黒く、曖昧に

「似合うかな?」

 人間の子供が照れたように浴衣を見せびらかすのに、有翼のジャガー獣人は頷いてみせた。ある夏祭りの夜のことだ。
 まるでトルコ石を思わせるはっきりとした明るい青の浴衣を身にまとい、高校生は笑っていた。不用心に、無警戒に笑っていた。
 戦争屋と呼ばれるギルドに所属するテスカトリポカは、そんな、争いとは無縁そうなサモナーの、屈託のない笑顔を見て、同じように笑う。
 彼は鏡である。サモナーを映している間、同じようにはしゃぎ、同じように遊び、同じように駆けるのである。たまにサモナーが渋い顔をする前で高笑いしていたりもするが、それだって、サモナーと自分が鏡合わせであることを心から望んでのことだ。
 たった三日で片付けられてしまう屋台の数々を、テスカトリポカはサモナーと共に眺めていた。射的があったら目配せをしあって勝負に持ち込むし、たこ焼きがあったら食べさせあって互いに火傷をした。しょうのない仲だ。

「楽しいな、テスカトリポカ」
「まったくだよ、きょうだい。そも祭りとは、その地の神や御霊を慰め祀ることから来ているのだが……こうも賑やかだと、エルドラドの儀式を思い出すね」
「生贄?」
「生贄」
「うわあ」
「うわあとは何だね」

 他愛のない会話をして、人混みではぐれないよう手を繋ぎ、隣り合って歩く。
 サモナーは見るもの全てが珍しいのか、あれは何だろうね、などとテスカトリポカに声をかけては目を輝かせていた。
 テスカトリポカにとっては三〇〇回目の夏祭りである。

「金魚だ!」

 幼子のようにはしゃいで、サモナーが屋台を指さした。
 金魚すくいと書かれたのぼりが立っていて、赤や黒、それから赤白黒のまだら模様が泳いでいた。デメキンなどという種類もいたが、すくいにくそう、というサモナーの一言により、競争の対象からは外れていた。
 そう、競争だ。
 どちらが多く金魚をすくえるか。
 サモナーが、そんな、子供のような遊びを提案したのだ。
 テスカトリポカにとっては七七回目の提案だったが、まあ、きょうだい相手の勝負事とあれば受けない選択肢はない彼だ。いいよ、と二つ返事だった。

 キャッキャとはしゃいだサモナーの浴衣が、跳ねた水でところどころ濡れて、結局テスカトリポカのほうが金魚を多く獲って終わった。
 負けたにもかかわらず、サモナーは笑顔だった。
 屋台の店主から土産にと手渡された袋の中、金魚が泳ぐ。
 赤白黒のまだら模様が、チョロチョロと水の中をさまよっていた。

「テスカは黒いのもらったんだ? はは、テスカらしいね」
「らしいとは何だね? 黑とは夜空を表す高貴で品のある色だよ、きょうだい」
「もっといろんな色が混じってるの選べばいいのに。きれいだろ」
「いろんな色が混じってる……ねえ」

 いろんな色が混じっているのは、サモナーのほうではないのか。
 ケツァルコアトルの欠片を宿した高校生は、テスカトリポカの持つ袋をつついて金魚にちょっかいをかけている。
 あと三秒で花火が上がる。
 テスカトリポカが空を見上げたちょうどその時、ヒュウ、と風を切る火薬の音がした。破裂して炸裂した大輪が、サモナーの顔を赤に、緑に、染め上げた。

「わあ……大きな花火だな。テスカが好きそう」
「好きだとも! 派手に燃えて散り落ちてゆく火薬の花の、なんと潔いことか!」
「戦争にからめてる? それ?」
「からめてはいけないかね?」
「もぉーっ!」

 もう、という割には、ケラケラ笑っていた。
 サモナーは漆黒の空を照らす花々を見ながら、拍手をしたり、見惚れたりしている。……何度も同じ花火を見ているテスカトリポカが、何度目かの花火への嫉妬を胸に抱いたりもした。
 君はいいな、爆発するだけできょうだいの視線を奪えて。

「はぁー、すごかった! この祭りのこと、きっと忘れない!」

 喜び疲れが顔に出ているサモナーが、それでも嬉しそうに宣言する、祭りの終わり際。少し空いてきた祭り会場で、そうかね、とテスカトリポカは笑った。
 嘘だ。君は忘れる。あっという間に、何事もなかったかのように、この日々すべてを忘れるのだ。次に会う時は敵対しているかもしれない。

「君が満足したならそれで充分だとも」
「なんか、テスカらしくないね」
「……そうかな? 私だってはしゃげば疲れるよ? きょうだい」
「テスカだったら、最後まで遊び倒しそうだな、と思ったんだけど」

 それは……一三八回やった。
 そのうち四二回は、タネトモ参謀に怒られた。
 なんてことはサモナーに言わない。
 サモナーは手に提げていたビニール袋を持ち上げた。中に金魚が入っているそれだった。赤白黒が、花火の余韻を味わうかのように、ゆっくり泳いでいる。

「これ、あげるよ」

 サモナーの穏やかな声。

「二人の思い出の品だ。きっと育て方が良かったらすごく大きくなると思うんだ」
「きょうだい? 学園軍獄の執務室で金魚を飼えというのかね?」
「だめ?」
「……駄目、では、ないけれど」
「やった! たまに様子を見に行くよ! 大切にしてね!」

 ずい、と押し付けられた金魚の袋を受け取って、テスカトリポカは笑顔で頷いた。サモナーが笑顔だったから。鏡合わせの彼らだ。自然とそうなった。

 水槽で泳ぐ二匹の金魚を、最前線指揮官は頬杖をついて眺めていた。
 金魚が軍獄の執務室に飾られた回数は、これで三一回。
 サモナーが様子を見に来るまでに片方が死んだ回数、二〇回。
 いや……これで二一回だろう。
 時のさかしまは全てを飲み込む。
 無かったことになる。
 何もかも。

「思い出の品……これがねえ?」

 つまらなそうな声が、虚しく響く。
 金魚も私も、君に忘れ去られる運命なのだ。
 夏祭りの喧騒を思い出す。弾けるようなサモナーの笑顔を思い出す。
 ふと笑みを浮かべたテスカトリポカは……水槽に手を突っ込むと赤白黒のそれを摘み上げ、冷たい目で丸呑みにした。
 あるようでない弾力が、喉を通って消えた。

 どうせこれも、無かったことになるのだ。
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