〈第二章〉東京編
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老人を見送った蛍は、中心街から少し離れた一件の家を訪れた。
其処はどうやら刀鍛冶屋のようだった。彼女との距離を保ち、彼女が屋内に入ったことを確認して宗次郎は中の様子を窺い始めた。
「こんにちは。お世話になります。」
彼女の声が木霊する。
「蛍ちゃんか。刀ならもう直ってるよ。」
「たしかに…ありがとうございます。」
金属を加工する音が止み、火が小さく弾ける音と共に少し年配の男の声がした。
鞘を抜いたのか、鍔鳴りの音が聞こえてくる。
「やはり綺麗な仕上がりですね。いつも助かります。」
「…蛍ちゃんの仕事のことはよく知らないけど、まだ続けるんか、今みたいな仕事。」
「はい。」
「口を出すつもりじゃないが、こんなに気立てが良くて器量好しなのに勿体ない。」
「そうでしょうか…」
暫く刃に指をなぞらせ想いを馳せるように眺めていた彼女だったが、静かに言葉を繋ぐ。
「でも、自分なりに出した答えがこの生業ですから。」
「…誰かいい人とかは?」
壁を隔てた背後で交わされる会話に宗次郎はいつしか意識を集中させていた。暫しの沈黙の後、やがて蛍は開口する。
「…女性として生きる道にも憧れはありましたけど。」
──彼女は今、どんな表情をしているんだろう。
「もう遠い過去の話…けじめはつけてます。自分の意思を全うさせることが全てですから。」
必要以上に抑揚を持たない穏やかな声が響く。
宗次郎は無言で様子を伺い続けるも、ほんの少しのわだかまりを抱く。
(…蛍さんは…それが望みなのかな。)
「蛍ちゃん若いのになぁ…!いい人いたら俺が紹介するから…!」
「あの、話聞いてました?」
蛍の言葉に宗次郎は思わずくすりと笑った。いつもの彼女だ。
だけど、そうは思ったものの、彼女も思い悩むことがあったのかもしれない…そう考えると少し複雑な気持ちになった。
「…なんだか、」
我に返った宗次郎は静かに呟いた。
夕焼けの街。青空の下で見続けた彼女の日常を思い返していたが、彼はその呟きに続く言葉を見つけられなかった。
後ろを振り返ると、眼下には先程目にしていた桜の木々が溢れる道。
微かな風に吹かれ、首筋にひんやりとした冷気を感じる。
望遠鏡で最後に見た蛍の横顔を想起する。
坂の下りには未だ人が多く行き交っているが、きっと蛍はとうに行ってしまい、見えなくなってしまったことだろう。
彼の笑顔は少し憂いを帯びたものに見えたかもしれない。
彼女は近所の人、買い物で行った先で関わる人、偶然出会った人──任務の外で接する人全てには強者の顔をしていなかった。
──こう言っては少し語弊があるかもしれないが、彼女は自分と同じように生きているものと思っていた。
生い立ちや思考こそは違うが、同じ理を悟り、それ故に同じ強さを持ち合わせ生きている。そう思っていた。
だが、様々な人に触れる蛍は自分の思っていた彼女とは少し違っていた。
失望といった気持ちはなかったが、やはり彼女に対する好奇心は消えはしない。
その事実は彼を──憧れてはいけない、知ってはいけない──まるで禁忌に触れたような気分にさせた。
橙色と薄紫色が混じり合う日没の青空。
遠い目をしながら、彼は絶やさず微笑みを浮かべていた。
──蛍は帰路に続く道を真っ直ぐ進む。
桜の木々の道を抜けると、頭上にかかる空は夕焼けに包まれており、東の空の果ては暗く重たい色で漂っていた。眼前には街灯の灯り出した街並みが連なっている。
その光景を眩しいものを見つめるかのように眺めていた。
やがて彼女は先を急ぎ出した。