彼に食って掛かられる
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いつもの青より少し澱み、心なしか彩りの抜けた空。けれども僕の隣の相方は次から次へと詰まらない話題ばかりをその口から吐き出していて、締まりのない表情を浮かべ歩いていて。まるで自分の辞書には「普遍」と「喧騒」という言語しか存在していないんだと誇っているみたいで
「ちょっと、宗次郎!」
嘆かわしいなぁと、
「宗次郎ってば。」
「なんですか、うるさいなあ。」
「誰が締まりのない表情なの!」
「あれ、人の考えてることわかるようになったんですか。すごいや。」
「すごいや、じゃないよ。」
「そこまで教育できた僕。」
「そっち…?」
名無しさんは舌打ちをして暫くは面白くないといった風な顔をしていたけど、やがて目先に広がるあれこれにすぐ気を取られてはあっという間に上機嫌に声を弾ませていく。
「ねぇ、ね!紫陽花咲いてるよ!」
「あ、本当ですね。」
「綺麗だねぇ。」
にこっと嬉しそうな笑顔を浮かべていて。
──志々雄さんのお使いなのだけど、なんだかんだ、今日こうして二人で出掛けることが出来てよかったな、とそんなことを思った。思って彼女に釣られて微笑みかけた矢先。
「…お腹空いたなぁ。」
「…空気読んでくださいよ。」
「無理だよ、私を誰だと思ってるの?名無しだよ?」
「ええ、知ってますよ。さっき寄ったお茶屋さんで人の分のお饅頭も沢山平らげた名無しさんですよねー。」
「あ…や…そうだっけ…」
「ふふ、まあ名無しさんの食欲と意地汚さが僕より強かった。それだけのことですよ。」
「ち、違うもん!つ、ついだってば!」
「寝言は借りを返してから言ってください。」
「えぇぇ…ほんとに…?」
「とりあえず何にしようかなぁ。あ、京都銘菓の…あれ?」
異変に気付き空を見上げると、名無しさんもほぼ同じくして上空へと目を向けていた。
「…やば。雨降ってきた…?」
「…小雨かな…あ、いけない。少し降ってきましたね。」
「いやー!やばい、私達傘持って来てないよ!」
「あ。」
「…あ!」
これもまたほぼ同時の事だった。前方へと伸びる小道があるのだけど、脇にある──紫陽花の茂みに埋もれるように棄てられていたそれに気付き、二人揃って声を上げていた。
「傘!やったぁ!って、あ、ああぁぁあ~!?」
「…」
走り出した名無しさんはあられもない声を漏らしていた。──傘を手にした僕は名無しさんに笑いかけていた。
「今度は僕の勝ちですね。」
「ずるい。縮地ずるい。」
「勝ちは勝ちです。」
「…」
「これで貸し借りなしにしていいですよ。」
「まあいいもん、そんなに降ってないし、止んだら荷物なだけだし。ざまあ。」
「名無しさん、かなり苦しいですよ?」
「やっぱり?」
互いにそんな風に憎まれ口を叩いて、名無しさんは「ほら、やっぱり雨上がりそうだよ?」とか「降らないのに必死に傘ぶんどった宗次郎w」とか余裕綽々に更に発言を噛ましていったのだけれど。まあ実際本当に雨は上がりつつあった故、彼女がそう調子に乗る事情は理解出来たから、何か言ってるなぁと僕は思っていたのだけど。
一瞬、回復へと兆していた空模様は再び雲行きが怪しくなり。まずいかも、と思ったその時には雨脚が強く辺りへと降りしきり出したのだった。
「名無しさん。」
途中まで鼻唄まじりにスキップしていた彼女は少し先を進んでいたから、急ぎ足で彼女の元へ駆け寄った。濡れた髪と肩に目が行く。──もう少し気を付けていればよかったな、と遅い自省をしながら傘を名無しさんへと差し掛けた。
「…いいよ。」
「は?」
傘を持つ手を押し返す名無しさん。その言動の為す意味がわからず、間抜け染みた声を返してしまう。もう一度傘を傾けるも、再び押し戻される。
「いいの、私は。濡れたって。」
「は?なんでですか。」
「いや、なんか…」
なんだろう。名無しさんの顔を覗き込んでみたけど、ばつの悪そうに瞳を逸らされた。反射的にその視線の先を追って、名無しさんが何を思っているのか見透かそうとするのだけれど、そしたら身体を反転させてしまった。
「…た、大したことじゃないから。」
「…いや、濡れますよ?つまらない反抗してないで入ってくださいよ。」
やや強気に言い放ち、彼女の腕を引く。そうまですればさすがの名無しさんも、頭上に差し掛かる傘に反旗を翻すことは敵わないのだけど。柄を握り締めて僕の方へと押しやろうと力を入れ、抵抗を止めない。
「…本当に、何してるんですか?」
「だって…いいって言ってるのに。」
「いや、意味がわからないんですけど…」
「…なんか私ずるいなぁって。フェアじゃない。」
「…?」
ふぇあ?…フェア?
「名無しさん?」
「私の負けだし…何よりお饅頭食べちゃったし。」
「え?」
「だから傘は宗次郎使いなよ。」
「…面倒な人ですね。」
こちらをようやく見返した彼女。僕は微笑みかけながら、くしゃっと頭を撫でた。
「!」
「じゃあ、勝手にしてください。」
目を見開いた名無しさん。歩き出していく僕をまっすぐ見つめる。
名無しさんも僕も冷たい雨を浴びながら、着物に出来た染みを広げながら──畳まれて置かれた傘が名無しさんの足下でかたん、と鳴った。
「…えっ、傘使わないの?なんで?」
「ええ?それ聞きます?」
「使ったらいいじゃない。」
「名無しさんと同じく、僕も勝手にします。」
我ながら無茶苦茶な理論だと思うのだけれど。理屈の通じない名無しさんに理屈で返すのは無意味だと知っているから。…それはさておき、まあ、これでいいんじゃないかな。今はそういう気分ということで。
雨の止まない空。けれど僅かに切れた雲の隙間から光が差す。なんとなく、なんとなくなのだけれど、以前どこか──遠い昔に見たのだと思う、真っ暗で、重くのし掛かるような空の下で雷雨が響いていた光景を思い出した。
「──宗次郎。」
名無しさんの声がふいに聞こえた。
「?はい。」
「…ん。」
振り向くと、意地っぱりな彼女が傘をこちらへと差し掛けていた。…張り詰めた詰まらない体裁を取り払い、素直になることに少し気恥ずかしそうにしながら、こちらを見つめた。
「一緒に入ろ?」
「…」
揃って髪と肌に雫を次々と落とし纏わせながら。雨の匂いに包まれ、惨めに濡れた互いを見つめ合いながら、僕達は顔を綻ばせていた。
「…ほら、名無しさん無駄に強がるから。みっともない。」
「そ、宗次郎だってなんか格好つけるから。もはや濡れ鼠じゃん。」
「その言葉そっくり返します。」
「じゃあ泥付けて返します!」
「ぬかるみに叩きつけますよ?」
「ごめんなさい!」
勢い任せなやり取りをしながらどこかほっとしていたのは、名無しさんには内緒。ころころ変わる表情のどれであっても、見る度に惹かれたり動揺したり内心そうやって揺れ動かされてしまうのも、名無しさんには内緒。
傘を持つ彼女を前に、そっと心にしまい込んだ。
「…仕方ないですねー。」
「!」
少し屈んで、名無しさんの隣、傘の下へ入った。今更雨を避けたって少し手遅れだけど。でも、名無しさんの顔がほのかに明るくなったのを視線の隅で見つけていた。
──もう揚げ足を取るのはやめにしておこうか。柄を持つ名無しさんの手に己の手をそっと重ねた。
「…じゃ、一緒に行きますか。」
「…はーい。」
きらめき雨もよう
(あ。虹!綺麗だねー!)
(…ほらね。)
(え?なに?)
(別に、なんでも。)