彼に食って掛かられる
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──覚悟は出来た。
(私も志々雄一派だし、あの強い宗次郎の彼女なわけだし!名に恥じないようにしなければ…)
きり、と名無しは前を見据えた。
やがて名無しを乗せた馬車は──唐突に、急な音を立てて止まるのであった。
止まった拍子にしたたかに頭をぶつけてしまい、思わず声を荒げる。
「痛い!ちょっと、御者の人ヘタクソ過ぎやしません??」
「…なんでここに志々雄の側近が?」
「…!??」
慌てふためく男達の様子にもびっくりしたけれど。
(志々雄さんの側近って…!)
彼らの声に当てられたかのように、ほぼ反射的に馬車の外を見ようと窓に張り付いた。
「こんにちは。」
いつもの笑顔で、けれどどこか違う──怒ってる?
笑顔を見せている宗次郎は、刀身を右肩に軽く乗せて刀を携えて。片脚をとんとん、と地に落としていた。
「先回りしてみたんですけど、アジトの方にはどこにも名無しさんの姿が見当たらなかったので、後陣かなぁと待ってました。どうやらこの馬車が当たりのようですね。」
「先回りだと…!?」
「となると、アジトは既に…!」
「名無しさんを返してもらいましょうか。」
人質の例に漏れず、首辺りを男の腕に包まれて馬車を降りるように促されて。
ひとまず隙が出来るまではと、男達の言いなりに従って馬車を降りたけれど。私の姿を捉えた宗次郎が一瞬笑顔を引き攣らせたような気がした。
「…宗次郎。」
「無様ですねぇ、名無しさん。何やってるんですか。」
「面目ねぇ……」
「いいから。さっさと帰りますよ。」
吐き捨てるように言いながら、ふっと柔らかな笑みを向けられた。
「その人を返してくれますか。」
──冷静に理性が働いては、“これらの己の行動の意味は?”と宗次郎は自らに問い糾していく。
そう、考えるよりも先に身体が動き、言葉が口を突いて出るのだ。
何故だろう。僕らしくもない──そうさせるのは、このような行動に出るのは、何故なんだろう。
「痛い目を見たくなければ、解放した方が賢明ですよ。」
以前の僕ならきっと、こんなことに…こんな人に執着なんてしなかったはずだ。
でも…名無しさんと視線が交錯する。ただそれだけ、それだけなのに。
「この人は僕の……」
“僕の”…
なめらかに口から滑り出た言葉に思わず眉をひそめる。
──たしかに「僕の部下」とは云えよう。けれど、正直この人は使えない。ましてや僕に歯向かって苛立たせてばかりで。僕の部下?部下だからどうだというのだ。
返してもらうことで今後何かの役に立つかというと…特段、何にもならない。
なのに、毒にも薬にもならないものを欲するように?…何を口走ろうとしているのだろう、何が言いたいのだろう、僕は。
──脳裏を過ぎる、ある光景。
珍しく顔を染めた名無しさん。それに相対する僕。
そうだ、いつかあった出来事みたいだ。
暫くそうして、何か…ふわふわとした可笑しな雰囲気の中で、先に口火を切ったのは…僕。
『今はまだ…その気持ちをいただくだけで…十分ですから。』
『…そっか//』
まだ当面ぎこちないけれども、緊張を解いたように固い姿勢を幾許か和らげた名無しさん──
そうだ、この時。
──雲間に光が差し込むように、鮮明に蘇る。そうだ、僕は。安堵の表情を浮かべた名無しさんに向かって…言ったんだ。
『そういうことは、祝言迎えるまで待っておきましょう?』
…ああ、愚かだなぁ。
やすやすとそんな言葉を吐いたこの時の僕自身も──そんな僕の言葉を戸惑いながらも、受け入れた名無しさんも。
そして、それらの出来事…それだけではない。名無しさんとの間にあったこと、一緒にいたこと──それらすべてを置き去りにしてしまっていた、この情けない僕も。
「この人は…僕の大事な人です。」
自然とそう言い放っていた。