夏の小さな恋物語
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名無しさんはまだ幼いのに。
「へえー!名無しさんすごいですね。」
「えへへー♪」
──金魚掬いがものすごく上手だった。
いいとこ取れて2、3匹くらいなのに。その5、6倍くらい取ってしまった。
手提げに入った金魚を受け取り、それからしばらく歩いていったところでようやく名無しさんと僕は我に返った。
「…あっ、宗次郎どうしようこれ…」
「名無しさん持って帰れないですよね…お店の人に頼んで返しましょうか…」
そう言って引き返そうとした時だった。
「もしもし、志々雄さん?」
「…えっ?」
思わず固まる。
「えっ、携帯電話とかありなんですか?その設定はさすがに…あれ?」
もしもし、と話し出した名無しさんが持つものは…紙コップだった。
コップの底に糸が付けられてそれが向こうの方の茂みにまでピンと張り詰められてて…
しばらくして、名無しさんはこちらを振り返ってにこっと笑った。
「…宗次郎、大丈夫!!志々雄さんが預かって育ててくれるって!」
「一体いつから糸電話持ってたんですか。しかも糸がすごく長い。」
「なんか志々雄さんがくれたの!」
それって一部始終、監視されてるんじゃ…
「ね!宗次郎、“けーたいでんわ”ってなに?」
「なんでもありませんよー。あ、あっちで射的やりましょうか~。」
「はーい♪」
その後はたこ焼きやえびせんを食べたり、輪投げで遊んだり、小物屋で名無しさんに人形を買ってあげたり、色々な屋台を巡っていった。
──しばらくして休憩がてら大きな石段に座り、花火が始まるまでの時間を二人で過ごすことになったのだが。
名無しさんは少し静かになっていた。疲れてしまったのかな…と彼女の様子を伺いながら調子を合わせていたのだけど、
「宗次郎。」
「はい…?」
「私、帰りたくない…」
ぎゅうっと抱きつき寄りかかる名無しさん。
そっとその肩に手を置いた。
「…名無しさん、林檎飴食べます?」
「…いつから持ってたの…?」
「まあまあ♪おいしいもの食べると少し落ち着きますよ…?」
「……」
「いりませんか?僕とお揃いなんですけど…」
「…ぐすっ、ちょうだい。」
少し腑に落ちないという色を浮かべつつ名無しさんは林檎飴をそっと手にした。
「…あまい。おいしい。」
「ね?おいしいですよね♪」
「うん。」
強張っていた表情が微かに落ち着いたように緩やかさを取り戻したのを見計らって。
名無しさんの頭を優しく撫でた。
「!」
「名無しさん…帰りたくないんですね。」
声を一瞬詰まらせるも、名無しさんは再び飴を味わう。何かに耐えるように。
可愛らしく整えられてる髪を崩さないように注意して名無しさんの頭にぽんぽん、と手を乗せる。
「でも…お母さんやお父さんやお友達に会えなくなっちゃいますよ?」
「…それはそう、だけど…」
「名無しさん。僕はずっと名無しさんのこと好きですよ。少し離れてても名無しさんのこと忘れたりしません。」
「ほんと…?」
「はい。だから…安心して…」
「でもさみしい…ここにいれば毎日宗次郎といれて、一緒にお出かけできたり、おいしいもの食べたりできて…」
「……寂しい、か。」
今までのあっけらかんとした様子とは別の口調に気付いたのか、思わず顔を上げてくる名無しさん。
「宗次郎…?」
「…ちょっとだけ、変な話しますね…?」
まっすぐ見上げてくる清みきった瞳を優しく見下ろして呟くと、こくん、と首を縦に振った。
「実はね、名無しさんにはこんなこと話さない方がいいんじゃないかなって迷ったんですけど………僕はあまり寂しいとか、普段感じないんですよね。冷たい人間だなって思われそうだけど。」
「……そっか。」
「でも名無しさんは、違いますよ。」
静かに、けれど確かな微笑みを彼女に向けた。
「名無しさんといると…なんだろう、あったかい気持ちになれます。僕にないものたくさん持っていて、すごいなぁと思います。なんでも一生懸命で、何にでも挑戦して。」
「……そう、かな?//」
「ええ。」
照れるように頬を染める名無しさん。
「…だから、名無しさんが帰ってしまうのはすごく寂しいです。」
「…宗次郎も、そう思ってくれてるんだ!じゃあ…!」
弾む声を遮るように、速やかにだけどそっと、唇の前に人差し指を立てて彼女に囁きかけた。
「……?」
「でもね…名無しさんにとって、元のおうちにいることは大切なことだと思いますよ。」
「えっ。」
「寂しい思いや悲しい思いもするかもしれません。」
「……」
「でも、帰る場所は大切にしてください。そういう場所があって、そこを大好きだと思っているのなら。」
静止した彼女に、安堵させるかのように微笑みかけた。
「…あ。名無しさん、花火が始まるみたいですよ。」
「わっ!ほんと!?」
「あ…」
打ち上げられた大きな花火。
きらきらと輝く瞳をした名無しさんの顔が照らされている。
「うわーっ!おっきい!!」
「迫力ありますねぇ。」
「わ、またっ!…わあぁっ!」
感嘆をつく名無しさんを見ながら──彼女の気持ちを少しは晴れやかにさせられたかな。そんなことを思った。
…奇しくも、こうして何かしらの縁は結ばれているのだけれど、所詮は名無しさんとは生きる道が違うわけで。
歳の隔たりもある。けれども、そのことだけではない──僕は名無しさんの家族でも親戚でも、仲間でも友達でも、何でもない。そのことに比例するかの如く、名無しさんに与えられるものは何も持っていない。
だからせめて…名無しさんが健やかに、幸せに育ってくれることを願おうと思う。あたたかさ、優しさのある彼女の世界の中で…
「宗次郎っ。」
「はい?」
「私、ちゃんと帰るね!」
「…そうですか。」
「ね?私、いい子でしょ?」
「ええ、偉いです。」
よしよし、と頭を撫で擦る。
すると──名無しさんは照れながら、そして、にかっと笑った。
「また、宗次郎のところにも帰ってくるね。」
思わず止まる手。
「だって、宗次郎が大好きだから!由美さんも志々雄さんも大好きだから!だから、またきっときっと帰ってくるね!」
「名無しさん…」
「おうちもだけど…。宗次郎も、私が帰りたい場所だから!」
…本当に、この子は。
自分の知らないことや、思いもよらないことばかり。
「…ふふ、大好きですよ、名無しさん。」
名無しさんは嬉しそうに笑ってくれた。
僕も一緒に笑った。
そんなある夏の小さな物語。
『ばいばい!絶対また来るね!』
宗『ええ、待ってますよ。』
由『次はお正月休みかしらね。元気でね。』
『あ、えっと志々雄さん!』
志『金魚なら任せとけ。立派な水槽に立派な国を作っておいてやるよ。』
『わーい、ありがとう!志々雄さん大好き!』
志『感無量』
『でも、宗次郎はもーっと好き!』
宗『あはは、ありがとうございます。…あ、痛いですよ志々雄さん。え、ちょっと。』
『じゃあね♪ありがとーう!』
END
ご精読、誠にありがとうございました。
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