月明、日光と
青梅にいた際、突然伝令がきた。奥多摩に鬼が出たとのことだ。
家に入った頃には既に遅く、母親が入口の近くで殺されていた。血痕を辿ると、子供の寝室に着いた。血に汚れた鬼を斬るとうずくまった子供が二人いる。そして、二匹目の鬼が現れた。
……確かにこの子達の父親で間違いはなかった。だが、鬼である以上迷いは無い。鬼が人間を襲おうとしたと同時に子供の目の前で頸を落とした。すぐさま下の子が泣き出した。
俺自身も恐ろしいところを見せてしまったことは承知していた。
だが、守るためにはこうするしか無かったのだ。
「私の父さんは鬼なんかじゃない!!!」
白い髪をした子供が突然犬歯を牙のように剥いて威嚇する。千寿郎よりも年上か同じほどの見た目の少年だ。両目に紅と青が重なるようにあった。
────不思議なことにその紅い方だけが、俺を見ていた。
その瞬間を忘れることはないだろう。
名は朔間心陽、妹は咲希というらしい。妹の方が千寿郎と同い年だったため、兄の方はいくつか年上だと知った。
入隊後しばらくして、彼が女性であったと判明した。別段性別など気にしていなかったが、弟のように接していたものだから驚いた。驚きのあまり、裸体を凝視してしまった。というよりも思考停止した。
……もうこれ以上は思い出したくない。しかし弟子であることには変わりはないので、今まで通りでいようとしたのは確かだ。
とにかく彼女は良く言えば勇敢で、悪く言えば無鉄砲だった。下弦といえど、無茶をしすぎだ。共同任務の相手が自分よりも背丈も年齢も下だった故、張り切ってしまったのかもしれないが。
いつもの怪我以上に痛々しい状況を目の当たりにし、絶対に死なせたくないと強く思った。たまたま俺が向かったから良かったが……。死なせたくないという願望は、きっと弟子だからではなく彼女だったからだろうと容易に考えられる。故に、あの鬼は本当に嫌いだった。
俺自身も明確に彼女への感情を受け入れた日は覚えていない。
そして俺は万全復帰した彼女を外に連れ出した。相当困惑していた。それもそうだろう、普段業務的に顔を合わすだけの関係なのだから。喫茶店に行ったり雑貨屋で小物を見たり、所謂普通のランデヴーだった。
射的で指環が欲しいと言われ、望み通りに撃ち落としたりした。どういう経緯で欲しがったのかは分からないが、心陽のことだから特に深い意味は無いのだろう。俺自身、軽い気持ちで取ってやったつもりだった。だが、彼女の指にそれが嵌まっているのを見た瞬間、言いようのない充足感に包まれた。……まるで、彼女に印をつけたような心地になった自分さえいた。
同時に、理解してしまった。最愛の妻を喪い、あそこまで見違えるほど変わってしまった父上の血が、俺の中にも確かに流れているのだと。柱という皮を剥げば、俺もまた愛に縋り愛に狂うただの男に過ぎない。 その醜い本心を隠すように、俺は彼女の指で光る、安っぽい偽りの銀の輪を眺めていた。
花火の音が聞こえたので、近くまで行くことにした。花火に釘付けの姿は年相応で可愛らしかった。だが、俺は渡したいものがあった。
櫛だ。きっとこの意味を知らないだろうから渡した。知っていたら渡せない。……俺が、心陽のことを継子としてではなく一人の女として大切に思っていることが明かされてしまうからだ。正直、揺れ動く理性の中で渡すのは気が引けるがどうしても渡したかったのだ。花火の下にいる彼女はとても綺麗だった。
「あの、今度もまた……師範とこうして、またご一緒してもよろしいですか?」
それは、単なる楽しさ故なのか俺の気持ちへの返事なのか分からない。しかし、今ここで何かを返したら正直に感情をぶつけてしまいそうだった。彼女の不安そうな瞳が俺を追うたびに、言葉にできない感情が溢れそうになる。だが、俺は彼女の「師」なのだ。師が弟子を惑わせてどうする。彼女が剣士として大成するのを邪魔する権利は、俺には無い。
……そう自分に言い聞かせ、触れたいと思う右手を、幾度となく日輪刀の柄へ戻した。
「……師範。あの、聞いていますか?」
「ああ、全て聞いていた」
若干心陽は眉をひそめた。声は心配そうにふるえていた。
「本当ですか?」
本当だ、と言った。本心だった。
俺が一方的に彼女を好きだった場合、間違いなく最悪の柱としてもう二度と相手をされなくなるだろう。
だが────ああ、そんな目で見るな。好きなのだから、これ以上俺を刺激しないで欲しい。
あの日、心陽と咲希と出会った日とはまるで違う瞳なのだ。
紅が、ひどく甘く見えた。
なんとか理性を保ちながら、髪に触れようとした。何かこの状況を紛らわす言葉を考えたかった。……もう、いっそのこと想いを打ち明けて一人の男になってしまいたかった。肩書など捨てて世の中に紛れる男になれると思ってしまった。喉の奥から手を出してしまいたくなるほど、心陽が欲しい。剣士ではなく、素のままの彼女を手に入れたい。
だが、その必要は無かった。心陽に伝令が入ったのだ。俺は鬼殺隊の炎柱で、彼女はその継子。その言葉が反芻され、これ以上踏み込むのは止そう。そう思った。
無限列車に乗り込む前日にいたっても同じ理由からだった。だが正直、何度も思った。あれが俺のことを好きでなければなんなのだ?と。俺のことをなんとも思っていなければ、いつも通りの表情なのではないか?と。謎の自信によって、試してみて反応を伺おうと決めたのだ。心陽がどんな顔をするか、俺との絆が揺らぐのを恐れてくれるのか。……そんな子供染みた試しをしなければ安心できないほど、俺は彼女に狂わされていたのだろう。柱として恥ずべき未熟さだ。巷では駆け引きがあるそうだが、俺はそのようなものを熟知していない。だから、反応を引きずり出すしか方法が無いのだ。
竈門少年と会話をしていると心陽は分かりやすく興味を無くした。元々そういう子供っぽさはある。なので
「継子になるといい!」
案の定心陽は焦った顔でこちらを振り返り、真顔で目を逸らした。
……よく分からなかった。そもそも今まで恋愛など全く興味の無かった俺がやるべきことではなかった。任務に集中できなくなるなら、いっそ心陽のことは考えない方が良いだろうと結局思い、踏みとどまった。
夢から醒めたあと、心陽はまだ眠っていた。起こそうかと考えたが、乗客の命を守ることが務めであると気づき、鞘から日輪刀を抜きその場を後にした。
列車の中で蠢いている鬼が倒されたあと、乗客の安否確認は後方にいる心陽に任せた。直接言ってはいないが、俺の継子であるのだから察せるだろう。そして俺は竈門少年たちの様子を見に行った。心陽もよく自分から動いてくれた、後回しで悪いが礼を告げよう。……そう考えていると、こちらを眺めている姿が視界の端に映った。
竈門少年が心陽に声を掛けると、あからさまに不機嫌そうな雰囲気でこちらを凝視する。
報告をしている際も彼女は何か不満げだった。思えばこれが任務内における最後の会話だった。
上弦の参が突然現れた。心陽は、勇敢にもそれに立ち向かっていったが刀が折れてしまった。根本からいかれてしまって最早精気すら宿っていなかった。
この鬼は何かと強さに固執していた。二人は剣士としての技量は未熟かもしれないが、度胸や志は強く持っている。それを知らずによく言えるものだと睨みつけた。
間合いが呼吸法に適していない焦れったさを払拭するために、鬼に近づくとほぼ同時に彼女が何か言った。
「…………師範?そうか、杏寿郎の弟子なのか!こんなに弱い弟子を持った杏寿郎が不憫でならない!」
あの夜俺に対して八つ当たりをしてきた彼女が、どれだけ努力し成長して今があるのか知っている。聞き捨てならないことだし、あまりにも侮辱が過ぎる。
だが、この鬼は強さでしかこの世全てを知らない。俺は、左目を失った。また何か鬼は言っているようだが、気にしていられるほどの余裕は俺にはない。
姿勢を低く構え、渾身の一撃を喰らわせるために気を集中させる。
────炎の呼吸 奥義 玖ノ型・煉獄
挙動が遅れたわけでは無かった。強さと言うよりもそれは、鬼と人類の圧倒的なまでの差だった。鬼の腕が腹部を貫通していた。
しかし、ここで死ぬわけにはいかない。せめて、死ぬならばこの鬼を死なせるまでは。頸に刃を充てがい、ギチギチと刻みつける。深く刻まれ、あともう少しで頸が落とせそうだった。しかし、彼は日光を恐れ思いっきり日輪刀を圧し折り、地面に投げ捨てた。俺の胴に突き刺さった腕はそのままに、木陰へと俊敏に逃げた。すると、すぐさま息を切らして心陽がやってきた。
「逃げるな卑怯者!逃げるなァ!!」
竈門少年が俺のために必死に、涙を流しながら傷だらけの身体を動かして訴えた。おまけには彼自身の日輪刀を鬼に向かって投げて突き刺した。ありがたかった。未来のある後輩の目にそう映ったなら、これ以上嬉しいことはない。
遺す言葉を考えられる暇もなく、ただ思い浮かんだ日頃から考えていることをただ言うだけだった。竈門少年は俯いて泣いていて、猪頭少年も鼻を啜りながら泣いているのが明らかに分かった。泣かせるようなことをしたつもりは無かったが、己の未熟さで泣いているのならまたそれも成長に繋がるのだろう。
だが隣に佇んで、俺を支えて、一番近くで見ている者は泣いていない。表情すらよく見えない。ただ無言でいるだけだ。少し悲しい気もしたが、多くの別れを経験してきた彼女は強くなれたのだろう。そう思うと、元は純粋だった幼子に死と隣り合わせの現実を刷り込んでしまったのかもしれないとぼんやりと考えた。だが、俺自身は剣士としての心陽の成長を称えたかった。
彼女が俺の頬に触れながら師範……と力なく、噛み締めるように呼んでいる。そのうちに段々と嗚咽が混じっていき、ついには子供のように泣き出した。
「いやだ、師範がいないと、いやです。師範だから、救われたんです。私きっと、師範じゃなきゃ、だめなんです。だから、置いて、いかないで」
それは、単なる救われた感謝故なのか俺への……
「好きです、あなたのことが好きです。」
ああ、そうだったのか。恋していたのは、俺だけではなかったのか。思わず口元が綻ぶ。報われたようだが、もう全てが遅すぎた。好きだ、愛している……そんな月並みな言葉では返せない。彼女が勇気を出して、俺に言ったことなのだから。愛しい女が、こんなに真っ直ぐ俺を見ていてくれたのだから。
「俺が痛手を負わなければ……今ここで抱きしめることができたのだろうな」
もし、これがあの櫛を渡した花火の夜だったならば、痛いというほどこの腕の中に彼女を包んでやれた。だが、今はできない。せめてでもの行動は頭を撫でるくらいしかできない。……遅かろうと、想いは通じ合ったのだ。目の前で何度も袖を濡らし声をあげて泣いている彼女の瞳を見つめる。
「君と想いを通わせられて嬉しい、心陽」
初めて出逢ったあの夜のように、彼女は泣きじゃくっている。その時強がって最初は俯いて見せなかった泣き顔を、今は躊躇わずに俺に晒している。本当に、抱き締めてやりたかった。それなのに、身体は言うことを聞かない。
ただ心陽の顔をぼんやりと見つめていると、彼女は袖で涙を拭いながら潤んだ瞳を俺に向け、顔を近付け、唇が重なった。血が付いているのにも関わらず、なぜかひどく蜜のような甘さを感じた。彼女の唇には血が移って、紅を差したように見えた。本当にただの弟子ではなく、ようやく手に入れた俺の女だというように感じた。言わずもがな、多幸感に満ちた。心陽はまた黙って俯くと、今度は静かに俺の手を両手で握った。細かく震えていた。
それを最後の一片として、俺の意識はなんとか保たれた。ふと正面を見ると視線の先にいたのは、懐かしい母上の姿だった。……俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことをできましたか?
『立派にできましたよ』
その言葉に安堵すると共に、小さな掌の温もりがじわじわと分け与えられるのを感じながらゆっくりと目を閉じた。
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