短編集
【短編用】名前変換
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「おかえりなさい、名無し。」
「……宗次郎。」
「…あーあ。なんだか酷く疲れてません?」
すっと差し出す手。それを目の当たりにして僅かに震えた彼女の様子も余さず捉えながら。
優しく、その頰へと添えた。
「あ…」
その感覚に少しばかり瞳をとろん、とさせる名無し。
「…ん…」
「…ああ、この感触。やっぱり…」
「……」
「感慨深い、ですね。」
愛しいものを愛でるように、宗次郎はその肌触りを楽しんだ。
半ば虚ろながらも、光を確かに宿した名無しの瞳──
「…ねえ、名無し。」
「……」
「どうでした?あなたが恋い焦がれていた……」
導き出される言葉。
「僕のいない世界は。」
「…っ…」
悲痛に歪むように涙を滲ませる彼女。噛み締めたその唇に指をそっと辿らせて。
「穏やかな…普通の暮らしとやらはいかがでした?」
「私……」
「心地よかったです?」
笑顔で尋ねてやる。やはり名無しは涙を溜めた瞳を少し伏せがちにしているわけで。
その仕草が示す答えを僕は──僕は知っている。
「…当ててあげましょうか。」
「……」
「…たしかに、僕には嬉しいやら悲しいといった気持ちはわからないけど。」
「でも、名無しは悲しくて泣いてるんじゃないですよね。そのくらいはわかりますよ。」
「…っ、ん…」
目尻に口吻を落とす。反射して閉じる瞳。
優しく息を吸うと、唇に吸い付く雫と肌。少し跳ねた彼女の身体。
その様子を目に焼き付けながら…静かに唇をずらし耳元にそっと寄せる。
「……後悔してたんですよね?…自分の選択を。そして、僕のもとを離れてしまったことを。」
ぱっと、開かれる眼差し。
──図星を指されて動揺しているであろう名無しの肩を抱きしめた。
「…!」
「名無し。」
「私…」
「いいんですよ。僕は責めませんから。あなたのこと。」
ゆっくりと躊躇いがちに僕の方を見上げる名無し。
──優しく、微笑みかけた。
「ね、名無し?」
「……」
「懺悔はもう終わりにしましょう…?」
「…宗次郎…」
弱々しく僕の胸へ辿る彼女の腕。
「…でも、赦されることなの…?」
「……どうして迷うんですか。」
「だって…たとえ一時でもあなたのことを裏切って…」
「…僕はわかっていましたよ?」
「……」
「名無しには僕しかいないってこと。」
「あなたは僕と共にしか生きていけない。だから帰ってきたんですよね?」
一点の曇りもない瞳を向ける宗次郎。
そして…彼はそっと口吻をした。
やがて唇を離した宗次郎はにこりと微笑む。
名無しの表情を見据えて──いつもの朗らかな声で。
「名無し…綺麗ですよ。」
「え…?」
「そう……その笑顔。」
不意を突かれた時のように、とくんとくんとくん、と胸の鼓動が激しくなっていく。
見下ろす彼の穏やかな笑み。
戸惑いの声を漏らしたまま静止した名無し──私、笑ってるの?
「……そう、僕と一緒。」
目を細めて彼は微笑んだ。
思わず自分の頰に手を伸ばす名無し。その頭を抱えるように、宗次郎は優しく抱きすくめる。その温もりに名無しは涙をまた浮かべた。
(そっか…宗次郎のもとに戻れてほっとしたんだ…だから私…)
「名無し。」
想いを見透かすように彼は。
「これはね、嬉しいとかそんな一時の気持ちのせいではなくて。」
「…どういうこと…?」
「僕と同じですよ。」
抑揚も声色も変わらず繰り返される宗次郎の言葉。
──ひとときの心の揺れなんて。僕らには。
「……ええ、僕と同じ。もう簡単に移ろい変わったりなんてしない。」
「…目先の嬉しいとか悲しいとか、そんなことで過ちを犯したり傷付いたりするなんて、おかしいですよね。
そう、名無しは今のままで…僕とずっと…
…僕といる限りはね。」
何度も何度も髪を撫でる宗次郎の手。名無しを落ち着かせるように、名無しの心へと響くように。
「宗次郎……」
「一時の涙なんて…不安なんて、何の役にも立たない。でも名無しはもう、そんなものは手にしませんから。
ずっと名無しは僕と。たとえ離れたとしても、すぐに何度だって…名無しは僕のもとへ帰ってきます。
もう僕と一緒なんですから……」
だからもう、
「よかったですね。」
柔らかに微笑んだ宗次郎の笑み。
片方の腕を彼女の背中へと、深く名無しを抱きしめた。
ふわりと香った宗次郎の香りに、首筋に触れる宗次郎のさらさらとした髪。
彼の中に迎え入れられた名無しは、ようやく悟ると共に、やはり安堵の気持ちもあることも自覚していた。
──宗次郎の存在は、自分には。
「おかえりなさい。名無し。」
「──ただいま、宗次郎。」
囁く唇
逃れられない。あなたからは。
名無しは微笑みを溢した──