〈第二章〉東京編
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「あんまり顔に出ない性質なんですよ。気に障ったのならごめんなさい。」
そう言った蛍の姿が宗次郎にとっては印象的だった。
興味がある──彼女に対して最初にそう思ったのは出逢った時だった。だけど彼女の一面を見る度に、その思いは募る気がした。
「…やっぱり優秀な動きだったなぁ。」
望遠鏡を覗きながら宗次郎は呟いた。さらさらとした黒髪が風に棚引く。
陽が暮れ始めた街の中、彼はその光景を見つめていた。
春の兆しが芽吹き始めるも、まだ肌を刺す冷たさが続く時分。坂道に続く桜の木々の蕾は僅かに膨れてはいたが、咲く気配は未だないのが見て取れた。
その景色の中、人波の間を闊歩していくのは言わずと知れた彼女、蛍。
「……」
レンズ越しに彼女の横顔を確認したのを最後に宗次郎は踵を返した。同じ頃、蛍も人波に紛れ消えていった。
(力量は申し分ないけど……まあ、それならいいか。)
──宗次郎は少し思う。
何が彼女を今の道に誘ったのか。そして彼女は何故強さを、それも志々雄が認めるだけの強さを得たのか。
その回答は未だ得られなかった。彼は今日の出来事を回想する。
──その日。宗次郎は蛍を尾行していた。
目的は数々あるが、彼女の行動範囲を探ること、彼女が関わる内務省での任務についての情報を収集することが主であった。
白昼を幾何か過ぎて街中に出た彼女を追っている中、視界の隅に入った光景にふと視線を取られる。
見ると、一人の老人が覚束ない足取りで立っていた。どうやら往来の道を渡ろうとするが、幾つかの馬車が行き交い、なかなか進めないでいるようだった。
感情を持ち合わせない宗次郎の眼は再び蛍の方を捉えようとしていたが、直後生じた異変に思わず、あれ?と呟いた。
(…蛍さん?)
些か早足で老人の方に向かう蛍。どうしたのだろう、と宗次郎は目を丸くする。
老人の元に訪れた蛍は話し掛けた。
「こちらの方が安全に渡れますよ、一緒に行きましょう。」
普段と変わりない表情で蛍は平静にそう言った。
(へーえ…人助けなんてするんだ。)
宗次郎の驚きも余所に、一言、二言と丁寧に話し掛け、彼女は老人の手を引いていく。
他の歩行人も多く待つ地点に立ち、馬車が途絶えるのを待ってから、一緒に歩き出した。
「ありがとうね、お嬢ちゃん。」
「いいえ。」
表情を変えないまま頷く蛍。
その後、何の気なしに言ったのだろう、老人が掛けた言葉に彼女は少し目を瞬かせた。
「余計な世話かもしれんけど…お嬢ちゃん、別嬪なんだからもっと笑った方がいいよ。」
「そうですか。」
ぽつんと響く彼女の声。彼の言葉を噛み締めているのか、彼女はそこで一度言葉を切った。
「実は、あんまり顔に出ない性質なんですよ。」
澄んだ声色を発する唇はやはり笑みの形をかたどらない。そう発した彼女が何を思っているのか、宗次郎には読み取れなかった。
「気に障ったのならごめんなさい。」
「そうか…苦手なんかぁ。少しでもなれるといいなぁ。」
老人はにっこりと笑いかけていた。それに応える蛍は宗次郎には少しだけ、穏やかに見えた。
「ええ。」
「ありがとう、お嬢ちゃん。」
「いいえ、お気を付けて。」
静かに老人を見送る蛍。その表情にはやはり変化はなかった。
宗次郎は心奪われたように一連の所作を眺めていた。
その光景が何故か心に残っていくことに彼は気付き始めていた。