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幸福論
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小さな手を引いてゆっくり歩く。
覚束ない足取りは、まるで迷子の子供みたいだ。
+++
「着いたけど、ここで合ってんの?」
「……うん」
バスに乗って揺られること十数分、そこから徒歩10分。
謎の行動を始めフラフラになったマイを連れて、僕は彼女の家の前にまで来た。
大きめの平屋。
隣の家は大王様の家だと思う。
時間は午後9時過ぎ。
僕の手をずっと握ったまま朦朧とするマイ。
制服を着て酔っていることがバレるとまずいと思ったから、熱が出たふりをさせてここまでやり過ごしてきた。
幸いマイは店を出てから一言も喋ることなく来たから、恐らく行き交う人の誰も気付いてない。
マイは鍵を出す素振りも見せず立ち尽くす。
とりあえずここにずっと立ってる訳にも行かないから、もう一度声を掛ける。
「チョット、鍵は?」
「……ポーチの中」
「はぁ…探させて貰うよ」
混沌としたバッグの中から、ネコ型の小さいポーチを取り出す。
リップクリームや香水のアトマイザーに隠れた奥底に、お揃いのネコがついた鍵を見つけた。
マイは何をしてくれるわけでもなさそうだったから、僕が代わりに鍵を開ける。
「開けたよ。早く入りなよ」
「……」
「いつまでぼーっとしてんの」
鍵は開けたものの、扉を僕が開くのはなんだか気が引けた。
それよりこの時間に電気が付いてないってことは、親はまだ帰ってきてないの?
僕がそう考えていたら、マイがいきなり手荒く扉を開けた。
僕の手を振り払って、玄関に入ると手早く数カ所ぶんの電気のスイッチを押す。
客用と思われるスリッパを僕の方に放り投げ、そこまで終わると玄関マットに倒れこんだ。
「…入って」
「僕、帰らなきゃダメなんだけど」
「後でタクシー呼んであげるから入って」
「…すぐ帰るから」
なんだ、普通に喋れるじゃん…
さっきまでのはもしかして酔ったフリ?
何のためにそんな事をしたのか、僕には理解不能。
とりあえず僕は彼女の指示通り、放り投げられたスリッパを拾ってそれに履き替えた。
「こっち」
マイは普通に立ち上がって歩くと、僕を広いリビングに案内した。
家の人はやっぱり居ないようで、僕らの足音だけが響く。
あまり生活感のない部屋。
マイの物と思われる医学書や変な本が机に山積みにされていた。
「なんか飲む?」
「…何があるの」
「じゃあ紅茶ね。イギリス王室御用達だよー」
質問しといて完全無視。
もうこのマイのフリーダムさにはいい加減慣れてきた。
マイがその王室御用達ティーを淹れている間に、謎の医学書が置いてあるテーブルセットに座った。
医学書以外にも、香水の本や週刊誌、心理学の本、よくわからないタイトルの小説。
系統も何もかもバラバラすぎるそれは、マイの知識欲の広さを物語っていた。
「蛍」
「…なに」
「あたしの母親さ、水商売してんの」
「そう」
マイはいつもの調子で、淡々と言う。
同時に目の前にカップが2つ置かれた。いい香り立ち。
「スナックのママね。さっき会った人は、母親の店に来るコンパニオン」
「……」
「あたし母親とは殆ど顔も合わせないし、話さない。仲良くないから今どんな顔してんのかも全然知らない。父親はずっといない。居るんだけど、一緒に暮らしたこともほーんのちょっとあるんだけど、勝手に幻滅してどっか行ったよ。あたしの親ってそんな奴ら」
マイは淡々と止めどなく言葉を紡ぐ。
こんなヘビーな家庭事情をぺらぺら喋り出すなんて、やっぱり酔ってるのかも。
突然マイの口から出た話を辞めさせることも出来なくて、僕はそのまま静かに聞くことにした。
「ずっと、ずっとだよ?夜もこんな風に居ないの。昔、夕方までは徹と岩ちゃんが居てくれたんだけど、2人とも家に帰っちゃう。けど、小さい頃のあたしにとって優しいお父さんお母さんは、徹と岩ちゃんだったの。だから親が居なくても寂しくなかった。もちろん夜は居ないんだけどさ。本物の親はネグレクトみたいなもんだからね」
インハイ予選の時、あの2人が言っていた親離れって言葉。
冗談だとかそう言うのじゃなくて、マイにとって幼馴染の二人は本物の親以上に信頼を寄せてる人物なんだろう。
「なのにね、あたし裏切っちゃったの。親離れだなんて便利な言葉使ってさぁ。二人に依存してたのはあたしなのにねー。依存して、勝手な理由で切って、なんて許される事じゃないよ」
「……勝手な理由って何」
「…さぁ?分かんない」
マイはヘラヘラ笑ってそれっきり黙りこくる。
沈黙の時間が暫く続いた。
時間的にちょっとヤバい気がする。
ちらっと携帯を見れば、母さんからの着信が数件。
仮にも今は高校生だし、早く帰らないと。
「蛍」
「……なに、マイ」
「帰っちゃうの?」
マイの細い腕が伸びてきて、僕の手を掴む。
俯いているから彼女がどんな表情をしているのかは分からない。
その手は微かに震えていて、このままマイのそばに居たい気持ちと常識的に考えた状況とで板挟みになる。
「…ごめん、もう10時だし、さすがに母さんが…」
そこまで言いかけた所で言葉を止める。
親が心配する、なんて言ったら、マイが傷つくような気がした。
「…そっか、そうだよねー」
「……ごめん」
マイはゆっくり僕の手を離した。
僕らが高校生じゃなきゃいいのに。無理な願いを歯がゆく感じる。
そのままマイは自分の携帯を操作すると、どこかに電話をかけ始める。
慣れた口調で電話口で話している。
今すぐ、なんて言葉が聞こえたから、きっとタクシーか何かだと思う。
お酒を飲んだからか、はたまた本当のマイはこうなのか、いつも学校でみる横暴な女王様節は鳴りを潜めていて僕なんかより随分大人っぽく感じた。
「タクシー呼んだよー。すぐ来ると思う。あとあたしの連絡だしお代は払わなくていいから」
「ありがとう」
それを言うと、マイは手際よく紅茶のカップを片付け始めた。
慣れた手つきが寂しさを醸しているように見えた。
僕はマイの事を、まだ全然知らない。
どのマイがホンモノなのかもわからない。
けど、寂しいなら僕を頼ればいいのに。
意地ばっか張るなよ。
「マイ」
「んー?」
「寂しいなら、僕いつでも来るから」
恥ずかしげもなく、本心が出た。
マイが暫く黙っているから、言わなきゃ良かった、と思う。
いつもなら、何様だよ!なんてきつい言葉が飛んできそうだけど、今は飛んでこない。
それだけマイの実態は弱ってるってことだ。
「…ありがと」
「どういたしまして」
マイから予想外の素直な言葉が出たことに驚いていると、迎えのタクシーが到着した。
早く帰らないとと思うのと同時に、この時間が終わるのが惜しい。
複雑な気持ちになりながら玄関を出ると、マイが僕の手をガッと掴んで耳元に顔を寄せた。
さっきのウイスキーといつもの香水が香る。
「…次来るときは帰らないでね。ずーーっとあたしと居て」
それだけ言うと、彼女はバンッと乱暴に扉を閉めた。
僕は頭が追いつかず、呆気にとられたままタクシーに乗った。
覚束ない足取りは、まるで迷子の子供みたいだ。
+++
「着いたけど、ここで合ってんの?」
「……うん」
バスに乗って揺られること十数分、そこから徒歩10分。
謎の行動を始めフラフラになったマイを連れて、僕は彼女の家の前にまで来た。
大きめの平屋。
隣の家は大王様の家だと思う。
時間は午後9時過ぎ。
僕の手をずっと握ったまま朦朧とするマイ。
制服を着て酔っていることがバレるとまずいと思ったから、熱が出たふりをさせてここまでやり過ごしてきた。
幸いマイは店を出てから一言も喋ることなく来たから、恐らく行き交う人の誰も気付いてない。
マイは鍵を出す素振りも見せず立ち尽くす。
とりあえずここにずっと立ってる訳にも行かないから、もう一度声を掛ける。
「チョット、鍵は?」
「……ポーチの中」
「はぁ…探させて貰うよ」
混沌としたバッグの中から、ネコ型の小さいポーチを取り出す。
リップクリームや香水のアトマイザーに隠れた奥底に、お揃いのネコがついた鍵を見つけた。
マイは何をしてくれるわけでもなさそうだったから、僕が代わりに鍵を開ける。
「開けたよ。早く入りなよ」
「……」
「いつまでぼーっとしてんの」
鍵は開けたものの、扉を僕が開くのはなんだか気が引けた。
それよりこの時間に電気が付いてないってことは、親はまだ帰ってきてないの?
僕がそう考えていたら、マイがいきなり手荒く扉を開けた。
僕の手を振り払って、玄関に入ると手早く数カ所ぶんの電気のスイッチを押す。
客用と思われるスリッパを僕の方に放り投げ、そこまで終わると玄関マットに倒れこんだ。
「…入って」
「僕、帰らなきゃダメなんだけど」
「後でタクシー呼んであげるから入って」
「…すぐ帰るから」
なんだ、普通に喋れるじゃん…
さっきまでのはもしかして酔ったフリ?
何のためにそんな事をしたのか、僕には理解不能。
とりあえず僕は彼女の指示通り、放り投げられたスリッパを拾ってそれに履き替えた。
「こっち」
マイは普通に立ち上がって歩くと、僕を広いリビングに案内した。
家の人はやっぱり居ないようで、僕らの足音だけが響く。
あまり生活感のない部屋。
マイの物と思われる医学書や変な本が机に山積みにされていた。
「なんか飲む?」
「…何があるの」
「じゃあ紅茶ね。イギリス王室御用達だよー」
質問しといて完全無視。
もうこのマイのフリーダムさにはいい加減慣れてきた。
マイがその王室御用達ティーを淹れている間に、謎の医学書が置いてあるテーブルセットに座った。
医学書以外にも、香水の本や週刊誌、心理学の本、よくわからないタイトルの小説。
系統も何もかもバラバラすぎるそれは、マイの知識欲の広さを物語っていた。
「蛍」
「…なに」
「あたしの母親さ、水商売してんの」
「そう」
マイはいつもの調子で、淡々と言う。
同時に目の前にカップが2つ置かれた。いい香り立ち。
「スナックのママね。さっき会った人は、母親の店に来るコンパニオン」
「……」
「あたし母親とは殆ど顔も合わせないし、話さない。仲良くないから今どんな顔してんのかも全然知らない。父親はずっといない。居るんだけど、一緒に暮らしたこともほーんのちょっとあるんだけど、勝手に幻滅してどっか行ったよ。あたしの親ってそんな奴ら」
マイは淡々と止めどなく言葉を紡ぐ。
こんなヘビーな家庭事情をぺらぺら喋り出すなんて、やっぱり酔ってるのかも。
突然マイの口から出た話を辞めさせることも出来なくて、僕はそのまま静かに聞くことにした。
「ずっと、ずっとだよ?夜もこんな風に居ないの。昔、夕方までは徹と岩ちゃんが居てくれたんだけど、2人とも家に帰っちゃう。けど、小さい頃のあたしにとって優しいお父さんお母さんは、徹と岩ちゃんだったの。だから親が居なくても寂しくなかった。もちろん夜は居ないんだけどさ。本物の親はネグレクトみたいなもんだからね」
インハイ予選の時、あの2人が言っていた親離れって言葉。
冗談だとかそう言うのじゃなくて、マイにとって幼馴染の二人は本物の親以上に信頼を寄せてる人物なんだろう。
「なのにね、あたし裏切っちゃったの。親離れだなんて便利な言葉使ってさぁ。二人に依存してたのはあたしなのにねー。依存して、勝手な理由で切って、なんて許される事じゃないよ」
「……勝手な理由って何」
「…さぁ?分かんない」
マイはヘラヘラ笑ってそれっきり黙りこくる。
沈黙の時間が暫く続いた。
時間的にちょっとヤバい気がする。
ちらっと携帯を見れば、母さんからの着信が数件。
仮にも今は高校生だし、早く帰らないと。
「蛍」
「……なに、マイ」
「帰っちゃうの?」
マイの細い腕が伸びてきて、僕の手を掴む。
俯いているから彼女がどんな表情をしているのかは分からない。
その手は微かに震えていて、このままマイのそばに居たい気持ちと常識的に考えた状況とで板挟みになる。
「…ごめん、もう10時だし、さすがに母さんが…」
そこまで言いかけた所で言葉を止める。
親が心配する、なんて言ったら、マイが傷つくような気がした。
「…そっか、そうだよねー」
「……ごめん」
マイはゆっくり僕の手を離した。
僕らが高校生じゃなきゃいいのに。無理な願いを歯がゆく感じる。
そのままマイは自分の携帯を操作すると、どこかに電話をかけ始める。
慣れた口調で電話口で話している。
今すぐ、なんて言葉が聞こえたから、きっとタクシーか何かだと思う。
お酒を飲んだからか、はたまた本当のマイはこうなのか、いつも学校でみる横暴な女王様節は鳴りを潜めていて僕なんかより随分大人っぽく感じた。
「タクシー呼んだよー。すぐ来ると思う。あとあたしの連絡だしお代は払わなくていいから」
「ありがとう」
それを言うと、マイは手際よく紅茶のカップを片付け始めた。
慣れた手つきが寂しさを醸しているように見えた。
僕はマイの事を、まだ全然知らない。
どのマイがホンモノなのかもわからない。
けど、寂しいなら僕を頼ればいいのに。
意地ばっか張るなよ。
「マイ」
「んー?」
「寂しいなら、僕いつでも来るから」
恥ずかしげもなく、本心が出た。
マイが暫く黙っているから、言わなきゃ良かった、と思う。
いつもなら、何様だよ!なんてきつい言葉が飛んできそうだけど、今は飛んでこない。
それだけマイの実態は弱ってるってことだ。
「…ありがと」
「どういたしまして」
マイから予想外の素直な言葉が出たことに驚いていると、迎えのタクシーが到着した。
早く帰らないとと思うのと同時に、この時間が終わるのが惜しい。
複雑な気持ちになりながら玄関を出ると、マイが僕の手をガッと掴んで耳元に顔を寄せた。
さっきのウイスキーといつもの香水が香る。
「…次来るときは帰らないでね。ずーーっとあたしと居て」
それだけ言うと、彼女はバンッと乱暴に扉を閉めた。
僕は頭が追いつかず、呆気にとられたままタクシーに乗った。