宵火ともる下、めぐり逢い
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──身の程知らずもいいところだ。
誰だってそう思っただろう。
だから志々雄様へのこの想いは封印していた。
でも、きっと…あの方は悟っていたのだろう、私のそんな心の内を。それでも知らないふりをして、お傍に置いてくださっていたのだろう。
…嬉しくもあり、寂しかった…。
寵愛の対象でもなければ、強くもない私だから…
いつでも捨て身の思いで、任務に取り掛かることでしか志々雄様への忠義を示すことが出来なかった。
…宗次郎はいつから気付いてたんだろう。それはわからない。
でも…私が寂しい時、辛い気持ちを抱えていた時。気付けばいつも私の傍にいてくれた。そして気遣ってくれていたと思う。
申し訳なくもあったけど……嬉しかった。
宵火ともる下、めぐり逢い
「……」
渡月橋の架かる桂川が一面に広がっている。
さやかは目を見張る。
「…綺麗。」
「でしょう?」
そよ風を受けた彼女の黒髪が僕の鼻先をくすぐる。
彼女は振り向いて微かに微笑みかけた。
『さやか…こんにちは。迎えに来ました。』
葉月の季節が訪れて幾日か目。よく晴れた快晴の昼下がりに僕は彼女を訪ねた。
『宗次郎…』
『体調は大丈夫ですか?』
『うん、おかげさまで…』
『そっか…』
次で最後だと、この間告げたからか。
彼女はなかなか踏み出そうとしなかった。
けれど、
『…宗次郎、行こっか!』
『……!』
思い切るように、はい!と差し出された手。
あまりにも唐突で面食らっていると、その様子にきょとんとする彼女。
いいんですか?手を握って、と冗談交じりに囁いて苦笑しながら彼女の肩に手を乗せると、はっとしたように手を引っ込めた。恥ずかしそうに下を向きながら躊躇する彼女。
その腕を優しく引いて、歩き出した。
彼女の笑顔はまた少し、明るくなった。
* * * * *
「もう少し下っていきましょうか。」
「うん。」
せせらぎを横目にさやかは隣へと駆け寄ってきた。
「…少し日が暮れてきたね。」
「ええ…疲れてませんか?」
「ううん、大丈夫…」
彼女の歩調に合わせ、ゆっくりとその手を引いた。
「…ありがとう。」
「いいえ。」
純粋な眼差しに安心感を感じた。
人波から遠のいた末に、畔に僕とさやかは辿り着いた。
──数多の観光客の行き交うこの景観地に僕とさやかはいる。
嵐山への道中も、渡月橋へと巡りながらも、二人して笑い合ったり他愛もない話も交えたりして。
新鮮だった。こうしてさやかと二人で過ごすことは。…ずっと拠点にしてきた京都の中だというのに。
傍から見れば…僕達は一介の人達の一部で。重い宿命を背負っているとは到底思えないだろう。
そんなこと周りはつゆ知らずに、季節は巡り巡っていくのだろう。
そのようなことを考えていると。
「ここも京都なのね…」
「…そうですね。」
同じ事を思っていたのか、景色を眺めながらさやかは呟いた。
眩しく滲みながら沈みゆく陽が空を、川をきらきらと輝かせていく。今まで見てきた世界の色褪せた様子とはまるで違う暖かみを伴って。
「穏やかで…素敵なところよね。」
「…そうですよね…」
そう、これが平和な明治という時代…なのかな。
必然的に僕はあれらの日々を反芻する。
…新しい景色はあの時の出来事なんて、何事もなかったかのように綺麗に覆い隠してしまう。時が経つ程に思い出す瞬間は少なくなってくる。
けれど、あれらは確かにあったことだと言える。
「…あの方のいない、現実…か…」
「……」
寂しそうに目を伏せる彼女。
…さやかはまだ、志々雄さんのことが好きで。今なお、あの人の面影を追い続けているから…
「宗次郎…」
「…なんですか?」
「やっぱり私達にとって志々雄様は特別な人なのね。」
そう言った彼女の横顔は、あまりにも儚げな笑顔で。触れると壊れてしまいそうだった。
「…ずっとかけがえのない…忘れられない人。…失いたくなかった人。」
「……」
──彼女の悲しみに寄り添う決意はもう出来ている。一緒に、過去の中で生きていくという覚悟もある。
…ここでさやかの言葉を肯定することは簡単で。それが彼女の傷を癒やすことに繋がるのかもしれない。
だけど、僕は…
「さやか。たしかに志々雄さんは、さやかにも…僕にとっても特別な人です。
僕に生きる道を示してくれて…ずっと共にいてくれた人だから。」
振り返るさやかを見つめながら、思い起こされる過去の情景。
──お前が弱いから悪いんだ。
初めて得た、一つの真実。そして貰った脇差。
…本当は殺したくなかった。でも、周りを傷付けずに自分を守る術は持ち合わせてなかった。
僕は人を殺してしまったけれど、あの時貰った理と脇差が僕の命を繋いでくれた。
そう、志々雄さんがいたから僕は。
「でも、僕にとっては…それだけの人ではないんです。」
「……?」
目を丸くさせながら見守るさやかにまっすぐな視線を向ける。
あの日々の中で…出逢ったのがさやか。
少し大人しくて控えめだけど、任務には生真面目で一生懸命で。…その健気な様子が僕の心を捉えて離さなかった。
いつしか僕は彼女に惹かれていき…
でも次第に…彼女の心の中には志々雄さんがいることを知った。
どうにもならない想いは捨ててしまうしかないと思ったけれど…
寂しそうにしている彼女を見て見ぬふりすることはどうしても出来なかった。
「…志々雄さんが死んだことは事実です。でも僕の中では………さやかがいる限り、志々雄さんの存在はなくなりません。」
──お前なら俺の次に強くなれるさ。
志々雄さんのくれた言葉に、冷たい雨。
あの時、貰った脇差。
たからものだったけど…それはもう僕の手にはない。
僕は、志々雄さんと袂を分かった。
そして…さやかは志々雄さんについていくだろうと思ったから、彼女にもさよならを告げたんだ。
心の中で…告げたはずだった。
さやかはただただ宗次郎の想いを、その言葉を、己の中に宿す。
澱みのないその瞳にしかと映る彼の姿。
宗次郎は言葉を重ねた。
「…さやかはいつだって志々雄さんを見ていた。そんなさやかを…僕は好きになったんだから。」
「……」
──瞬きすら忘れて、さやかは瞳を見開いていた。
「…宗…」
「だから…本当はさやかの悲しむ姿は見たくないんだ…」
「……」
「…志々雄さんのこと、忘れられなくてもいいんです。だって…好きって、そういうものでしょう?」
込み上げる何かを耐えるように、こぼれ落ちそうな何かを押し込めるように、さやかの表情は歪む。
──自分の言葉に僕自身、胸を締め付けられるようだけど、それでも。
「でもさやか……失ったなんて、いつまでも囚われないで。悲しみに暮れてしまうのはやめてください。」
「……」
視界の隅にぽつんと入る光。
明るく灯された灯籠が、波に煽られてゆっくりと行き届き…この情景を明るく色付かせていく。
一つ、二つと灯っていく光源。
さやかの瞳も照らされて輝きを秘めていく。
「…僕はあなたには生きていてほしい。元気で…いつかは幸せになって。
時には泣いたりしてもいいから。その時は…いつだってさやかの悲しみに寄り添うから。
だから…」
輝き出した一番星。
流れていく灯籠に瞳を向ける。
そして…ふう、と息をついて…再度さやかを見つめた。
「ここで一度…志々雄さんにお別れしましょう…?」
「……!」
たくさんの涙で満ち溢れていく瞳から目を逸らしてしまわないよう、見つめながら僕は微笑んだ。
to be continued……