〈第二章〉東京編
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「…東京の街に散歩に出るなんてね。」
街に出た蛍は一人呟く。
(…そろそろお昼時だし、食事にしましょうか。)
通り掛かった店『赤べこ』に入っていった。
「いらっしゃいまし。どうぞこちらへ。ご注文は何になさいます?」
「鮭定食で。」
「はーい、ありがとうございます。」
暖かい笑顔の店員さんだな、と思った。
料理が来るのを待っていると、新たに客が来た。
(お昼時だものね。)
特段何の意識もなく、視界が捉えたその時。客の一人を見て蛍は固まった。
──小柄で長髪。
腰には一本の刀。左頬には十字傷。
先日、彼の名は調書にて確認したばかりだった。そう、緋村剣心。昔の名は人斬り抜刀斎──
(……!)
思わず息を殺すが、偶然にも、何気なく蛍の方を向いた緋村抜刀斎と目が合ってしまい、しまったと悟った。
だが──
「…おろ?」
「…へ?(抜刀斎が“おろ”って…?)」
「……」
「…あ、すみません。」
ふわりとこちらを見つめる視線に、なんとなく頭を下げるも。
知り得ていた人物像と眼前の人物の印象があまりにも一致しないことに蛍は少々困惑した。
(…抜刀斎よね…?)
幕末の京都で暗躍し、多くの要人を殺害、その強さと冷徹さから恐れられたと云われる人斬り抜刀斎。そして、朗らかと言える雰囲気のこの人物。
だが、蛍には到底人違いとは思えない理由があった。
──その時だった。
「剣心…?知ってる人?」
緋村の背後からひょっこりと、若い女性が顔を覗かせた。
(あの子は…抜刀斎の連れ?)
もう一度それとなく彼の全貌を眺めるが、
(やはりこの人は緋村剣心。だけど…)
帯刀こそしているものの、穏和な物腰、柔和な表情には殺気が微塵も感じられない。そして傍らには、明らかに一般人の町娘…
(もしかして今は人斬りではないの?雰囲気がまるで違う…)
「あの…」
蛍は彼に呼び掛けられる。
「何処かで、拙者と会ったことはござらんか?」
蛍は少しばかり息を飲む。
逡巡した後にやがて応えた。
「…はい。以前にお会いしましたよね、緋村さん。」
──京都のとある料亭。
出逢いはいつだったか。邂逅したあの日、蛍はまだ十程の齢だった。
「…浜坂蛍と申します。」
剣心は目を見開いた。以前会った少女の記憶を思い出したのだろう、あらためて蛍の顔貌を見つめる。
「蛍殿か…!」
「ええ…お久しぶりです。」
それ以上言葉を紡がず、二人は視線を交わす。
交わされた会話が気になり、また沈黙に耐え切れなくなった薫はおずおずと尋ねた。
「…あの、剣心。浜坂さんとは一体…?」
「そうだな…古くからの知人でござるよ。」
「…ええ。」
またもや沈黙に包まれる二人を交互に眺め、訝しがるとまではいかないが、少しだけ不安げな顔をする薫に蛍は諭すよう言葉を掛けた。
「緋村さんとは維新の動乱期に知り合いました。お互いの立場柄。」
「…立場柄…?」
「緋村さんと同じ生業だったんです。」
薫ははたと動きを止める。
「彼女も人斬りだった。」
剣心は静かに語る。その事実に薫は驚いた。
蛍は移り変わりのない表情のまま「立ち話も何ですから」と座敷へと二人を誘った。
「蛍殿…東京に流れていたとは…。お主は今は?」
「もう時代は流れて明治になりましたが…今は人斬りではありませんが、この世界での仕事を続けています。」
「左様で…」
「…緋村さんはどうしてその刀を?」
そう、以前の彼ならいざ知らず、今の彼の醸し出す雰囲気とは不釣り合いな刀の理由。
…人前から姿を消した彼に、未だに依頼をしようと明治政府は探索し続けているが。
彼は未だ、人に知れず世に知れず前線で戦っているのだろうか。
「……」
剣心は提げた刀を少し引き抜き、現れた刀身を蛍に見せる。
蛍は目を瞬かせた。
「逆刃…ですか?」
「ああ。拙者は今は“不殺”の下、この時代の人達を守るために刀を振っている。」
「…人斬り抜刀斎も変わったものですね。」
蛍の脳裏には一つの記憶が風景のように映し出される。
──闇と静寂に包まれた回廊の中。閉め切られた部屋の中は一切窺えない。
ぴたりと閉じられた障子を通して差す仄かな光源が、蛍の隣に佇む彼、抜刀斎の顔を微かに照らし出していた。
まだ背の低かった蛍は、己の頭の高さより更に上へと視線を辿らせ、彼の姿を眺める。自身を見つめる蛍に、彼は穏やかな表情を浮かべていた。
「……いえ、変わってはいませんか。貴方は幕末から市政の人々のために闘ってきた…その心構えは立派です。」
蛍は暫し遠くを眺めるように視線を逸らした。
「…ですが。」
「?」
「……いえ、何でもありません。では、私はこれで。」
蛍は剣心と薫にお辞儀し、席を立った。
「…また会えればいいでござるな。」
「ええ…その時を楽しみにしてます。」
蛍は会釈し、そして彼らの元を去って行った。どこか柔らかな仕草だと剣心は感じた。
「剣心…蛍さんって…」
「…彼女も政府の暗部に携わっていたが、争いの世を終わらせるために活躍していたんだ。」
「そうなんだ…」
「ああ…」
去り行く後ろ姿、たゆたう漆黒の髪を見つめ、剣心は思わず心の中で彼女に問う。
──君は幸せになれたのかと。