〈第二章〉東京編
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「…頭痛い。」
蛍は溜め息をつく。その彼女に相対するのは、
「どうしたんです?蛍さん。」
「あんたのせいでしょ…」
目の前で微笑んでいる宗次郎。彼の行いに平静を装い切れない彼女は彼を半ば睨みつける。
「酷いなぁ。せっかく会いに来たのに。」
「…うるさい。」
蛍は声を荒げ、額を抑えた。
というのも、関われば関わるほど宗次郎のことが掴めないから。それも理由の一つではある。
主たる理由は…
彼女は視線を巡らせて辺りを見渡し、戸口に立つ彼に小声で呟く。
「…とりあえず密偵に見つかると元も子もないから。突っ立ってないで入ってちょうだい。」
「わあ、お招きありがとうございます♪」
「断じて招いた覚えはないわ…!」
──突然の来訪者である彼。蛍は屋内に押し入れるように彼の背中を押した。
此処は蛍の住居であった。内務省諜報を行う便宜上、彼女は省庁の傍に住まいを移したのである。
専ら寝食を行う場としての使用であり、要人はおろか他人を招き入れるつもりは毛頭なかったのだが…
「お邪魔しまーす。」
にこやかな表情を浮かべる宗次郎。ぴしゃりと戸を閉めた蛍は呆れたように彼を眺めた。
「全く…あんたに教えるんじゃなかったわ…もし政府関係者にあなたが出入りするのを見られでもしたら…!」
「僕は恐らく一般人としか思われないですよ。志々雄さんとの繋がりを示すものはありませんから。」
彼は両手をひらひらと振るように動かした。確かに今日は帯刀こそはしていないようだが、それはさして重要なことではないと蛍は思わず心の中で呟いた。
しかし、宗次郎は無頓着なようでにこにこと微笑む。
「…もしかしたら、蛍さんの恋人に思われるかもしれませんね♪」
「……」
「蛍さん、たぶん殺意丸出しになってますよ。あ。これつまらないものですけど、お土産です。」
「…あなたわざと来てるわよね?」
蛍は鋭い視線を向け、彼を指差す。
「…余程のことがない限り、此処には来ないでって言ってあるでしょ?報告は付近の兵に調書を渡せば済むし、直接面会の必要があれば私から出向くと最初に言ったはずよ。」
「…」
「あまり掻き乱すのは頂けないわね。」
「別に蛍さんに迷惑掛けてるつもりじゃありませんよ。蛍さんに大事な用事があって、それで“たまたま”近くに寄ったものですから。つい。」
ぽりぽりと頭を掻く彼。「ね?」とでも言いたげに視線を向けられる。
「…差し詰め私の監視役ってことね…まあいいわ、私は責任を負わないから好きにして。」
「それじゃあ蛍さん。」
身を翻した蛍の後ろ姿に掛けられる嬉々とした声。彼女は即座に横目で彼を見ながら牽制した。
「言っとくけど、此処では剣技の披露はしないわよ。」
間髪入れず返された言葉に目を丸くさせた宗次郎は、やがて噴き出した。
「あはは、お見通しなんですね。」
「好きにしてとは言ったけど。…あなた、良かれと思って付け込んでくる気がしたわ。」
「ふうん、そうですか…」
低く頷き、そのまま蛍に視線を辿らせる。
「…何?」
「珍しいですよね。僕のこと先読み出来るの蛍さんくらいですよ。」
「…それは褒められてるのかしら。」
彼女は言葉を返し、台所に立った。
その後ろ姿を眺めながら何やら考えを巡らせる様子の宗次郎だが、蛍は彼の所作には気付かない。
やがて宗次郎に湯呑みを差し出しながら蛍はぽつりと口を開いた。
「それで、要件は?」
「実は先日報告してもらった件なんですが、」
蛍は瞬時に確信する。
(要人暗殺の件か…)
「蛍さんにお願い出来ます?」
湯呑みを受け取った手は仄かに冷たかった。
「では、僕はこれで。」
「ええ。」
「お茶美味しかったです、ごちそうさま。」
身支度を整え、戸口の引き手に手を掛ける宗次郎であったが、ふいに動きを止めて立ち止まる。
「…本当はね、蛍さん。任務のこと話しに来たのもあるんですけど。」
「?」
彼の声掛けに蛍は動きを止めて彼を見つめる。
そして何処かあどけない声が宗次郎の唇からこぼれ出る。
「今日来たのは…なんだか蛍さんの顔が見たいなぁって思ったのもあって。それで来ちゃいました。」
振り返り、参ったとでもいう風に彼は淡い笑みを浮かべた。思い掛けない言葉に蛍は固まる。
そんな彼女にぺこり、と会釈した。
「また来ます。」
「…あ、ちょっと…」
咄嗟に返事が出ず、少し慌てる蛍だったが間に合わなかった。
彼の言葉を頭の中で反芻しつつ、閉じられた扉の方を見つめる。
「また来ますって…あの子私の言ったこと何も聞いてないじゃない…」
やはり、彼という人間はよくわからない。そう思う蛍であった。