犯人は現場に戻る
傷だらけのサモナーを前に、タネトモは扇子をパチンと閉じて口を開いた。
「あの御方をどこへやりました?」
それに返るのは沈黙と、サモナーの小さな苦笑い一つだけだった。
今日も今日とて仕事をしない。
軋む義体を器用に使いこなし、ぬるりと書類整理の場から姿をくらます我らが最前線指揮官に、参謀であるタネトモの顔には穏やかかつ冷ややかな笑みが張り付いていた。
ヤスヨリが「ヒエッ……」と言うくらいだから、間違いなくタネトモは不機嫌である。
連れ戻したら椅子に縛り付け、無理矢理仕事をさせるつもりなのがよく分かった。いつもそうなのだ。最前線指揮官はそこまでしないとやらない。
仕事をサボることに罪悪感も無さそうなのが、部下たちの頭を痛める要因になっていたが、最前線指揮官ことテスカトリポカはお構い無しに遊びに行ってしまうので、部下たちのほうも鍛えられて(?)おり、だいたいどこにいるかの見当をつけられるようになっていた。
喜ばしい成長なのかは知らない。
テスカトリポカからすれば愉快な成長に見えるかもしれないが、タネトモを筆頭にした「仕事してほしい部下ーズ」にとっては悩ましい。
一日のルーティンに「脱走した上司の捕獲」があるかないかで、仕事のしやすさが見違えるほど変わるのだから。ないほうが良いに決まっている。
だから捕まえに行くのだ。
荒縄は持ったし、猫を入れるケージも準備した。
いざ、行きそうな場所へ。
傷だらけのサモナーを前に、タネトモは扇子をパチンと閉じて口を開いた。
「あの御方をどこへやりました?」
それに返るのは沈黙と、サモナーの小さな苦笑い一つだけだった。
出会った時には既に傷だらけだったのだ。
テスカトリポカと一戦交えたか何かしたのだろう。そう見当をつけて尋ねれば、アプリ展開せずにステゴロでやりあったという。
脳筋。
その一言が喉から出かかったのを堪え、タネトモは次に問いかけたのだ。
「あの御方をどこへやりました?」
と。
答えはシンプルだった。
「一時間前にどっか行ったよ」
自由気ままな太陽神は、まるで時間が立てば太陽の位置も変わって当たり前だというかのごとく、サモナーとの喧嘩に満足して空へ飛び立ってしまったらしい。タネトモから盛大なため息が漏れた。
最前線指揮官は、そういう御方だ。
分かってはいても、こうも振り回されると。
「急ぎの仕事でもあるの?」
目の前の高校生に問われ、長い髪をまとめた八犬士の一人は小さくため息をつく。
「急ぎではない仕事はありませんよ」
仕事とは、あらゆる物事に締め切りが存在するものだ。急遽片付けなければならない仕事が入ったわけではないが、それでも恒常的にこなさなければいけない作業は山のようにある。
蔑ろにしていいことなど無い。
「最前線指揮官は……まるで子供のようでいらっしゃる。溜め込んで泣きを見るのはご自分でしょうに、無邪気に目の前の誘惑を優先なさるものですから……」
目の前の誘惑、ことサモナーをチラリと見れば、眉間にシワを寄せて笑う当人の姿がある。
「仕事し始めたら早いでしょ? あいつ」
「だから普段はサボってもいいと?」
「わあ、笑みが怖い。そうは言わないよ。毎日少しずつ片付けるのが正当だし理想だよ」
でもなあ、とサモナーは逃げている彼のことを思い起こした。
テスカトリポカはループの記憶を持っている。たまにばらまいてくる。迷惑な話だ。
過去のループで同じ書類を見たことがあったら。
同じ作業を何度もしたことがあったら。
そりゃあ、後でいいや、ともなろうというもの。
読まなくとも内容は頭に入っているのだから、確認もせず判を押しても問題ないし、どうせ期日までに間に合う、という保証もあるのだ。
それを、目の前の八犬士に言っても、仕方ないことだろうが……。
「まあ、子供みたいっていうのは同感かな」
サモナーは突然訪れて上司の居場所を聞いてきた客人に、茶を出しながらそう答えた。
「特にぬいぐるみの時」
嫌だ嫌だ、と盛大に駄々をこねるぬいぐるみを見たことがあるだろうか。大人げないというか、大人の自覚を放り捨てているというか。
茶をすするタネトモは、存外良い茶葉を使っていることに驚きつつ、深く頷いて同意を示した。
「精神が器に引きずられる方ですからね」
茶請けとして出されたクッキーをボリボリムシャァと乱暴に咀嚼しながら、タネトモは頭から湯気を出す。能面スマイルではないあたり、腹の底からの怒りではないようだ。
「最前線指揮官の無茶振りに何度振り回されたことか! あの御方は欠けるを尊び、失うを是とするところがありますけど、それを部下にまで押し付けないでいただきたく!」
割りと高級なクッキーだったのだが、愚痴と共に容赦なく飲み下されていく。
「押し付けてるっていうか、エルドラドでは過半数がそう だったから、総意を代行する者として当たり前に振る舞ってるんじゃないかな」
「それは……ええ、そうでございましょう。しかし、度が過ぎれば……お分かりでしょう?」
にこりと微笑んだ犬士に、サモナーも微笑み返した。若干ひきつっていたから、鏡合わせとはいかなかったが。サモナーとて、テスカトリポカの肩をいつまでも持つわけではない。
「というか学生寮の窓ぶち壊して来るの、なんとかしてほしいんだけどさ」
「弁償しておりますし、そこは穏便にお願いいたしますね、サモナー様」
「穏便にって」
「正直に言いますと、サモナー様がいらっしゃる学生寮の窓を壊し始めてからというもの、学園軍獄での器物損壊が減ったのです」
どれだけ暴れたのだ、あの男は。
「軍獄にはガラス以上に値の張る品物もございますし……窓ガラス程度で抑えられるなら、それに越したことはない、というのが我々の見解です」
上司が上司なら部下も部下だ。
ああー、と項垂れるサモナーを、扇子で口を覆うタネトモが笑いながら見ていた。
「テスカのいいところって無いの?」
何の気なしに口にしたサモナーに、タネトモの驚愕した表情が返る。
まあ、と口に扇子を当てて大仰に言うタネトモは、その驚きように驚いている高校生に返した。
「あるとお思いで?」
「……容赦ないね」
「戦闘の最中は常に最前線に身を置いていらっしゃいますが、参謀である私まで最前線に立たなければならないので、正直に言って引っ込んでてもらいたいものですし」
小さく噴き出すサモナーに、参謀は澄まし顔だ。
「とにかくトラブルを引き連れてお帰りになるところなど、いい加減にしていただきたい」
本当に容赦なく言ってのける。
「この間はレーションが口に合わないという理由で、新しいレーションの開発をする、と主張して仕事をすべて中断する始末」
「あはははっ!」
「笑い事ではありませんよ、サモナー様」
確かにそうだ。笑い事ではないのだろう。しかし、サモナーは声を上げて笑った。
小さく手まで叩いてクスクス笑うものだから、タネトモは不気味そうに見ていた。
「遠慮なくディスれる相手なんだね、テスカって」
「遠慮してほしいとは言われておりませんから」
不平不満を遠慮なく口にできる上司と部下の関係というのは、なかなか貴重かもしれない。
「そういうサモナー様はいかがですか? 最前線指揮官に対する印象は」
すっかり冷めた茶を飲み干して、タネトモは問いかける。その視線は、逃げるなど許さない、とでも言っているかのようである。
タネトモは喋り尽くしたのだろう。テスカトリポカに関する印象を、そして心象を。
温かい茶を新たに淹れながら、サモナーは、うーん、と唸り声を上げた。
「とりあえず嫌いではないかな」
「傷だらけになるまで徒手空拳で喧嘩をなさるくらいですからね」
「それは、まあ、自分のことを対等に見てくれるから、こっちも付き合わないと失礼かなって」
笑うサモナーの顔が楽しそうなのは、きっと最前線指揮官に見下されたことがないからで、最前線指揮官の冷たい表情を見たことがないからだ。
あなたは、あのごきょうだいを、どれほど慕っておられますか? 戦争の煙くすぶる彼を、どこまでご存じで……。
そう、問おうとしたときだ。
「きょうだい! 第二回戦といこうじゃ……あっ」
セーフハウスの窓をガラッと開けたテスカトリポカと目があったのは。
「……お帰りなさいませ、最前線指揮官。なにか言うべきことがおありなのでは、ありませんか?」
とりあえず荒縄が役に立った、そんな午後。
「あの御方をどこへやりました?」
それに返るのは沈黙と、サモナーの小さな苦笑い一つだけだった。
今日も今日とて仕事をしない。
軋む義体を器用に使いこなし、ぬるりと書類整理の場から姿をくらます我らが最前線指揮官に、参謀であるタネトモの顔には穏やかかつ冷ややかな笑みが張り付いていた。
ヤスヨリが「ヒエッ……」と言うくらいだから、間違いなくタネトモは不機嫌である。
連れ戻したら椅子に縛り付け、無理矢理仕事をさせるつもりなのがよく分かった。いつもそうなのだ。最前線指揮官はそこまでしないとやらない。
仕事をサボることに罪悪感も無さそうなのが、部下たちの頭を痛める要因になっていたが、最前線指揮官ことテスカトリポカはお構い無しに遊びに行ってしまうので、部下たちのほうも鍛えられて(?)おり、だいたいどこにいるかの見当をつけられるようになっていた。
喜ばしい成長なのかは知らない。
テスカトリポカからすれば愉快な成長に見えるかもしれないが、タネトモを筆頭にした「仕事してほしい部下ーズ」にとっては悩ましい。
一日のルーティンに「脱走した上司の捕獲」があるかないかで、仕事のしやすさが見違えるほど変わるのだから。ないほうが良いに決まっている。
だから捕まえに行くのだ。
荒縄は持ったし、猫を入れるケージも準備した。
いざ、行きそうな場所へ。
傷だらけのサモナーを前に、タネトモは扇子をパチンと閉じて口を開いた。
「あの御方をどこへやりました?」
それに返るのは沈黙と、サモナーの小さな苦笑い一つだけだった。
出会った時には既に傷だらけだったのだ。
テスカトリポカと一戦交えたか何かしたのだろう。そう見当をつけて尋ねれば、アプリ展開せずにステゴロでやりあったという。
脳筋。
その一言が喉から出かかったのを堪え、タネトモは次に問いかけたのだ。
「あの御方をどこへやりました?」
と。
答えはシンプルだった。
「一時間前にどっか行ったよ」
自由気ままな太陽神は、まるで時間が立てば太陽の位置も変わって当たり前だというかのごとく、サモナーとの喧嘩に満足して空へ飛び立ってしまったらしい。タネトモから盛大なため息が漏れた。
最前線指揮官は、そういう御方だ。
分かってはいても、こうも振り回されると。
「急ぎの仕事でもあるの?」
目の前の高校生に問われ、長い髪をまとめた八犬士の一人は小さくため息をつく。
「急ぎではない仕事はありませんよ」
仕事とは、あらゆる物事に締め切りが存在するものだ。急遽片付けなければならない仕事が入ったわけではないが、それでも恒常的にこなさなければいけない作業は山のようにある。
蔑ろにしていいことなど無い。
「最前線指揮官は……まるで子供のようでいらっしゃる。溜め込んで泣きを見るのはご自分でしょうに、無邪気に目の前の誘惑を優先なさるものですから……」
目の前の誘惑、ことサモナーをチラリと見れば、眉間にシワを寄せて笑う当人の姿がある。
「仕事し始めたら早いでしょ? あいつ」
「だから普段はサボってもいいと?」
「わあ、笑みが怖い。そうは言わないよ。毎日少しずつ片付けるのが正当だし理想だよ」
でもなあ、とサモナーは逃げている彼のことを思い起こした。
テスカトリポカはループの記憶を持っている。たまにばらまいてくる。迷惑な話だ。
過去のループで同じ書類を見たことがあったら。
同じ作業を何度もしたことがあったら。
そりゃあ、後でいいや、ともなろうというもの。
読まなくとも内容は頭に入っているのだから、確認もせず判を押しても問題ないし、どうせ期日までに間に合う、という保証もあるのだ。
それを、目の前の八犬士に言っても、仕方ないことだろうが……。
「まあ、子供みたいっていうのは同感かな」
サモナーは突然訪れて上司の居場所を聞いてきた客人に、茶を出しながらそう答えた。
「特にぬいぐるみの時」
嫌だ嫌だ、と盛大に駄々をこねるぬいぐるみを見たことがあるだろうか。大人げないというか、大人の自覚を放り捨てているというか。
茶をすするタネトモは、存外良い茶葉を使っていることに驚きつつ、深く頷いて同意を示した。
「精神が器に引きずられる方ですからね」
茶請けとして出されたクッキーをボリボリムシャァと乱暴に咀嚼しながら、タネトモは頭から湯気を出す。能面スマイルではないあたり、腹の底からの怒りではないようだ。
「最前線指揮官の無茶振りに何度振り回されたことか! あの御方は欠けるを尊び、失うを是とするところがありますけど、それを部下にまで押し付けないでいただきたく!」
割りと高級なクッキーだったのだが、愚痴と共に容赦なく飲み下されていく。
「押し付けてるっていうか、エルドラドでは過半数が
「それは……ええ、そうでございましょう。しかし、度が過ぎれば……お分かりでしょう?」
にこりと微笑んだ犬士に、サモナーも微笑み返した。若干ひきつっていたから、鏡合わせとはいかなかったが。サモナーとて、テスカトリポカの肩をいつまでも持つわけではない。
「というか学生寮の窓ぶち壊して来るの、なんとかしてほしいんだけどさ」
「弁償しておりますし、そこは穏便にお願いいたしますね、サモナー様」
「穏便にって」
「正直に言いますと、サモナー様がいらっしゃる学生寮の窓を壊し始めてからというもの、学園軍獄での器物損壊が減ったのです」
どれだけ暴れたのだ、あの男は。
「軍獄にはガラス以上に値の張る品物もございますし……窓ガラス程度で抑えられるなら、それに越したことはない、というのが我々の見解です」
上司が上司なら部下も部下だ。
ああー、と項垂れるサモナーを、扇子で口を覆うタネトモが笑いながら見ていた。
「テスカのいいところって無いの?」
何の気なしに口にしたサモナーに、タネトモの驚愕した表情が返る。
まあ、と口に扇子を当てて大仰に言うタネトモは、その驚きように驚いている高校生に返した。
「あるとお思いで?」
「……容赦ないね」
「戦闘の最中は常に最前線に身を置いていらっしゃいますが、参謀である私まで最前線に立たなければならないので、正直に言って引っ込んでてもらいたいものですし」
小さく噴き出すサモナーに、参謀は澄まし顔だ。
「とにかくトラブルを引き連れてお帰りになるところなど、いい加減にしていただきたい」
本当に容赦なく言ってのける。
「この間はレーションが口に合わないという理由で、新しいレーションの開発をする、と主張して仕事をすべて中断する始末」
「あはははっ!」
「笑い事ではありませんよ、サモナー様」
確かにそうだ。笑い事ではないのだろう。しかし、サモナーは声を上げて笑った。
小さく手まで叩いてクスクス笑うものだから、タネトモは不気味そうに見ていた。
「遠慮なくディスれる相手なんだね、テスカって」
「遠慮してほしいとは言われておりませんから」
不平不満を遠慮なく口にできる上司と部下の関係というのは、なかなか貴重かもしれない。
「そういうサモナー様はいかがですか? 最前線指揮官に対する印象は」
すっかり冷めた茶を飲み干して、タネトモは問いかける。その視線は、逃げるなど許さない、とでも言っているかのようである。
タネトモは喋り尽くしたのだろう。テスカトリポカに関する印象を、そして心象を。
温かい茶を新たに淹れながら、サモナーは、うーん、と唸り声を上げた。
「とりあえず嫌いではないかな」
「傷だらけになるまで徒手空拳で喧嘩をなさるくらいですからね」
「それは、まあ、自分のことを対等に見てくれるから、こっちも付き合わないと失礼かなって」
笑うサモナーの顔が楽しそうなのは、きっと最前線指揮官に見下されたことがないからで、最前線指揮官の冷たい表情を見たことがないからだ。
あなたは、あのごきょうだいを、どれほど慕っておられますか? 戦争の煙くすぶる彼を、どこまでご存じで……。
そう、問おうとしたときだ。
「きょうだい! 第二回戦といこうじゃ……あっ」
セーフハウスの窓をガラッと開けたテスカトリポカと目があったのは。
「……お帰りなさいませ、最前線指揮官。なにか言うべきことがおありなのでは、ありませんか?」
とりあえず荒縄が役に立った、そんな午後。
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