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翼を持たない者へ捧ぐ

-Ⅵ-


 療養所はとても静かだ。思えば、最近はずっと静かだった。
 少し前までは常に誰かしらの声が響いていたというのに、いつの間にかみんな退院していってしまって。療養所の人間はだんだんと減っていた。それはとても喜ばしいことだ。ここから去ったということは病気が治ったということなのだから。
 それでも、僕はどうしても寂しさを感じてしまっていた。


――


 最近のバロメッツは花遊びが好きなようで、よく裏庭の花畑で遊んでいる。僕はそんなバロメッツに毎回捕まり花冠や指輪を作らされている。実を言うとここのところ寒くなってきているからあまり外には出たくないのだけれど。バロメッツは毎回出来上がったモノを嬉しそうに身に着けてくれるから、僕は結局その笑顔に絆されてしまうのだった。

 その日も、僕はクローバーの葉を編んで花冠を作った。心がざわつく感覚がしたが、それが何故なのか思い出そうとすると頭が痛くなる。
「ヴィイ?」
 名前を呼ばれて振り返ると、そこには僕の服の裾を引っ張るバロメッツがいた。バロメッツは不安そうな顔で僕を見つめている。
「バロン、どうしたの?」
 なんでもないよ、というように微笑んであげるとバロメッツは安心したようで笑い返してくれた。そして手に持っていたクローバーの葉を僕に見せてくる。
「わたし、本で読んだのよ。普通のクローバーは葉っぱが三枚だけど、稀に四つ葉のクローバーがあるんだって! だからわたし、四つ葉のクローバーを探していたの! そしたら、ほら!」
 バロメッツは無邪気に笑う。よく見ると、確かにそのクローバーには葉が四枚ついていた。
「へえ、よかったじゃないか。珍しいものを見つけたんだね」
「珍しいってだけじゃないの! 四つ葉のクローバーには幸運を呼ぶ力があるんだって! ……だから、これヴィイにあげる!」
 そう言ってバロメッツは僕にその四つ葉のクローバーを差し出した。
「バロンが持っていればいいじゃないか」
 僕は不思議に思い首を傾げる。するとバロメッツは少し困った顔をしてから、照れくさそうに笑った。
「ヴィイ、最近なんだか元気がないでしょ? これを持っていればきっといいことあるもん! ね、だから受け取って?」
 バロメッツはそう言って僕の手の中に四つ葉のクローバーを半ば無理やり押し込んだ。手を開くと、少ししおれた四つ葉のクローバーが収まっていた。
「これって、枯れてもご利益はあるのかな」
「えっ、うーん……わからない」
 僕の言葉にバロメッツはまた困り顔になる。それから「わかった!」と何かを思い付いたようで小さく手を叩いた。
「すぐに枯れないように、わたしがおまじないをかけてあげる!」
 バロメッツはそういうとクローバーごと僕の手をぎゅっと握り、僕とおでこをくっつけて目を瞑った。

 ――直後、まるで太陽のように暖かい光が僕たちを包み込んだ。

 突然のことにびっくりしたけれど、その心地よさに身を預けたまま動くことができなかった。
 しばらくして『おまじない』が終わったのか、バロメッツは僕の手をパッと離して眩しいくらいの笑顔を見せた。それと同時にあの不思議な暖かい感覚は体から消えていく。
 この感覚は身に覚えがある。これは……――。
「君、いま……」
 ――魔法を使ったのか。
 そう言いかけたけれど、やめた。バロメッツは僕が何かを言いかけたことにきょとんとした顔をしている。無意識だったのかもしれない。いま教えて混乱してしまっても困るだろう。とりあえずせんせいに報告しようと医務室に向かったけれど、そこにせんせいの姿はなかった。そして「明日まで外で用事があって留守にする」と朝食の際に言われたことを思い出した。


――


 夕食後。僕は自由時間には滅多にいかない書庫へと足を運び、本を探した。
 バロメッツにおまじないをしてもらったけれど、それでもいずれ四つ葉のクローバーは枯れてしまうだろう。枯らさない方法は何かないか。書庫ここでならなにかわかるのではないか、そう思ったのだ。
 しかし普段本を読まないからか単に物を探すのが下手なのか。数時間かけても手がかりはつかめなかった。
「あれ、ヴィイ?」
 そうしていると書庫の扉が開き、現れたのはコリンだった。彼の膝の上には数冊の本が乗っていて、僕に気が付くと笑顔で近づいてきた。
「君がここに居るのは珍しいね」
「うん。ちょっと、調べたいことがあって」
「調べたいこと?」
 コリンは僕の言葉を繰り返して首を傾げた。コリンは頻繁に書庫へ出入りしているし知識も豊富なイメージがある。彼ならなにかわかるかもしれない。そう思い相談に乗ってもらうことにした。
「植物を枯らさない方法が知りたくて」
 僕はそう言いながらコリンに昼間バロメッツに貰った四つ葉のクローバーの葉を見せる。彼は興味深そうにそれを眺めた。
「あ、四つ葉のクローバーだ。珍しいものを摘んだね」
「見つけたのは僕じゃなくてバロンなんだけどね」
 僕のその言葉にコリンは納得したように笑った。
「この葉が枯れずに済む方法ってないかな?」
「そうだね……水に浸けたり日光に当てたりすると良さそうだけど、きっとそういうことじゃないよね」
 僕はうん、と相槌を打つ。するとコリンは少し思案してからこう言った。
「押し花にしちゃえば?」
「押し花?」
 聞き慣れない言葉に僕は首を傾げた。
「知らない? 花びらとか葉っぱを紙に挟んで、そのまま保存するんだよ」
「どうやって作るの?」
 僕が聞くと、コリンは持っていた本を開いてジェスチャーしながら教えてくれた。
「本の表紙の裏に紙を敷いて、そこに四つ葉のクローバーを挟む。上から重石を置いて、その状態で何日か放置しておくだけ。簡単でしょ?」
 コリンはそう言って笑う。確かに試す価値はあると思った。
 教えてくれたお礼をしたいと申し出たら、コリンは持ってきた本を本棚に返すことと次に読みたい本があるからそれを本棚から取ってきてほしい、と言った。
「そんなことでいいの?」
「そんなことでいいんだよ」
 書庫の本棚は天井についてしまうのではないか、というほど高くまで積み重ねられている。足の悪いコリンには難しいこともあるのかと僕は途中で気が付いた。言われた通りにこなすと、コリンは「ありがとう」と言って笑ってくれた。

 それから僕たちは少しの間、書庫で話をした。
 コリンは最近読んだ本の話をしてくれた。有名な物語らしく、内容を聞いている限り恋愛の話のようだった。僕はそういったものとは縁のない生活を送っていたからよくわからなかったけれど、コリン曰く「とても面白い」らしい。いつか読んでみて欲しいとまで言われてしまった。
「ヴィイは恋ってしたことある?」
 そんな話をしていたからか、コリンは唐突にそんなことを聞いてきた。僕は少し自分の記憶を遡らせてみたけれど、思い当たる節は……。
「ないかな」
 僕の言葉にコリンは残念そうな顔をする。それから少し躊躇いがちに口を開いた。
「……――ィは?」
「? いま、なんて……」
 コリンが何かを呟いたけれど、あまりにも小さな声であったためにうまく聞き取れなかった。
「まあ、ヴィイはまだ子供だもんね」
 聞き返そうとしたがコリンは遮るようにそう言って、ふわりと笑って見せた。
「子供って……君と僕は同じくらいの歳だよね?」
「そうかもしれないけど、ヴィイは『子供っぽい』よ」
 今度は口元に手を添えて上品にコリンは笑う。その動きに合わせて銀色の髪の毛が揺れた。
 コリンはいつも椅子に座っている状態だから、自然と僕の方が背が高くなりその表情を見下ろすことになる。コリンの顔立ちは整っていて、特に微笑むと周りに花でも咲いているかのような華やかさがある。そんな彼を見ていると確かに、コリンは僕よりも『大人っぽい』のかもしれない。悔しいけれど様になっている。
「僕はね、好きな人がいるんだ。しばらく会えていないけれど」
 そう言ってコリンは窓の外を見た。コリンの目は遠くを見つめていて、どこか寂しそうだった。僕は思わずコリンに尋ねた。
「どんな人?」
 興味を持たれると思っていなかったのかコリンは少しだけ目を見開いてから、目を閉じた。そして静かに答える。
「優しくて、暖かくて、一緒に居ると安心できる人」
 コリンはそう言ってから、ゆっくりと瞼を開けた。
「そんな気がする」
 そして悪戯っぽく笑った。
「なにそれ……ホントの話?」
 コリンがあまりにも自信ありげに言うものだから、僕はつい突っ込んでしまった。
 コリンが誰かを好きになっているところなんて想像ができなかった。正確には『彼が誰か一人だけを愛する』ということが。彼は博愛的なイメージがあったから。
 コリンは腕を組んで「うーん」と考える仕草をする。コリンの返事を待っているとふいに時計が目に入った。まだ余裕があると思っていたが、消灯時間が迫っていた。早く小屋に戻らないとせんせいに怒られてしまう。僕は慌てて立ち上がったが、せんせいは今晩は療養所には居ないのだということを再び思い出す。
「せんせいってたまに外に行くけれど、なにをしているんだろう」
 コリンからしたら突拍子も無かったのだろう。彼はぽかんとした顔で僕を見た。
「……さあね。僕も知らないよ」
 そして素っ気なくそう返事をしてくれた。
 せんせいといえば、と連鎖的に思い出した昼間のバロメッツのことを僕はコリンに話すことにした。
「今日、バロンが魔法を使った……気がしたんだ。無意識っぽくて本人は気づいてなかったみたいだけど」
「それって……病気が治ったって、こと?」
 コリンは驚き入った顔をしていた。僕は多分、と添えながら頷いた。
 するとコリンは信じられないと言いたげな顔をして、さっきまでとは打って変わって険しい顔つきになってしまった。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうかと心配になる。
「どうしたの?」
 僕の質問にコリンは少し躊躇ったあと何か言いかけたが、結局口をつぐんでしまった。僕は粘り強くその言葉の続きを待ったが、いくら経ってもその先は無かった。コリンは何か迷っているようだったが、しばらくすると大きく息を吐いた。
「そのこと、せんせいにはまだ言わないでおいてくれないかな?」
 予想外のその言葉に、今度は僕が狼狽えた。
「な、なんで? せっかく病気が治ったかもしれないのに……」
「お願い、ヴィイ」
 コリンは感情を感じさせない顔を僕に向けて、ゆっくりと口を開いた。いつものコリンとは違うその様子に、僕はまた驚いた。
「わ……かった、よ」
 その迫力に負けた僕はそう返事をするしかなかった。僕の返事を聞くと、コリンはほっとしたように微笑んだ。その笑顔があまりにもいつも通りだったから、僕はそれ以上コリンに何も聞くことができなかった。
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