膝から降りた。
「さて、どう出る? きょうだい? メフィストフェレス個人の嫌がらせじゃないと思うけど」
「それは勿論そうだろうとも、きょうだい。銃後に座する者たちに、少し教えてやらねばなるまいね。我ら最前線に立つ者の意趣返しというものを」
そうしたら。
今度、傷の舐め合いをすることになるのは。
お前たちかもしれない、と。
子供の遊びが大好きな、やんちゃなきょうだいたちは、笑ったのだ。
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