穢れの山










「龍悟、今日から将軍様のとこに行くんだってさ」

「龍兄やるよなぁ」

「『えた』なのによく役人になれたよなあ、すげぇや」

「しーっ!お外では言っちゃだめだよぅ。見張りがいるんだから…」


拙は穢山村の住人だ。…その名の通り、穢れを祓う村の民である。「穢れを祓う」といっても内容はとても言えるものではない。

そんな拙は、戸籍を作り変えて幕府の役人となるのだ。


全て、あの方のお陰だ。











『お前が城で働く…と言ったか?』

『そうそう。お前さんみたいな将来有望な若者がいなくてね。俺が全部戸籍作り変えるから江戸城で働きな。なぁに、気にすんな。こっちじゃ当たり前にやってるぜ?はは、そりゃあ村中の皆嬉しがるに決まってらぁ。お前さんなら絶対だ。』













拙が城で働いた分の金を村中の人々に分け与えれば、このひもじい暮らしからようやく解放される。これで穢山村も少しはよりよくできる。村は皆の理想へと近づく。










…そう信じていた。














「行ってきます」


夜明けからまもなくして拙は樹海から出る覚悟を決めた。深い樹海を抜けると、真新しい幸福な世界が広がった。

はずだった。







































江戸城で働いて数ヶ月の時。




事件は起きた。

呼び出し。家臣達と初めて顔を合わせたあの場所で。


「お呼びでしょうか。」

「おい、来たぜぃ!コイツが戸籍作り変えて役人やってる穢多だ!!取り押さえろ、取り押さえろ!ああ、こんな汚えのが城に忍び込むとは!忌々しい、なんて忌々しいんだ!!!」

「打ち首獄門でぃ!!卸し立ての刀で汚え頸撥ねなきゃ気が済まねえ!!」

「身の程知らずめ!!!!」






ああ、嗤っている。


嗤っているのだ。


拙を見、顔を歪めて。









ああ、ああ…。


あ、あああ…。







どんなに拙は苦悶の表情を、否憤怒の表情を描いたのだろう。そんなもの言うまでもない。




誰が穢多だと晒したのか。


それは紛れもなく、拙を城に招き入れた者だった。





村の人々までを莫迦にしたような顔だった。
許せるわけがない。




憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!!








──憎い。








だから



だから






だから









拙が殺した。


目を抉り、口を裂き、脳髄を粉砕し、懐刀で心臓を突き刺す。臓器という臓器全てを抉り出した。四肢なども斬り裂いた。骨を取り出し、それをしゃぶると恍惚とした。


穢多で学んだことだった。全て全て。生業としてきたものをこのように用いてしまって自分が恐ろしかった。

同時に「生きた人間もこのようなものか」と自分の腕前に感心した。









まもなく、江戸の町は大混乱となった。





巷では怨霊だの、鬼だの騒がれていたようだった。





そんなもの、どうでもいい。




拙はただ結んだ髪を揺らして村へと向かう。








深い霧が立ち込めた、人里離れた樹海に踏み込む。







「…?なんだ、これは…血?何故」


村に入るとすぐ分かった。



ここも壊れてしまったのだ。
人々の死体、いや人骨がそこら中に散乱し、生きているものは唯一人。







──拙のみであった。







「はははははは、は、ははははっは!!!!」


狂っていた、何もかもが。
狂っていたのだ!!!
自分と同じくらい可笑しくて可笑しくて笑いが止まらない。


「は、はは、は…はーッ…」


きっと、いや勿論この襲撃をしたのも幕府に違いない。


許しがたき行い!許すまじき糞幕府!!!!



これ以上の報復をせねば気が済まない。



そう虚ろな目を開けた時、彼の方が口を開けられた。










「貴様はこの村の村人か?」

「はい、そうですよォ、おかしいですよねえ、こんなことになっているとは、は、はは、はははははははははははは!!!!!」

「黙れ。…だが私は貴様が気に入った。血を分け与えてやろう。存分に喜ぶと良い」








こうして拙は鬼となり、夜の江戸を暗躍するようになった。

数多の人間や鬼狩りを喰らって幾年か経った頃、十二鬼月となったのである。





夜が来るたび拙は嗤い、愉しみ、憎しみを募らせるのであった。
骨を食べ、骨を食べ、来る日も来る日も人間への憎悪を募らせた。









しかし。




拙はあの言葉が人間の口から聞くこととなるとは思わなんだ。


鬼として死ぬ直前のあの言葉。



あの言葉だけが唯一だった。







初めて拙は真に人間を思う言い方を聞いた。


あの時の役人とは全く似つかぬ、言葉、だった。











「俺は、君を鬼としてではなく、心陽を──彼女を嘲笑った者として、嫌いだ。」











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