〈第一章〉出逢い編
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「お待ちしていました。瀬田宗次郎と申します。」
柔らかな物腰で宗次郎は微笑む。
流れた夜風に棚引き、青い着物と漆黒の髪が乱れるも、彼は少しも表装を崩さなかった。
(瀬田宗次郎…)
「今日は遥々、ありがとうございました。」
「…あなたよね?」
挨拶も余所に彼を真っ直ぐ見つめ、確信的に呟く。
青年は笑顔を浮かべたまま彼女を見返した。
「何の話です?」
「私の周りを嗅ぎ廻っていたのは。」
この青年には見覚えがあった。
東京での雑踏の中、捉えた後ろ姿。
幾ばくもなく人波に飲まれて見失ってしまったが、その光景を蛍は昨日のことのように思い返していた。
蛍は懐から文を取り出す。
それを一瞥した彼は、ああ、と感嘆の台詞を零した。
「僕です。御明察ですね。」
「冗談を。」
「でも、嗅ぎ廻ってただなんて心外だなあ。」
とても気分を害したり感情が昂ぶっているようには見えないが。
そんな蛍の気持ちを知ってか知らずか、彼は続ける。
「さすがに浜坂さんのお仕事場へは行けませんでしたから。」
「でしょうね。」
「お手紙を渡したのは事実ですけど。」
「でも、直接渡したってことは尾行してたってことよね?」
「それはまあ…ごめんなさい。」
にこにこと話す様に蛍は訝しみに囚われる。
「やはりただの坊やじゃなさそうね。」
「すみません、悪気はないんですよ。」
「…で?私はどうすればいいわけ?」
「ああ。そうですね、それが本題なんですよ。」
刹那、蛍は抜刀していた。
耳を劈くような音が静かな闇に冴え渡る。
「…さすがですね。」
「見かけによらずせっかちね。」
白刃を剥いた刀は二本とも互いに斬り掛かり、互いに斬擊を受けたのだった。
「そう簡単にお命頂戴とはいかないわけですか…」
「随分と大きな口叩いてくれるじゃない。」
「いやぁ、お見逸れしましたよ。」
宗次郎は微笑みを浮かべたまま刀を鞘に納める。
蛍は彼の奇妙な点に口を閉ざす。
「やだなぁ、警戒しないでくださいよ。もう斬り掛かったりなんてしませんから。」
「…さっき、あなたから何の気配も感じなかった。」
何度も血を浴びたであろう刀を取った筈なのに。
何度も血を見たであろう眼をこちらに向けたのに。
青年からは“殺気“も”闘気”も感じ取れなかった。
「あなた、何なの?」
「?」
「まるで…」
──自分と同じく、感情が欠落しているかのよう。
そう蛍は感じていた。
「何を考えているのかはわからないけど、そんなに堅くならなくていいと思いますよ。僕はただ、」
「浜坂さんに一目会いたかっただけですから。」
「…そう。」
にこりと微笑みかけられた。
月が雲に隠れていく。
互いの姿も再び闇の中に溶け込もうとしていた。
「…それじゃあ、僕はそろそろお暇することにします。」
「…」
「また時期を見て会いに行きますから。」
「会えるかしらね。」
「きっと出迎えてくれますよ。」
真っ直ぐな瞳が射抜くように蛍の瞳を見つめる。
「僕、蛍さんに興味があります。」
無邪気に笑いかけられた。
黒い眼は蛍の姿をしかと映し出す。
「よろしくお願いしますね。蛍さん。」
──
「…変な子。」
時が来るまでは今まで通りということだろう。
宗次郎から託された件の文を想起する。
『十一月十五日の子の刻、桜木橋にて貴女を待つ。
志々雄真実』
(あの時の契約…)
──
やがて身を翻し、彼女は夜の東京、洋風街灯が仄かに街を照らすところへと身を運ぶのであった。