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翼を持たない者へ捧ぐ

-Ⅳ-


「ピンクッション、この後さ……」
「…………」
 無慈悲にも、言葉を言い終える前に扉は閉められてしまった。いや、今日は扉を開けてくれただけいいのか。僕は行き場のなくなった手をゆっくりと下げる。
 せんせいにピンクッションのことを頼まれてから、こうして懲りずに彼女に話しかけていたけれど彼女は一向に絆されてはくれなかった。むしろガードが固くなっていくような気もする。
「ヴィイ、あの子に嫌われてるの?」
 落ち込む僕に声をかけてきたのは、茶色い髪の毛を二つに結った女の子――バロメッツだった。最近療養所にやってきたこの少女は、いつだって唐突に目の前に現れる。
「そ、そんなことは……」
「じゃあなんで無視されてるの?」
 バロメッツはそう言って首を傾げた。
 彼女の言う通りだった。僕らはもうずっと会話をしていない。初めて出会ってから今まで、会話らしい会話をした記憶が僕にはなかった。
「そんなの、僕にも分からないよ」
 半分自棄になり正直にそう答えると、バロメッツは目を細めた。
「じゃあ競争! 先にあの子と仲良くなれた方が勝ちね!」
「……は?」
 なにが「じゃあ」なのか。
 満面の笑みでそう言い終えると駆けて行ってしまったバロメッツを、僕は止めることができなかった。


――


 それからのバロメッツの手腕は見事なもので、結果としてはバロメッツの圧勝だった。勝負にもならなかった。
 バロメッツは毎日のようにピンクッションの部屋を訪れ、楽しげにおしゃべりをした。始めはみんなと同様に扉を開けてもらえなかったが、バロメッツは扉の外からでもピンクッションに執拗に話し掛けた。――そしていつの間にかピンクッションの小屋の中へと入ることが許されていたのだ。最初は嫌そうな顔をしていたピンクッションもだんだんと慣れてきたのか諦めたのか、口数が増えていった。
 僕はそんな二人を、遠くから呆然と見ていただけだった。
 ピンクッションが笑うようになった。
 その変化に気が付いたとき、僕の心の中に言いようもない感情が生まれた。胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚。初めてのような、懐かしいような、そんな気持ちだった。


――


 その感情の正体がわからないままいつも通りを過ごしていた、ある日。手持無沙汰で談話室の掃除をしていると、バロメッツとピンクッションが揃って僕の元にやって来た。
「ヴィイ、一緒に遊ばない?」
 そしてバロメッツはニコニコとした顔で僕を遊びに誘った。
 恐る恐る、僕はピンクッションの顔を見る。ピンクッションと目が合った瞬間、彼女はすぐに僕から視線を外し俯いた。バロメッツには馴染んだようだが、僕に対してはやはりそんな態度だ。
「だめ? なんだか暇してそうに見えたから」
 バロメッツはそう言いながらぐ、と僕の袖を引っ張った。
「いや、掃除してたじゃん。決して暇では……」
「ヴィイは手持無沙汰になると掃除をするの。わたし知ってるんだから」
 僕たちが話してる最中もピンクッションはただ床を見つめていた。バロメッツの誘いに賛成もしないが、反対もしない。
「それは……まあ、そうなんだけど」
 これは、僕が加わっても良いということなのだろうか。

 僕とピンクッションの距離は今のままが一番いいのかもしれないと、最近は思えてきていた。
 思えば、周りに打ち解けられないからという理由でせんせいから言いつけられていたことだったけれど、今は彼女の傍にはバロメッツが居てくれる。もう一人ではないのだ。僕が彼女と仲良くしようとしなければならない理由は既にない。なにより、これ以上嫌われたくない。近づかなければ好感度が上がることもないが、下がることだってないだろう。
 ――うん、断ろう。
 そう心の中で結論付けて、僕は口を開いた。

「わかった、いいよ」

 ……あれ、間違えた?
 僕の返事を聞くと、バロメッツは嬉しそうに飛び跳ね、彼女は僕の腕を引いて歩き出した。バロメッツの両手には僕の腕とピンクッションの手が握られている。ぐいぐいと引かれる腕を気にしつつピンクッションへと視線を向ける。彼女はバロメッツと何か話をしながら困った顔をしていたが、僕のことを露骨に嫌がってはいなさそうだった。
 ピンクッションとこんなに穏やかに並んで歩くなんて、変な感じだ。と、僕はどこか他人事のように思った。

 目的地であった裏庭には花が咲き誇り、甘い香りが漂っていた。
 ふらりと草むらに足を踏み出すと、小さな青い蝶が羽ばたいた。僕が手を伸ばすとその蝶は僕の指先に止まり、羽を動かす度に小さく鱗粉が舞う。
「わあ、かわいい! ね? ピニィ」
「……うん」
 バロメッツの問いに答えたピンクッションの声はとても小さかったけど、確かに僕にも聞こえた。
 彼女は今、どんな表情をしているのだろう。笑ってくれているのだろうか。笑ってくれていても僕が見たらまた無表情か不機嫌な顔になってしまうかもしれない。そう考えてしまいうと確認ができなかった。

 しばらく蝶を眺めた後、僕らは花畑の上に座り込んだ。
「ヴィイはお花の冠、作れる?」
「冠?」
「うん! わたし何度も練習したんだよ。でも、うまく作れなくって」
 バロメッツは困ったように眉を下げて生えている花をいじりながら微笑んだ。
 花冠の作り方を、僕は知っていた。誰に教わったのかは忘れてしまったが、どこかで教わったことがあった。作り方を一から思い返してみる。――うん、まだ覚えている。
「教えてあげようか?」
「本当!?」
 僕の言葉を聞くや否や、バロメッツは頬を紅潮させ満面の笑顔を浮かべた。
「じゃあ、まずはこうやって……」
 作業を始めるとバロメッツとピンクッションは真剣に僕の手元を見つめた。見られていることに緊張しながらも作業を続け、あっという間に花冠は完成した。僕は出来上がった花冠をピンクッションの頭にのせた。彼女は少し驚いた顔をした後、ゆっくりと自分の頭に乗っかったそれに触れた。顔が見えないからどんな反応をしてくれているのかがいまいちわからない。馴れ馴れしすぎただろうか?
 花冠をのせられたピンクッションをみて、バロメッツは「えー!」と声をあげる。
「わたしも欲しい! もう一つ、もう一つ作って!」
「バロンは自分で作りたいんじゃないの?」
「そうだったけど、ヴィイが作った方が絶対に綺麗だもん! ヴィイの花冠が欲しいの!」
 バロメッツはそう言って笑った。僕もつられて笑うと、ピンクッションの肩が小さく揺れた。
「わかったよ。もう一つ作るから、待ってて」
「わーい! やったぁ!」
 バロメッツが嬉しそうに手を合わせる。僕はさっきと同じように、草を編み始めた。

「ピニィ、似合ってるね」
「そうかな」
「うん! すごく可愛い!」
「……ありがとう」

 僕が手を動かしている横でそんな会話が聞こえて、視線を向ける。
 バロメッツがピンクッションを褒めると、彼女はほんの少しだけ笑っていた。今度は見逃さなかった。それは初めて間近で見る、彼女の笑顔だった。
 ピンクッションが笑ってくれたことが嬉しかった。彼女の笑っている姿をもっと見てみたい。そう思った。
「いつでも、また作ってあげるよ」
 手元に視線を戻しながらそう呟いた。ピンクッションは驚いた顔をして僕を見ている、気配がした。
「だから、また遊ぼう」
 花冠を作る手はとうに止まっていた。
「君と友達になりたいんだ」
 ――自分が今何を口にしているのか、もはや理解していなかった。ただこのチャンスを逃して堪るか、彼女と仲良くなりたいという気持ちだけが逸っていた。せんせいに言われたからではない。僕自身が、僕の意思で、ピンクッションと関わりたいと思った。
 僕の言葉を聞いたピンクッションは少しだけ間をおいてから首を傾げた。その瞳には戸惑いの色が浮かんでいる。
「……私と?」
「うん、君と」
 僕は顔を上げてピンクッションと視線を合わせた。今度は視線を逸らされることは無かった。
「どうして?」
 ピンクッションはそう呟いてじっと僕を見つめた。

 ――どうして?
 そんなことを問われるとは思ってもなくて、内心ひどく動揺した。
 どうして、なのだろう。仲良くなりたいから。それだけ、のはずなのだけれど。理由なんて、他にあるだろうか。

 思案に暮れる僕と僕を見つめるピンクッション。
「にらめっこ?」
 二人の間の沈黙を破ったバロメッツは、そう言って不思議そうに首を傾げていた。
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