鬼哭
「アカオニとも長い付き合いだね」
朗らかに笑う主に語りかけられ、赤い肌の大男は口元をわずかにほころばせた。
公園で、人を食おうと襲いかかってからの縁である。
今思えば、あれは運命だったのやもしれない。
主の手を取ったあの日から、自分は確かに変わり始めたのだから。
などと、アザトースなる子供のような大人のような、年齢などに意味はないような存在に記憶を見せられるまでは、呑気に思い込んでいた。
この世界は繰り返されている。
何度も何度も主を殺し、ゲームと呼ばれる盤上を、最初からにしていく。
アカオニはそこで見てしまった。
自分が主となるはずだったサモナーを打ち倒し、首や肩にかぶりつき、食い殺したループの出来事を。
バッドエンドあーるてぃーえーでもやってたのか、とアザトースは言う。
あーるてぃーえーとは何だ、なんて気にする余裕はなかった。
思い出す。
口の中に広がる血肉の味を。
鼻を抜ける鉄の匂いを。
思い出す。
それでも主は……この人は、自分を恨まず逝ったことを。
思い出して、一人でうずくまった。
何が運命だと、主の隣で呑気に笑っていた自分を詰った。
「アカオニって、イワシ嫌いかな?」
ある日、主がそんなことを言った。鬼は一般的に、臭いがきついものや尖ったものが嫌いだとされている。イワシを焼くときの煙や臭気もまた、そうだった。
その頃のアカオニは、未だ、主を食った記憶に翻弄されていた。
なんと答えればいいかわからず、アア、ウウ、と唸ったような気がする。
サモナーはそれを肯定と取ったのか、頷いて、イワシを商品棚に戻した。
それ以来、サモナーはイワシを食べていない。それどころか、臭いがきついもの全般を口にしてはいない。納豆もチーズもキムチもだ。
発酵食品は体にいいから、食べてほしい、と口にしたとき、サモナーはぱちくりと瞬きをしたあと、アカオニにそう言われるなんて、と笑った。
朗らかな笑顔だった。
鬼。
人間以上の力を持つ、恐ろしい存在。
人に災いをもたらすもの。
それを、忘れたわけではなかった。
怪力、勇猛、無慈悲で恐れられた怪物なのだと、鏡を見るたびに思い出した。
主をこの手で。
主を、この手で。
……謝ろう。
なんとはなしに、心に浮かんだのはそれだった。謝る? 何をだ? 前のループで食べてしまってすみません、とでも言うのか? 旨かったです、とでも?
自分の短絡ぶりに怒りが湧いてきた大きなオニが、拳を握りしめた。
しかし謝る以外に、今の彼にできる行動はないものと思われた。
「ああ、気にしなくていいよ」
サモナーの返答は非常にあっさりしていて、アカオニを困惑させるのには充分であった。サモナーは言う。覚えていないし、思い出させられてもどこか他人事だし、何より恨む気持ちはどこにもないのだ、と。
しかしサモナーを死なせてしまったことに変わりはない。
それを許せる自分ではない。
俯くアカオニは、サモナーの背後に控えるもう一人の鬼に、気づけなかった。
「てめえはそれでも主様の第一の子分かよ」
第一。
何度も何度もループして、何度も何度も第一の子分になっただろうアカオニを責めるのは、オニワカと呼ばれる青年で。
「俺だって前のループでは主様を殺した」
「いいんだよ、気にしてないから」
「主様はもう少し気にしたほうがいいがな……それは置いといて、だ」
オニワカは意気消沈したアカオニを覗き込む。覗き込んで、目をしっかりと見た。そらされることのない視線にアカオニのほうが目をそらそうと横を向いたとき、オニワカはアカオニのツノを片手で掴み、そして……。
「鬼である俺らが、主様の死と向き合えねえでどうする」
鬼。
それは、人の形をした怪物。
鬼。
それは、人に災いをもたらすもの。
鬼。
それは、死んだ人の、魂。
「主様が死んで、一瞬でも鬼籍に入るなら、そこはもう、俺らの領域だろうが」
たとえ巻き戻るとしても。たとえ無かったことにされるとしても。一瞬の間、サモナーが死を迎えるのならば、それは。
一瞬の間、サモナーが鬼となるのならば、それは。
「主様の死から、主様を害した記憶から、目を背けるなよ」
「……オウ」
「その上で俺らは主様を護るんだ。死なねえように、じゃねえ。死んだあとも、お仕えするんだよ」
サモナーの手が、アカオニの拳をほどくように、そっとその手を包む。
アカオニは改めて、怖かったのだと自覚したのだった。
主を再び自らの手で亡き者にしてしまう未来を、恐れていたのだと。
死なねえように、じゃねえ。
オニワカはそう言った。
そうだ。死なぬようにではない。死してなお独りでは行かせぬように、この大きな体があるのだ。それがたとえ、誰にも覚えていてもらえない、一瞬の死出の旅だとしても。
アカオニの目に、サモナーのハンカチが押し当てられる。
鬼の目にもなんとやら。声は、出なかった。
朗らかに笑う主に語りかけられ、赤い肌の大男は口元をわずかにほころばせた。
公園で、人を食おうと襲いかかってからの縁である。
今思えば、あれは運命だったのやもしれない。
主の手を取ったあの日から、自分は確かに変わり始めたのだから。
などと、アザトースなる子供のような大人のような、年齢などに意味はないような存在に記憶を見せられるまでは、呑気に思い込んでいた。
この世界は繰り返されている。
何度も何度も主を殺し、ゲームと呼ばれる盤上を、最初からにしていく。
アカオニはそこで見てしまった。
自分が主となるはずだったサモナーを打ち倒し、首や肩にかぶりつき、食い殺したループの出来事を。
バッドエンドあーるてぃーえーでもやってたのか、とアザトースは言う。
あーるてぃーえーとは何だ、なんて気にする余裕はなかった。
思い出す。
口の中に広がる血肉の味を。
鼻を抜ける鉄の匂いを。
思い出す。
それでも主は……この人は、自分を恨まず逝ったことを。
思い出して、一人でうずくまった。
何が運命だと、主の隣で呑気に笑っていた自分を詰った。
「アカオニって、イワシ嫌いかな?」
ある日、主がそんなことを言った。鬼は一般的に、臭いがきついものや尖ったものが嫌いだとされている。イワシを焼くときの煙や臭気もまた、そうだった。
その頃のアカオニは、未だ、主を食った記憶に翻弄されていた。
なんと答えればいいかわからず、アア、ウウ、と唸ったような気がする。
サモナーはそれを肯定と取ったのか、頷いて、イワシを商品棚に戻した。
それ以来、サモナーはイワシを食べていない。それどころか、臭いがきついもの全般を口にしてはいない。納豆もチーズもキムチもだ。
発酵食品は体にいいから、食べてほしい、と口にしたとき、サモナーはぱちくりと瞬きをしたあと、アカオニにそう言われるなんて、と笑った。
朗らかな笑顔だった。
鬼。
人間以上の力を持つ、恐ろしい存在。
人に災いをもたらすもの。
それを、忘れたわけではなかった。
怪力、勇猛、無慈悲で恐れられた怪物なのだと、鏡を見るたびに思い出した。
主をこの手で。
主を、この手で。
……謝ろう。
なんとはなしに、心に浮かんだのはそれだった。謝る? 何をだ? 前のループで食べてしまってすみません、とでも言うのか? 旨かったです、とでも?
自分の短絡ぶりに怒りが湧いてきた大きなオニが、拳を握りしめた。
しかし謝る以外に、今の彼にできる行動はないものと思われた。
「ああ、気にしなくていいよ」
サモナーの返答は非常にあっさりしていて、アカオニを困惑させるのには充分であった。サモナーは言う。覚えていないし、思い出させられてもどこか他人事だし、何より恨む気持ちはどこにもないのだ、と。
しかしサモナーを死なせてしまったことに変わりはない。
それを許せる自分ではない。
俯くアカオニは、サモナーの背後に控えるもう一人の鬼に、気づけなかった。
「てめえはそれでも主様の第一の子分かよ」
第一。
何度も何度もループして、何度も何度も第一の子分になっただろうアカオニを責めるのは、オニワカと呼ばれる青年で。
「俺だって前のループでは主様を殺した」
「いいんだよ、気にしてないから」
「主様はもう少し気にしたほうがいいがな……それは置いといて、だ」
オニワカは意気消沈したアカオニを覗き込む。覗き込んで、目をしっかりと見た。そらされることのない視線にアカオニのほうが目をそらそうと横を向いたとき、オニワカはアカオニのツノを片手で掴み、そして……。
「鬼である俺らが、主様の死と向き合えねえでどうする」
鬼。
それは、人の形をした怪物。
鬼。
それは、人に災いをもたらすもの。
鬼。
それは、死んだ人の、魂。
「主様が死んで、一瞬でも鬼籍に入るなら、そこはもう、俺らの領域だろうが」
たとえ巻き戻るとしても。たとえ無かったことにされるとしても。一瞬の間、サモナーが死を迎えるのならば、それは。
一瞬の間、サモナーが鬼となるのならば、それは。
「主様の死から、主様を害した記憶から、目を背けるなよ」
「……オウ」
「その上で俺らは主様を護るんだ。死なねえように、じゃねえ。死んだあとも、お仕えするんだよ」
サモナーの手が、アカオニの拳をほどくように、そっとその手を包む。
アカオニは改めて、怖かったのだと自覚したのだった。
主を再び自らの手で亡き者にしてしまう未来を、恐れていたのだと。
死なねえように、じゃねえ。
オニワカはそう言った。
そうだ。死なぬようにではない。死してなお独りでは行かせぬように、この大きな体があるのだ。それがたとえ、誰にも覚えていてもらえない、一瞬の死出の旅だとしても。
アカオニの目に、サモナーのハンカチが押し当てられる。
鬼の目にもなんとやら。声は、出なかった。
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