短編集
【短編用】名前変換
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──何がいけなかったんだろう。
目を見開きながら一生懸命考えを巡らせる名無し。
その視線の先には、少し黒い笑顔でこちらを見下ろして。彼女を押し倒したまま静止している宗次郎の姿があった。
まるで獲物を追い詰めて、残るは食すだけ、とでもいうかのように。涼しげな笑みを彼は名無しに向け続けているのであった。
(……ちょっと言っちゃっただけなのに。)
ひやりとしたものが背中を伝う。
この状態から何とか抜け出したいけれども、何せ仰向けの身体にしかと馬乗りにされているものだから、状況を変えることはとても難しい。
屈んでこちらを見下ろす宗次郎。どこにも逃げ道はない。
(これ以上…なんて、ないよね…?)
少し縋るような目を浮かべてみるものの、手を抑え付けているその腕の力は少しも緩められることはなく、名無しを床に縫い付けたまま。四肢を動かすことすら許されなかった。
そうして宗次郎は名無しに迫るように首を傾けて、囁いた。
「抵抗しないんですね。」
吐く言葉にはまるで似付かわしくないような、朗らかな声を向けられて。けれど静けさを纏ったその笑顔が、彼の行動は決して冗談ではないということを物語っていた。
手首を抑えている宗次郎の手、微かに指先が蠢いて名無しの柔らかい手のひらを擽るように這う。
思わずぴくり、と身体が反応したけれど、俄然宗次郎は名無しを解放することはなく。そのままにこりと穏やかに笑いかけた。
「黙認してるんですか?このまま。」
「…無駄かな、と…」
「へえ、ここまでくるとさすがに物わかりが良くなるんですねぇ。」
「……あの、宗次郎…ほんとに怒ってるの?」
「怒る?僕がですか?…おかしな人だなぁ。」
にこにこと細目だったはずの目がゆっくりと開いて。その瞳に名無しの姿を映す。
じっと、名無しを見据えて。口元にまた笑みを浮かべて。
「あいにく、そういったことには縁が無いですから。何のことだか。」
「…」
「…でも、名無しさんが煽るものですから。」
衣擦れの音。仕草だけは名無しをあやし包み込むように。宗次郎の背が丸められ、彼女の目の前に顔を寄せて。ゆっくりと、恨めしげで艶めかしくもある瞳が名無しを射抜く。
これにはさすがに。表の面の皮一枚でなんとか平静を装っていた名無しも、本能的に“危険だ”と察する。
「あ、あの…待っ…」
「…すみませんけど、退けないかもしれませんね?」
「…う…」
──その笑顔で妖艶に囁かれると何も言えない。
見下ろす宗次郎。
また僅かに首を傾げ、宗次郎のさらさらとした前髪がしなやかに目の前で揺れる。前髪に半分近く隠された瞳は笑みの形を象っているようで、じっと名無しを見据えていて。
そしてそっと、片手をもたげて、名無しの頬に触れて撫でた。
「…え…えっと…」
「名無しさん、ちょっと懲らしめなければいけませんね。」
低く語りかける宗次郎の唇と触れる吐息。沿うように頬をなぞる手のひらは名無しの目元にまて這わされ。
完全に重なって交わりそうになる二つの身体。すぐそこまで感じられる彼の体温の気配に名無しは身を震わせるけれども、その様子すらも手に取るように宗次郎には伝わっていた。
「…さあ、どうしましょうか。」
「…宗次郎。」
高鳴る胸の鼓動を口惜しく感じる気持ちもあるけれども。名無しは宗次郎の名を口にしていた。
「はい。」
──名無しは宗次郎の頭に向かって手を、その黒髪に指先を伸ばして触れる。
されるがまま、黙ってその施しを受ける宗次郎。髪をそっと払い除けられ、その瞳を露わにさせ──下からじっと見つめる彼女の視線に迎え入れられるのであった。
「…なんです?」
「ううん…どんな顔してるのかなって。顔が見たくて…」
「大した余裕ですね。こんな時に。」
己に触れた名無しの手に優しい視線を向けて。宗次郎は髪をそっと耳にかけて微笑んだ。名無しの所望に応えるかのように。
その穏やかな表情に浮かべた真剣そのものの眼差しに、名無しは安堵と緊張が入り混じった複雑な胸中に陥るけれども。
刹那、柔く微笑みを刻んだ宗次郎を見て、共鳴するように静かに微笑みを溢すのであった。
「──気は済みましたか?」
「…うん。」
頷く名無しを見つめ。宗次郎はそっと頭を近付け、名無しは静かに腕を下ろす。
名無しの動きが止まる頃には、宗次郎は彼女に口吻を落としていた。
──ゆっくりと離れ、また名無しの表情を窺うけれども。名無しは甘いため息を僅かに漏らし、湿度を纏った瞳で語り掛ける。
「…気は済んだ…?」
「……どうでしょうね。」
ふっ、と彼は少しはにかんだように微笑み。名無しの身体を優しく抱きしめて、その身を彼女へと沈めたのであった。
隠れては溢れる愛の欠片