短編集
【短編用】名前変換
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「時たま、そういう様子が垣間見える」とは少し違うかもしれない。
普段あまり、周囲の人や或いは物に対して固執する様子を見せない彼だった。
元々そういうところがあると知っていたし、同時に彼自身は故意や悪意を持ち合わせておらず、ただただ自然体にそうなのだということも知っていた。
なので特に気にすることではないと思っていたのだけれど、ふとした時に少しだけ、寂しいと感じてしまう浅ましい自分が居ることは事実だった。
けれど――重く募り募った私からの好意を知った時に「そうなんですか。嬉しいです」などとサラッと受け止めて受け入れて、あっけらかんと微笑んでくれた彼に救われたから。
そういうところも含めて、彼のことをますます好きになっていたのだった。
彼と恋人という関係を結ぶようになってからも、やはり彼の仕草に変わりはなかった。
必要以上には彼は私に触れようとはしなかったし、どうやら他人の率直な反応や気持ちを感じ取ることに長けているらしい彼は、自分の欲を私に無理に向けることもなかった。
恙なくそのような日々を送ってきたのだけれど。けれど。
「名無しさん。」
「…?」
間近でこちらの瞳を覗き込んでいる宗次郎を見つめながら、私は思わず硬直してしまっていた。
“あれ?”と思っていたけれど、自分の気のせいかもしれない。いや、きっとそうだと思う。
――そんな押し問答をしながら、幾許かの時間が過ぎ去ろうとしていた。
眠る少し前のひとときに、彼と隣り合わせで腰掛けて、温かい飲み物を楽しみながら些細な会話をしていたのだけれど、そうしている最中に宗次郎はそうっとこちらに身を寄せてきて。
僅かに肩に触れた温もりに、違和感とまではいかないけれど“あれ?どうしたんだろう…?”と感じていた。
そんな私の思いを余所に、彼は変わらず無邪気に微笑みながら、先程からの新作の甘味の話を続けるのだから、意識するのは失礼だと自分の中に芽生えつつあったものは胸に仕舞い込んだのだ。
けれど、彼は私の手にその手を重ね、指先にそっと触れたり、手の甲を優しく優しく撫でたりして。
その手に心地よさを感じたり、少しくすぐったいな、と思ったりしながら彼の為すがままになっていたのだけれど、彼に名前を呼ばれ、反射的に彼の表情を見つめてみた結果が、これだ。
じっとこちらを見つめる宗次郎の瞳に照れてしまう。こちらを射止めるかのように真剣で、まっすぐで。
なんだろうと思いつつも、その目がとろんとしたものに変わりつつある気がしたので声を掛けた。
「…宗次郎、もしかして眠たい・・・?」
「ん…?」
少し考えるような反応を示す彼。
でもすぐに何か合点がいったのか、優しく、それでいてどこか甘い声で彼は言葉を続けた。
「そう見えます?」
「うん。もう寝よっか…?」
少し伏せて切れ長に細められた彼の瞳。
いつもより、至極距離の近い彼の顔に内心どきどきとする気持ちはあるものの、小さな子供をあやすような感覚も抱きながら告げると。
彼は一瞬にこりと笑って、そのままゆっくり。肩を引き寄せられた。
「わっ…?」
「……」
「あ、あの、宗次郎、どうしたの…?」
問いかけには黙ったまま。短く小さな溜め息の気配。
彼の胸に預ける形になってしまった背中に感じる体温に緊張しながらも、その溜め息の意味を推し量ろうとしてみているうちに。
そのまま、するりと彼の腕の中に埋められる。
頭が真っ白になってしまっている間にも、宗次郎がすり、と身じろぎをしてきたので彼との接触は一層深まって。
「…今日は、ずっとこうしていたいなあ。」
「…?」
「そんなに珍しいですか?」
あまりにも固まってしまった私に思わずくすくすと笑みを漏らす。
そのままこちらを安心させるかのように髪を撫でるのだけれど、あまり彼に触れられ慣れていない為か、胸の高鳴りは止まない。
そんな私の様子に困ったのか、彼は“うーん”と呟いて。
「思惑…そうですねぇ、それであなたが大人しく僕に抱かれてくれるのなら言いましょうか。」
「…いっぱいいっぱいで恥ずかしいので、だ、大丈夫です…大人しく抱かれ……えっ?」
「本当に大丈夫ですか?」
少し体を離されてこちらの表情を伺うように見て。湿度と熱の篭もった彼の視線と交錯して――先程からの手の温もりや触れ方を思い出して、顔中が熱く火照り果てていく。
“こちらの心の動きなど手に取るようにわかる”といった笑みを浮かべて。
「ふふ、名無しさんやっとその気になってくれた。」
「…っ、だって。」
「さて、どうします?それとも、僕の想い聞かなくても満たされるんですか?」
「……」
あまりにも恥ずかしくなって――だって、こちらに迫ろうとする彼のその表情に心揺さぶられないわけがない。直視できなくて思わず俯いたけど、頬をさわさわと優しく指先で撫でてくれる彼。その感触に心の内側がほわほわと切なく高揚していく感覚。
自分のことを欲張りだと気付いていたけど誤魔化していた。せっかく彼が私を受け入れてくれたのだから、あまり欲張ってはいけないと。はしたない人だと思われないようにしなければと考えていた。
でも、彼が甘えたような仕草を見せて私を求めてくれて嬉しい。
つつ…と辿る指先が私の顎先を攫うように掬って。
「あなたで癒やされたくなっちゃいました。…いいですか?」
その綺麗な声で耳元で囁かれると堪ったものではなかった。
衣擦れと僅かに溢れた息の音。頷いた様をその目に宿してから微笑んで、彼は私の体を再び抱き竦めたのだった。
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